臆病者の勇気 人生の流れ【学業編】

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またしても、勤務にて間があいてしまった。

写真は職場からの帰り道をパシャり。このあたりは今が紅葉のピーク。

 

さて、

 

Q. あなたは今の(今までの)仕事が(職場が)、、、

 

A. ①好き ②好きじゃない ③ありえない ④どこも一緒 ⑤未だ見ぬ聖地を探してるところ ⑥その旅はもう終えた

 

勤務が続くと、そちらにばかり気を注いでしまい、こちらが書けない。

というか、勤務に専念せざるを得ない。なぜならば。

 

私は英語が得意ではない。 orz

 

カナダだけなのか、英語圏の外国はみんなそうなのかは知らないけれど、外国に行った日本人あるあるの一つと思うが、一番最初に住み始めた(もしくはその地を訪ねた)時に、「コーヒーの一つも頼めない」という現実が待っている。

これって結構凹みます。

私は一応、日本の大学を出ていて。英語は10年間文法等をみっちり勉強させられてきたはずで。バリバリ文法は頭に入ってると自負していたはずが。

カナダに来て最初の一言だった「センキュー」が通じなかったあの衝撃は今でも忘れていない。いや、忘れてなるものか。トラウマよ。

 

その後英語を話せないまま半年ほど、旦那が当時ボランティアで日本語教師をしていた小学校に隣接する幼稚園で私もボランティアをすることになるのですが、「子供だから」となめていた私にクラスの中でも生意気そうなお子ちゃまが一言、

 

「ドウシテフランス語話シテルノ?」

 

確かにボショボショ言ってるけどね。。。orz   英語じゃ!!(叫)

 

 

そんなこんなでその町を後にし、現在住んでいる場所に引っ越すわけですが。(注:任期が完了したためです。決して英語の問題ではありません。)

現在住んでいる場所は観光地ということもあり、カナダ国内外からもたくさん観光客が訪れる街なので、コーヒーの注文も問題なく出来、ちょっと一安心。ホッ。

(この街では、コーヒーショップの店員さんの耳が英語が第2言語の人達の英語に慣れているため、大概のオーダーが通じるわけです。もちろん店員さんも、いろんな国から来ている人達だったりしますので、なおさら通じます。)

 

でもこのままではマズイ。コーヒーが注文出来ても、カナダのことも英語も何も知らない。カナダで生き残るためには何をするべきか?

 

ということで、一番近くの職業訓練系のカレッジへ入学するのですが。確か最初に英語だけのコースを1年間とったのが35才の時、それを卒業してからいよいよ美容系の専門コースを2年間とったのが36から37才。 きつい。

何がきついって、案外と脳ミソはまだまだバリバリ働くギリギリの年齢だったのですが、【怖い】。 新しい環境に入っていくのも、ましてそれが白人だらけの19や20才の若いお姉ちゃん集団の中であるというのも、彼女達の若者英語が早くてついていけないという不安があるのも、インターナショナルスチューデントに比べて半額以下といっても2年間で100万円分の学費が英語力の足りなさにより途中で落第してそのお金を全部無駄にするかもしれないことも。とにかく【怖い】『失敗するかも知れないこと』が、この年になって本当に怖かったわけです。

ということで入学前にはやはりブルーハーツ

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を聴いて、大泣きしながら自分を奮い起こすわけです。

ホントの瞬間は、マジで怖いんです。

 

で、入学して今までの人生の中でも最強なほどに必死で勉強して、なんとか無事に結構良い成績をとって卒業。 私、頑張りました。

が。その頃はまだ、今のホテルでハウスキーピングの仕事をやっていました。美容系のプログラムに入学する前に、それまで働いていたジャパレスを出て、ここでも勇気を振り絞って「いざカナダ社会へ!」と、職探しをしたところ、夏の間だけでも集中して働いて学費分を貯めようと思ってレジュメを送ったら、今の会社が雇ってくれました。

何社も送ってみましたが、この時は後にも先にもこのホテルだけが唯一そしてすぐに返事をくれました。

カレッジを卒業しても、それでも英語を「話す」のがとても苦手な私は、お客と直接対決しなくてはいけない今の職業には怖くて到底つけないと思っていました。

「あ、無理無理。絶対無理。」

 

こうなることがわかっていたので、旦那には入学する前からあらかじめこう伝えてありました。

「もしも私が無事に卒業出来ても、その後この仕事に就かなくても、学費は自分で払うから『絶対に』かけたお金のことは言わないでください。」と。

そもそも「自宅で細々とサイドビジネスとして出来ること」が最低限の、そして当時かろうじて目指せそうだった自分への最高の目標でした。

 

私が臆病者の内弁慶だからなのか、それとも単に年をとって少し知恵がついたからなのか。新しいことをするのも怖いですが、出来るかどうかもわからないことに挑戦する時に「絶対やります! やってみせます!」なんて、もう言えない。 そんなポジティブさ微塵も出てこない。

 

でも良いんです!それで良いし、それもとても健全だ!

 

どっちにしたって、やるんです。

いじめと一緒。絶対に諦めたくないんです、自分を。

怖いに決まってる、だって傷つくかもしれない。

怖いに決まってる、だって失敗するかもしれない。

怖いよ、だって格好悪いかもしれない。

それでも良いんです。やるっきゃないんです。

 

失敗したらお金はパーですが、そこでやらなきゃもう次の機会はないと思った。

年齢を考えたら、ここで2年を学業に費やすということは「子供」という万が一にあるかもしれないチャンスを失うかもしれない、とも考えました、が。

ではこの2年間、欲しいか欲しくないかもわからない、そして出来るかどうかもわからない「赤ちゃん」という未だ見ぬ神のギフトのために、「年齢的に、子供を持たないといけない」という重たい義務感だけで、自分の人生のチャンスを見送るのか。

年齢がすすめば、それだけ自分の中の勇気もさらに必要になってくる。今年行くのが怖いカレッジに、来年や再来年に行こうと思う日がくるのか。

周囲や家族は「あっちに子供、こっちに子供」と騒いでいる(ように聞こえる)が、今の自分達に子供ができたとして、この先この国でどうなるんだ。どうするんだ。

 

いろんなことを考えてみても、まったく「赤ちゃん」が入ってこられるタイミングではない。てゆーか、この国でちゃんと生きていけるための基盤を築かなければ。

まずは自分と旦那の「生活力」ありき。でないととても子供のことなど考えられるはずがない。私はどうしても、旦那の好きな、そして自分もすっかり好きになってしまった『この国』で、「万が一」のことが起きたとしても私の力で家計を支えられるような仕事力を身につけたかったのです。それが最優先であり、絶対目標。生きねば、この国で。まずは自分達が、生き残らねば。

 

それに。【怖い】時ほど自分に向き合わなければいけない時だと、知っているのです。 泣けるほど怖くて仕方がないこの【挑戦】も、私が私を諦めないための、越えねばならぬ壁なのです。私の人生の、壁。

自分の未来の可能性を、諦めるだけは出来なかった。ならば挑戦するしかないですね。泣きながらでも。

 

決断をするために、想像してみました。

今の自分で

①「赤ちゃんを抱きながらあやす自分。英語力、生活力ともに今のまま。将来は、さらにきついか、現状維持が最高点。」

②もしかしたら新しい自分になって、なりたい自分になって、今は想像すら出来ない世界で生きているかもしれない自分。失敗してるかもしれない、でも何も失わない。挑戦した後の、今と同じ現状か、未だ見ぬさらに素晴らしい未来。想像できないから、無限。」

 

①はなかった。

だって、失敗しても現場維持出来るんだから、挑戦しちゃった方が良いよね。

ということで、挑戦しました。その結果。

 

今ハッピー。あの頃よりも、超ハッピー。

 

めでたし。学業編。

続く⭐︎

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生きる道 

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今回は、前回の記事「シンクロニシティ」の続き。

Q.  あなたにはどうしても会いたい人が、、、

 

A. ①居る ②居ない ③来世でよろしく

 

私がシンクロニシティに魅了されていく前に、読み始めた本があります。

ブライアン・L・ワイス博士の『前世療法』と『魂の伴侶』でした。

 

 

当時私は、重症心身障害児者施設(入所施設)というところで指導員(介護と活動のサポート)をしていました。そして人生の全てのシワがそこに凝縮されたような過酷な日々を過ごしていました。はっきりいって、とてもストレスフルでした。

「仕事内容」が辛かったわけではないと思います。ただちょっと、当時の私には『無理』でした。そしてその無理は完璧なタイミングと方法で私を動かすわけです。

 

今こうして当時よりも少し知恵をつけ、人生に起こる出来事の意味合いが自分なりに少しは理解できるようになってから振り返ると、当時の私はなんていうか、、、『軽装備でチョモランマ向かってる』みたいな危うさ。

生きづらいを通り越して、よもや苦行でしかない日々でした。

 

これは決して「仕事がきつい」ではないのです。その時の仕事は私に気づきをもたらすのに完璧な役割を果たしただけでした。ワイス博士の本に出会った時、私は25歳になっていました。障害者施設に就職してから3年目、腰にくっついている小さな骨に亀裂がみつかり、腰痛で立てなくなりました。結果、休業を強いられリハビリ入院することに。

でもこの亀裂、実は私がその昔「ジャイ子軍団」(詳しくはいじめの記事を)と闘っていた日々についたであろう、「成長期の過酷な運動による軟骨骨折」だそうで。その時は軟骨なので、痛みを感じないのだそう。人によっては、70歳になるまでまったく気づかず高齢者特有の腰痛や持病のオマケで撮ったレントゲンでたまたまその軟骨の亀裂を発覚することもあるほど、それが原因で歩けなくなることはないという程度のもの。でも私はそれをはるか後の25歳で発見することになり、さらに「スーパーで30分の買い物が出来ない」ほどの腰痛に出会うわけです。

 

身体的な原因は、不規則な勤務体制と生活により体に過度の負荷がかかったことですが、人生のタイミングでいうならば「スピリチュアルに突入せよ」という時期だったのでしょう。「悲しい」や「苦しい」だけでは到底その後をやり過ごせない時期に来ていたからです。

 

その施設に就職を決めたのは、当時19歳だった彼が突然死んでしまったからでした。

私が彼に出会ったのは私が21歳の冬の終わり、彼はまだ18歳でした。二輪と同時に受講していた四輪免許の教習で、私の教習所友達である子の付き添いとして遊びに来ていた彼に出会ったのが初めでした。それからずっと良き弟分のように仲良くしていたその彼と付き合い始めた1週間後、私の住んでいたアパートからの帰り道に、彼は帰らぬ人になりました。

 

衝撃。その一言。

 

最後に会っていた日の夜中じゅう、彼は人生の話をしてました。これからどこか遠くに行くのがわかっているような、手を伸ばしても掴めないような。隣で話を聞きながら、どうにも出来ない寂しさを覚えました。虫の知らせ、というか空気は全てを知っている、というか。私は何も言えない、言えないけど言いたい、止められないけどどうしても止めたい、でも出来ない、そんな感覚でした。

「次に会うのはクリスマスだね。」「俺めっちゃ楽しみやわ。」という約束をして、彼は帰っていきました。そしてその日はいつも来ていた二輪ではなく、車でした。車なのに、事故で死んでしまいました。

 

彼の事故や死を通して私はたくさんの「目には見えない何かの力」と、この件から始まるものすごい数の『奇跡』を見ることになります。

見るのだけども、当時の私はまだ、何がなんだかわからない。

わかるのは、「どうにもならない大きな力」があるということだけ。

 

(彼の名誉のために補足しますと、自殺ではありません。私はこの件で「最後に会っていた参考人」として高槻警察署に呼ばれ、事情聴取を受けました。とても穏やかでまっすぐな対応で接してくださったその道のベテラン刑事さんといろんな可能性を検証しましたが、自殺ではないと断定されました。刑事さんにも掴めない「そこにありそうで見えない何か」にお互い首を傾げながら、その件は「若く悲しい事故」ということで収められました。)

 

当時のすべての場面場面が、掛け違えることのできない精巧なパズルのように、すべての現象をつくっていました。何も言えない、手も出せない。私はただそこに関わり、登場して、一緒に時間を過ごしたけれども、その時確かにそこに居て存在していた彼は、霧のように消えてしまいました。

 

臨死体験(NDE-Near Deth Experience)などで言われるような「本人の体験」ではありませんが、私がその時体験したすべてがものすごい感覚でした。

その日から毎日、1年間は毎日泣きました。悲しみの中にあるのだけど、悲しみだけではないいろんなことがわかってきました。

 

その彼が生きている間に、私をバイト先まで迎えに来てくれたことがありました。その時のバイト先が、この障害者施設でした。彼は大阪に住んでおり、私は京都。施設は滋賀にあり、宿泊施設が完備されていたので、大量の荷物を持ち込んで寮生活をしていました。

その最終日、荷物を全て引き上げなければならないので誰か車を持っている人の助けを、、と考えた時に真っ先に思いついたのが、もう免許もあり実家に住んでいて車もある、その時には19歳になっていた弟分の彼でした。(当時の私は大学生で、周りの友達は誰も車なんて持ってなかったので大変助かったわけですね。)

 

その数ヶ月後、彼は亡くなります。亡くなってしまった後で、私はどうにか自分の記憶にある彼の断片を全て集めたくなるわけです。「失った」ということを理解するためなのか、したくないからなのか。私の記憶だけが頼りです。

『この脳に刻まれた彼の形跡の全てを、生きていた証を、全てかき集めなければ。そしてそれが消えてしまう前に、安全な場所に保管しなくては。』

 

そこから「彼の生きた思い出」の全てと、亡くなってからもなお感じられることの出来た「彼の愛」つまり私が見はじめる『奇跡の数々』を探すのが当たり前になる日々が始まっていくのです。

 

 

 さて、25歳の腰痛の私に戻ります。

しばらく我慢していましたが、腰が痛くて痛くて、日常生活にいよいよ支障が出はじめました。そのため整形外科を受診。すると1件目の医者は恐ろしくふざけた医者で、2枚しか撮らないレントゲン写真を見て笑いながら一言「治らないね。かわいそうに、もう子供も産めないでしょうね」

 

 マジか。 YOU、それマジか。

 

何がマジかって、診断ではなく、その態度がマジか。え、なになに?ちょっと茶髪で若い女が腰痛で受診したら、何を想像してるかわからんがニヤついたふざけた顔して己は婦人科の知識など到底ないであろうにもかかわらず「子供ができない」まで言及するんか? しかも言い切ったよね?今、言い切ったよね?

 

今でこそこの医者をうっかり小型ナイフで刺せそうですが、当時はもうショックでショックで。そこで、今度はちゃんとした病院を調べて、スポーツ選手などがこぞって受診しに来ているという京都の病院を訪ねることに。

すると本当のお医者さんがここで私を待っていてくれて、あっさりと「子供無理説」を根拠ある自信と説明で否定してくれます。

そして私は「リハビリ入院」をすることに。

 

その時に、当時まったく仲が良かったわけでもない同僚から、その人からは思いもよらない本『前世療法』をもらうことになるのです。「これもう読まないからあげるよー」みたいな軽いノリで。

 

まさかそんな形で回ってきた本で、自分の人生が開けていくとは。

でもそんなものです。いつも大切な誰かが、必ずしも大切なメッセージを運んでくるとは限らない。

人生の節目節目に、こういう「その時限定の名キャスト」みたいな出会いがあるものです。

 

そうして私は、検査と痛み止めを継続的にあびながら、筋肉痛と闘う「退屈だが体力的にきついリハビリ入院」のベッドの上でワイス博士の『前世療法』と『魂の伴侶』という本を読み始めるわけです。

 

 

追記:このワイス博士の本は、「懐疑的だが前世や輪廻転生のことがちょっと知りたい」「スピリチュアル風の強いフワフワしたものは苦手」な人にとてもオススメの本格派スピリチュアル入門書です。博士はご自身が精神科医というバリバリの科学畑で生きてきた方なので、初めて患者が過去生退行した時にはとても驚かれています。そんな博士の数々の実体験を、とても穏やかにそして冷静に書かれた本です。「ありえない」ことではなくて、「実際にフツーにあること」とわかる面白い本です。「苦し過ぎてどうしていいかわからない」「何でこんなに苦しいのかがわからない」「原因不明の痛みがある」「ダメだとわかっていながらもどうしても抵抗できない引力で惹かれてしまう人がいる」「自分の中にはっきりと今世とは別の記憶がある」などがある人にも、何か答えがみつかるかもしれないオススメの作品です。

 

続く⭐︎

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シンクロニシティ あなたは気付きますか?

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 今回は、シンクロについて。(遊びようがないので、ちょっと真面目に書きます。)

 

 

Q. 「偶然の一致」が起こった時あなたは、、、

 

A. ①やり過ごす ②気にする ③気がつかない ④そんなものは起こらない ⑤鳥肌が立つ ⑥ガッツポーズしちゃう

 

「1970年代後半に生まれた人達は、目に見えないものを信じる傾向にある人が多い」と以前何かの本で読みました。タイトルは何だったかな?思い出せませんが。

 私はもちろん、信じます。中学2年の時、なぜか突然「この世界が目に見えているものだけで成り立っているはずがない」と確信しました。なぜかしら。

 

さて。シンクロニシティについて。

初めて「シンクロニシティ」という言葉と意味を知ったのは、いつもは立ち寄らない本屋に無性に行きたくなったある日のこと。その日は勤務中からなぜかその本屋のことが何度も頭に出てきて仕方がないので、帰り道に寄ることにしました。

いざ本屋に入る直前まで「何で私は今日この本屋に寄ってるのかなー?」と訝しがっていましたが、パッと見るとそこには妙に私を呼んでいる(気がする)1冊の本があり。

( ↓↓ この本でした)

 

 

ずいぶん昔のことなのでうろ覚えですが、シンクロニシティという事象をいくつかの事例をあげて具体的に書いてあるのと、それらに対する著者の見解が書かかれていたと思います。

 

例えば。運転中に突然頭の中に浮かんできた曲がその直後に車のラジオから流れてくる、着信が鳴っただけで電話をかけてきた相手がわかる、相手のことを考えていたらその人から電話がかかってくる、など。中でも私が最も印象に残っているのが「車のナンバー」にまつわる話で、英語圏では車のナンバーを自分の好きな言葉などにできるため、横を通った車のナンバープレートにまさにその時の著者に必要なメッセージが書かれていた、というもの。(ちなみに今日私が目にした車のナンバーは「JOYFUL」と「JOY」でした。つまり私の今日のテーマは「喜び」「成功」。。。まさにそんな意味合いの深い1日でしたよ)

私は数秘学などにも興味があるので、いつでもどこでも数字を目で追ってしまいます。特に対向車や横を通る車のナンバーはもちろん、駐車場にある車のナンバーもいつもチェックしてしまいます。やったことのない人は是非、試しに気にして見てください。自分の目に入ってくるナンバーに、ある規則性があることに気づくはずです。

 

シンクロニシティは他にも、「いつも同じ時間に時計を見ることが多い」「デジタル時計を見るといつも同じ数字が並んでいるのを目にする(11:11や2:22など)」「何度も同じ言葉や特定のメッセージを目にする・耳にする」というのがよく言われています。

 

重要なのは、これらのサインに『気づく』ということなのでしょう。

1度や2度なら「たまたまの偶然」と思えるかも知れませんが、1週間のうちに4回も5回もあると、「何かある」と思いはじめるものですよね。

いろんな書籍を読みましたが、ようするにシンクロニシティには様々なサインが隠されていて、その時の自分に必要なメッセージが見えない存在から自分へと送られているということですね。

 

自分の決断に確信が持てない時や物事のタイミングをうまく測れない時などに意識して周りを見渡すと、案外あらゆるところにメッセージやヒントが隠れているものです。

気づくか気づかないか、というだけで。気づくといろんなものがクリアになってきます。これは決して、自分の外側に答えを見つけるということではないと思います。答えはいつも自分の中にあると思いますが、不安や心配やその他の雑念がその答えから自分の決断を遠ざけることもしばしばありますよね?そんな時に、「あ、私大丈夫だ。」と思わせてくれる何かがシンクロニシティにはあります。

 

何より、シンクロニシティを探し始めると、自分の感度が高まります。単なる「偶然」だけでは済ませられない何かが自分の周りで起こっていると感じ始めたら、自分の直感も冴えてきますし、自分の思考もクリアになります。すると自ずと何かを決断する時も迷わなくなる。つまり、「自分の人生がより自分らしくなる」わけです。人生がシンプルでクリアになると、生きやすくなると思います。

 

ちなみに、この本を読んだ当時の私は感性キレッキレで、着信が先か気づくのが先か、結構な頻度で電話の相手が誰かがわかりました。というのも自分にとって「いつも身近にあって欲しいサイン」が強くあったので、そういうものをいつも探していたからですね。

探し続けていたらいつの間にか多くの書籍を読んでいて、いろんな真理のドアが開けてきました。(私は無宗教です)

自分の人生でいうなら、シンクロニシティの絶妙なアシストもあり旦那との結婚を確信したり、カナダに来てからのたくさんの奇跡とシンクロニシティで移民まで導かれたりと、『今』の自分を作っているそしてこの先も作り続けていく大切なヒントがシンクロニシティでありスピリチュアリティであり。

 

シンクロニシティを意識されたことのない方は、ぜひ探してみてください。面白いと思います。

では。

 

続く⭐︎

 

追記:この本  が読みやすいか?と聞かれるとわかりませんが、「スピリチュアルという言葉に抵抗がある」「こういったことを初めて知る」という方にはオススメです。

 

「結婚」も「子供」もすべて自分の意志な人達 

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ここ数日勤務だったので、ちょっと日があいてしまった。

自分の思いを外に出すって、魂注ぐよね。慣れてないから一呼吸入れて、いざ。

 

Q.あなたは結婚を、、、

 

A. ①したい ②したくない ③したくなかったがした ④したが違った ⑤法が認めてないのでとりあえず出来ない ⑥来世でよろしく

 

 

私は、カナダはオンタリオ州のとある街のとあるホテルで美容系技術職として働いている。

この職場は独身率が高く、「子、要らない」派が多い。

「カナダ人だから」ということは往々にしてあると思うが、そうやって『自分の意思』をきっぱりと言い切るあたりがとても好き。「攻めてます」みたいな。

カナダの人たちはとても自分が強い。ほとんどの人が移民のルーツをもつ人達だから、カナダ文化と家族や祖先の文化が混じってる。だからなのか?もの凄く自己主張するし、「自分の人生の中心は自分だ!」「私が主役だ!」と全身全霊で語ってくる。

慣れるまではとても鬱陶しいし、日本との真逆っぷりにみんな戸惑うと思う。

そもそも確かにその人達から見れば「人生の主役は自分」でしょうけど、その人生にたーくさん他の人も出演してるんだけどね。主役も脇役も、キャストは自分のみ。強い。

 

さて。

そんな感じの「強く美しき独身女性」な私の同僚の方々は、はっきりと「結婚?クソくらえ。子供?絶対要らない」と言います。

よもや何だか、カッコイイよね。そこまで言い切ってくれるとね。

だいたいみんな40代。今子供が出来るかどうかではなく、「自分の人生には、それらは要らない」と生きてきて今があるだけ。そんな彼女達にもちゃんと定職に付いてるまともな彼氏が居ます。でも結婚しない。

 

彼女達は結婚に伴う「問題」を人生に入れたくないらしく。

「旦那の面倒みたくない」「自分の飯だけ作ってればいい」「好きな時に好きなだけお金を使いたい」「他人に干渉されたくない」「旦那に付属する家族親戚問題に関わりたくない(旦那にも関わって欲しくない)」「毎日顔みたくない」「自分の聖域に入られると邪魔」などなどが理由。

それらが嫌なら、結婚しないのもごもっともです。

そしてもちろん、子供に対する理由もそんな感じ。

「手がかかる」「お金がかかる」「自分の時間を失う」「子供の問題に頭を悩ませたくない」「子供にまつわる行事や親戚との関わりは面倒くさい」「24時間一緒にいるなんてありえない」

 

よもや子供も旦那も、商品かって感じです。「それ要る、要らない」的な。

 

賛否両論あると思いますが。私は大賛成です。

健全だと思う。これ全部、言っているのは『女性』であるということが。

この独身女性達、みんなしっかり稼いでいて、家持ち車持ち。家を複数持ってる人も居る。若い頃から働いて、自分で買ったもので、決して親が与えたとかではない。毎年旅行もがっつり行くし、夜遊びもそこそこする。

「独身だから、身軽だよね」とかではないと思う。

結婚して子供がいる人達ならなおさらわかるんじゃないかと思うが、一人の収入でそこまで生活を充実させるのって、すごい『自分力』だなと思う。

 

論点ありすぎて異論の余地はものすごくあるのは承知のうえで、やっぱり健全だと思う。

①本人達が納得して自分の人生を選んで生きている。

②社会の中の自分の立場や観念にとらわれる必要がないことを知っている。

③流されてないし、悔やんでない。

 

まるで人生の成功者ではないか。

私は日本出身なので、どうしても日本としか比較できないけども。これらの結婚したくない理由や子供を欲しくない理由って、女性は常に「言われる、聞かされる」側にある気がする。

何より「子供が欲しくない」なんて、思ってても口に出せるような社会ではなかったような。(注:10年前の日本国です)「いつ結婚するのか?」「いつ子供を産むのか?」「結婚できるのか?」「子供が作れないのか?」

 

「出来るか出来ないか」で判断される威圧感。

 

個がどうしたいかの意思ではなく、いつも親や近所や誰かからの「余計な期待」からのプレッシャー。

こころない人達の不躾な発言に「どうして私の人生に口を挟んでくるんだ?」といつもブチ切れしていた若かりし頃の私。

(よもや「子供がかわいいと思ったことがない」なんて言ったら、私には何か深刻な欠陥があるんじゃないかと、、、いや、あるのか。これはあるんだろう。うむ。)

でもその欠陥も全部ひっくるめて、「私がどうしたいか」ということが本当はとても大事なわけで。

 

でもね、日本ではそれが出来ないよね。いや、出来るのかもしれないけども、もの凄くやりづらいよね。

どこを見てもほぼ日本人という同民族で、見た目もほぼ一緒。人が近くに居すぎて、どうしても他人やその集団からのエネルギーとかで揉みくちゃにされてしまう。まして日本社会は「みな同じようであれ」という呪いさえかけてくる。

 

(日本のみなさん、疲れたら是非、カナダに遊びに来てね。都市部以外はまだまだ本当にだだっ広いからね。)

 

追記:もちろんカナダ人がみんなこんなに攻め攻めな人達ばかりではないし、どこの国でもあるであろう出来婚とか、出来ても未婚でシングルとかもたくさんいる。最も多いのは再婚と連れ子再婚かと思われる。この記事はあくまでも、私の職場の話。

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いじめをぶっ飛ばせ 傷ついた心に

 

 いじめ記事のとりあえずの締めとして、オススメを紹介。

 くれぐれも、前回の記事読んでからこの意味を噛み締めて欲しい。(願)

 

 中学生時代は、ちょうど斉藤由貴が教師役で萩原聖人が不良高校生役で主演の「学校へ行こう」というドラマがやっていて。学ランの萩原聖人に激惚れ。主題歌がブルーハーツだった。それでブルーハーツを知り、中学はブルーハーツで生き抜く。

ヒロトの純朴な声と時にぶっきらぼうな?歌い方がとってもカッコイイ。

「終わらない歌・リンダリンダ・君のため」今もなお、人生の応援歌です。

リアルタイムで知れて良かったアーティスト。最高

自身のいじめの経験とその経緯を、一緒に闘う友人や家族とのやりとりなども含めて暗くも重くもなり過ぎずにうまく描かれている作品。自分をいじめていた「立場上大きな相手」に、親友と立ち向かう場面はとても素晴らしい。いじめと一人で立ち向かうしかなかった私と、そうするしかなかった大勢の同志へ。これを読んで「こんな友達が居たら、一緒に泣けただろう」と安心して欲しい一品。

今は大分人気なのでしょうか?マキシマムザホルモン。初めて知ったのは数年前。私に彼らの存在を教えてくれた人の弟は10年も前から彼らの音楽を聴いて励まされていたらしい。初めて見た時、衝撃でした。でも、ホント良い曲ばかり。生き様も好き。不器用に一生懸命に生きてきたところがとても好き。リアルな人間の歌う、リアルな生きる曲。リズムも曲調も好きですが、特に「予習復習」はいじめられっ子には絶対オススメ。聴いて、励まされて、戦え。強くなって良い、君が強くなっても、誰も傷つけないよ。

強くて弱いも困りもの

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まぁ、いじめの続きの話。ちょっと長め。

 

Q. あなたの人生でビックリしたことはなんですか?

A. ①部活に行ったら部室から自分の机や荷物が外に投げ出されてた

  ②22歳の時、わずか19歳にして彼氏が天国に帰って行った

  ③結婚直前に「人生の断捨離」のつもりで気軽に受けた「簡易エイズ検査」でひっ  かかり、再検査の結果が出るまでの1週間何度も逃亡したくなる衝動に駆られた

  ④規定の年齢に達したので子宮がん検診を受けたら、6ヶ月ごとに受けるように言  われたその後の検診で5回続けて「異常あり」と出た

 

ちなみに③は、血液の性質上日本人の100人に1人はそういう反応を示すそうです。知らんがな。

(今日のAは妙にリアルアンサーですもんねー。時々出ますよ ヨーチェケラッ)

 

私は小さい頃から、臆病者の甘ったれの内弁慶で生きてきました。もちろん、生まれた環境もありますね。2人姉妹の次女なので、甘ったれは後付けの性格オプションですかね。

だけどめっぽう根性座ってたみたいで。生きる根性っていうか、立ち向かう強さっていうのか。私の人生のステージ名は「愛と強さと根性。娘」的な。(舞台裏にはバックダンサーズとして常時「ギャン泣き、ダダ泣き、ズタボロ、満身創痍。娘」がもれなく涙と鼻水垂れ流しながらぐねぐね踊り続けてます。)

 

さて。

中途半端な地方の田舎によくある子供社会の縮図のように、私の育った町も小中同じメンツが通い続けるという、「仲が良ければ天国、悪ければ地獄」という9年間。

私はその内合計すると約3年間が「部活限定地獄」で、部活内でのみ仲間外れにあうわけです。

小中学校の頃はまだかわいいもんですね。田舎のバカガキの思いつく意地悪なんて、小さな子供社会の仲間外れのみ。子供なりにその組織での力関係を学びながら、他者に飲まれなければ生きていけない「付属組」の生き方習得講座として学校生活が成り立っていく。これもとても大事な学びですね。

大概、小中学校でのいじめや仲間外れは「中核」になるジャイアン組がなぜかのび太を定期的に替えていくということが起こるわけですが、例に漏れず私にもその「ジャイアン組に入って次ののび太を外れにせよ」という通達が回ってくる機会があるわけです。

 

「ヤナコッタ」

 

結果、その次からの半永久のび太に私がなるわけですが。

あれ、よく「のび組」から「ジャイ組」に鞍替えできるなぁって、他の子を見ては悲しく感心してました。まぁ小学生でもう生き方決まるっていうか。その後の「生き様」出てるっていうか。

 

自分ガ刺サレテ痛イ思イシタソノ針ヲ、ヨクソノ血モ乾カヌウチ二他人二刺セマスネ

貴方サドデスカ? イヤ、マゾカ?

 

私にはまったく理解が出来なかった。

自分の心が痛まないのかな。痛いとわかってて刺すほうが、痛みを知らぬバカが刺すよりもっと重い。刺される人にとってじゃない、刺す君にとって。

痛みを知らぬふりをしても、絶対にふりのままでは終わらない。その重みと痛み、自分に返ってくるじゃないか。

 

子供時代に他の子よりもちょっと「体が大きい」とか「力が強い」とかで「すごい」みたいに無理やりジャイアンの地位についたりするとろくなことないよ。ほんと。

てゆーか、そんなに体がデカイなら、畑仕事でも手伝っとけよ。(んだんだ。)

ジャイ組に入ったら、もれなく地域貢献で校長に表彰される、みたいな。

力の使い方、間違っちゃいけねー。

 

さてさて私はというと、部活以外は友達にも恵まれ、成績もまぁ優秀で運動能力もあり、生徒や教師父兄からも人望がありました。で、ジャイ組の仕打ちに心は傷つきながらも無事に小中卒業。で、次。

 

高校になるとねー。これまた、ジャイ組がチンピラに昇格するんですよねー。

たちが悪い。

小中の「ただ体がデカイ」とかだったバカジャイ組が、今度はちょっと「タバコ吸う」「万引きする」「無免許で原付乗る」とかを誇りにする「違法ジャイ組組長」とかになってくる。

いやぁ、ほんとこれ、たちが悪い。

 

何があったかというと、ここでも私は「部活限定地獄」に突入するわけです。もうこれ、本格的な地獄絵図ですね。出てくる鬼が半端ない。

小中ジャイアンの比じゃなく醜い。身も心も魂も、半端なく醜い。

(ちなみに私の行った高校は、ジャイ女子高等学校です。)

 

私の通ったその高校は、私の育った町からは通学可能圏外で、やむをえず学校の近くに下宿することになりまして。同居人は他に私のような通学圏外から来てる同部活の人2人と、家主のおばあちゃん。そして高校生活の中頃には、ジャイ組が、私にとって唯一の砦のこの下宿にも問題持ち込んだり心の乱闘をけしかけてくるということが起こるわけですね、やはり。

 

この女子高生のチンピラジャイ組構成員たちは、この段階で「ゴリラ@母に捨てられ父の再婚の継母との同居(継母は最高に良い人でしたが)」とか、「ミス他人の権力に抱かれろ「あなたのケツ舐めます」みたいなデブカッパ」とか、ジャイ組組長にいたっては「カッツェLOVE盗んだバイクで走り出せ!元彼氏は族のヘッド」みたいな感じになってまして。イッツァスモールワールド ザ・ジャイ子とブサイク7人のゴブリンみたいなファンタジーを繰り広げていくわけですね。

 

組長は知恵があるので、直接的に表立ったことはしてこないわけですが、構成員の皆様はガチで低すぎて偏差値が測れないほどのバカぶりだったので、ありとあらゆる酷いことをやってくるわけです。

ある冬のこと。週に一度の「部室で強制ランチ地獄」の日に、私の後ろの席の女狐が

私が座れないように、自分の椅子で私の席を完全ブロックしてきたことがありました。3学年全員みているその中で、私一人立ったまま座れず。でもこちらは関わりたくもないわけで、声もかけたくない。あまりにも不穏な空気に耐えかねた女狐の連れが彼女を促し、私は座ることに。が、私のお腹と背中がピッタンコするほど今度はきつく押してくる。 誰が飯食えるかこの環境で。

その冬私は2週間で8キロ減に成功するわけです。キャッホー。 

 

まぁその他には、遠征中のバスで移動中に後ろの席から座席を思いっきり蹴られるとか、顧問の先生と数人の生徒での移動の最中に見えてないところでまた座席を後ろから蹴られるとか(あの、これ、顧問のBMWなんですけど、、)、練習中に私だけ縫い目のすっかり消えたゴミボールを与えられるとか、大声で文句や悪口を部活外の校内で言われるとか、ある日部活に行くと私の荷物と机セットが部室の外に投げ出されている、とか。

 

座席を蹴られる等の「直接的に身体に響くもの」も相当に良い気がしないけれど、いじめや仲間外れで本当にいやなことは、何のプレイですか?というような「公開処刑」です。

そもそも処刑される筋合いはないんだけども。相手はジャイ組です、よもや仕方ない。

仕方ない、が。他の学年の部員の前でそんなことされたら、私の存在や人権や威厳はまったく失われるわけですね。その社会の中で、生きていきづらくなるじゃない。

部室の外に投げ出されている私の荷物の横で、所在なさげに私とはち合わせしてしまう後輩の顔ったら。でも私もね、傷ついてますよ。あなたがジャイ組のパワーに負けて、その荷物と私を複雑そうにみているその姿を見て、「人は愚かな力に戦わずして負けるものだ」と寂しくなりますよ。

戦って死んで欲しいわけじゃないけど。たくさんの人の弱さや愚かさをみて、悲しくなる学生時代をすごしたのも事実ですね。

 

思っていた以上に長く陰気になったので、ここらで締めないと。

 

結果的に、じゃぁそれって、「YOU、部活やめちゃいなよ」ってことなんじゃないかって話なんですけども。

そこに私の強さがやってくるわけですね。白馬に乗った屈強な王子様っていうか、空気のよめないケンタウルス?みたいな感じで。

そもそも、私は当時そのスポーツで将来生計を立てるというのが夢だったので、そのスポーツを止めることだけは「絶対に」嫌だったわけです。

毎日、朝(全体)昼(自主)晩(全体)と練習して、親元離れて学力レベルまで落としてそのジャイ女子校に行ったのには『夢』があったからなわけですよ。

でもみんなそうでしょう? 何か嫌なことがある、嫌な人がいる、それだけではその場所を離れるに値しないことだって山ほどあるでしょう。

さらに、その部活をするために通い始めたわけですから、世間を知らない高校生の私は、私立高校のスポーツ特待生でもないのに、「これで部活を辞めたら、学校を退学になる」と信じてたりするわけで。オーマイガッ。無知って怖い。

 

まぁ、私の場合はちょっと我慢をし過ぎましたが。そしてその後数年間は、見えない傷をひきずっていくことになるのですが。

 

私がその時経験したいじめで最も恐怖だったのは、仲間外れでも罵声でもなく、「練習する機会を奪われること」これにつきました。

 

球触らせろや。練習させろや。投げさせろや。共同練習はやらせろや。

 

そのために私は、その時の自分の人生全部ぶっ込んでいたんです。それを横からやんややんやと努力も練習もしないバカでクソな奴らに妨害されてたまるか。そう思って頑張っていたわけですね。

結局、高校三年間通しで国体選手にも選ばれ、チームも強く、個人でも賞を獲るなどの結果は出ましたが。

結果は結果に過ぎず。そんなもんが欲しかったわけではない。私はプロになりたかったので、結局その夢は形を変えることになるわけですが。

 

最終的に。高校を卒業間際になって、ジャイ組組長よりご挨拶を承ることになるのですが。

「マジ、お前ホントすげーと思う。すげー強ぇと思う。僕だったら絶対途中で辞めてる。お前、マジ強ぇと思う。」と。

 

なんだそれ。

 

いじめって、最終的には自分との折り合いのつけ方というか、戦い方というか。

その後の人生でも何度も「自分を試される瞬間」みたいなものはやってくるわけで。

その恐怖や嫌悪感に対峙することによって開ける自分の可能性とか価値とかが、見いだせるなら逃げなきゃいい。

一時的に血を吐いたって、死なない程度で済むなら、どんなに傷ついても必ず傷は癒えるから。進むが良しとするなら、逃げずに進めばいい。

でもそこに、戦う価値もないほどのアホらしさしか見られないのだったら、とっとと逃げればいい。私のように「どうしても守りたいもの=球」みたいな決意とか目標とか夢とか、そんな感じのものなどなく、ただ毎日そこに居る人達からいじめられたり嫌がらせを受けたりしているなら、それが苦痛で毎日死にたいと思ったり、体調を崩したり、朝起き上がれなかったりするなら、そんなクソな団体から抜ければ良い。

 

自分の生きる場所は選べる。 生きたいところで、生きるべし。

生きたくないほど辛いなら、「死んでもやりたくない」ような未だ見ぬチャレンジしてから死ねば良い。 いじめに立ち向かえってことではない。 

高いところが怖いなら、バンジージャンプとか。暗がりならお化け屋敷とか。

頭にきて仕方ない時は「1人イカれダンス」とか。死ぬ気になってやってみたら良い。

そしたら、なんで今自分のいる場所に踏みとどまっているのかとバカらしくなるかもしれない。

 

これ以上生きたくないほど辛いなら、場所を変えてみると良い。あなたの魂が喜ぶ場所が、この地上には必ずあると思う。

人生は短い。生きてる間に、見つけ出せ。

 

続く。

 

 

いじめられっ子諸君へ 『逃げろ』でも『諦めるな』

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はじめに。

諦めるなっていうのは、勝つか負けるかの問題じゃないですよ。負けるもなにもね。いじめはしている側が完全に負けです。良いこと一個もないもんね。だって、いじめっ子なあなた。あなたには「人をいじめて苦しめた」という罪が、カルマが、一生(もしくわその後の来世も)ついてまわる。悔い改めない限り、あなたの人生はろくな幸せが待ってません。

 

Q. 学生中に、いじめられたことがありますか?

A. ①はい ②いいえ ③いじめてました ④見てました ⑤いじめっこの取り巻きでした ⑥関係ないけどいじめっこをフルボッコしました ⑦教師でした ⑧親です

 

⑦と⑧、大人として関係していることの闇の深さが恐ろしく響きますね。いじめていることがじゃなくて。

自分がいじめが存在しているクラスや学校、団体の「教師」だったらと思うと、私はぞっとします。

自分の子供がいじめられる、なんてことを想像しただけで、いじめる子をフルボッコにするところを想像したりして、血の気があがります。(子供いないけど)

「教師」だったらぞっとする、というのは、いじめっ子は救えないと感じるからです。いじめられっ子は、悲しいかな人生の痛みを知り、今後の人生もその今の人生も救える可能性が高いからです。闇を見たら希望を知る。いじめられっ子は幸せになる素質があります。

でもいじめっ子は?

例えば。DVしてる人を治療するより、されている人の方が人生にある自分自身の問題に向き合う可能性が高い。(痛みを感じることで自己存在を肯定してるから共依存ではあるのですが。それは置いといて。)

痛みを感じているから逃げたいと思える。抜け出したいと思える。

DVしている人は?弱き者をいじめる奴は、その穴から抜け出せないだろう。だって相手が弱いからいじめてる。痛みもわからずに。自分の問題を、他人に押し付け、すり替えてそれを潰そうとしている。それ、あんたの問題だからね。殴ってる女の問題じゃないからね。

でもいじめられる側は、その「一時期の」「仮りの」弱き者になった自分という存在を、必ず救い出すことが出来る。自分が諦めなければ。

 

この記事を、いじめられっ子が目にする可能性はあるのかな?

この記事を、我が子がいじめられてる親が目にする可能性の方が高いのかな?

 

もしも自分の子供がいじめられて朝起き上がれないほど苦しんでいたら、その団体や学校に行くのを一時的にでも永久的にでも、やめさせてあげてください。 

生きてこそ。心がどうにもならないくらいに折れたら、復活の呪文も効かない。

いじめられっ子が小中学生なら、専門の児童カウンセラーに会わせてあげましょう。

親のあなたも、あなたこそ、心が救われる方法が見つかるでしょう。

いじめられっ子が高校生なら、そんな高校行くな。やめても問題なし。夜間や通信だってある。

「本当に良い大学」にでも行かない限り、人と比べるに値するような「成功者」「勝ち組」なんてつまらない人達が呼ぶような生活にはならない。クソみたいな集団に入り続けて自分の魂削るくらいなら、新天地求めて今の自分が出来る限りのことをした方が良い。

 

学校は、人が「大人」というものになるまでの「時間つぶし」に行くものです。

「大人」の仲間入りして、自分でお金が稼げるようになったら、学校なんて行っても行ってなくても大した問題じゃない。

本当に勉強したいことがあるなら、幾つになってもどこででも始められる。

 

いじめられっ子なあなたも、その親のあなたも。

もっと大切なことがあります。

 

もしも自分が、我が子が、いじめられていたら、何か新しいことを始めさせてあげましょう。学校に行けなくて家にこもってしまったら、何でも良いから「表現する」ことをさせてあげましょう。

絵を描く、色を選ぶ、ストーリーを作る、筋トレする、走る、パズルをする、格闘技を始める、音楽を始める、日記をつける、踊る、歌う、何でも良い。

本人がつまらない集団社会で窒息死する前に。そんなことを忘れてしまうほど没頭できる何かが見つかったら、その子の人生は安泰です。いじめられた子の感性はいろんな形で癒されることが出来る。そしてその感性は才能になります。

その怒りを、悲しみを、自分で出来る何かに投影させれば良い。

 

いじめを傍観している子より、いじめている子より、自分がいじめられても決して他人をいじめない自分であったら、もういじめ戦争からはとっくに抜け出しているよ。

いじめられっ子には幸せになる価値がある。

自分の才能を見つけるチャンスだ。

 

全国のいじめられっ子諸君、逃げろ!でも自分を諦めるな。

 

続く⭐︎

 

 

 

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