生きる道 

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今回は、前回の記事「シンクロニシティ」の続き。

Q.  あなたにはどうしても会いたい人が、、、

 

A. ①居る ②居ない ③来世でよろしく

 

私がシンクロニシティに魅了されていく前に、読み始めた本があります。

ブライアン・L・ワイス博士の『前世療法』と『魂の伴侶』でした。

 

 

当時私は、重症心身障害児者施設(入所施設)というところで指導員(介護と活動のサポート)をしていました。そして人生の全てのシワがそこに凝縮されたような過酷な日々を過ごしていました。はっきりいって、とてもストレスフルでした。

「仕事内容」が辛かったわけではないと思います。ただちょっと、当時の私には『無理』でした。そしてその無理は完璧なタイミングと方法で私を動かすわけです。

 

今こうして当時よりも少し知恵をつけ、人生に起こる出来事の意味合いが自分なりに少しは理解できるようになってから振り返ると、当時の私はなんていうか、、、『軽装備でチョモランマ向かってる』みたいな危うさ。

生きづらいを通り越して、よもや苦行でしかない日々でした。

 

これは決して「仕事がきつい」ではないのです。その時の仕事は私に気づきをもたらすのに完璧な役割を果たしただけでした。ワイス博士の本に出会った時、私は25歳になっていました。障害者施設に就職してから3年目、腰にくっついている小さな骨に亀裂がみつかり、腰痛で立てなくなりました。結果、休業を強いられリハビリ入院することに。

でもこの亀裂、実は私がその昔「ジャイ子軍団」(詳しくはいじめの記事を)と闘っていた日々についたであろう、「成長期の過酷な運動による軟骨骨折」だそうで。その時は軟骨なので、痛みを感じないのだそう。人によっては、70歳になるまでまったく気づかず高齢者特有の腰痛や持病のオマケで撮ったレントゲンでたまたまその軟骨の亀裂を発覚することもあるほど、それが原因で歩けなくなることはないという程度のもの。でも私はそれをはるか後の25歳で発見することになり、さらに「スーパーで30分の買い物が出来ない」ほどの腰痛に出会うわけです。

 

身体的な原因は、不規則な勤務体制と生活により体に過度の負荷がかかったことですが、人生のタイミングでいうならば「スピリチュアルに突入せよ」という時期だったのでしょう。「悲しい」や「苦しい」だけでは到底その後をやり過ごせない時期に来ていたからです。

 

その施設に就職を決めたのは、当時19歳だった彼が突然死んでしまったからでした。

私が彼に出会ったのは私が21歳の冬の終わり、彼はまだ18歳でした。二輪と同時に受講していた四輪免許の教習で、私の教習所友達である子の付き添いとして遊びに来ていた彼に出会ったのが初めでした。それからずっと良き弟分のように仲良くしていたその彼と付き合い始めた1週間後、私の住んでいたアパートからの帰り道に、彼は帰らぬ人になりました。

 

衝撃。その一言。

 

最後に会っていた日の夜中じゅう、彼は人生の話をしてました。これからどこか遠くに行くのがわかっているような、手を伸ばしても掴めないような。隣で話を聞きながら、どうにも出来ない寂しさを覚えました。虫の知らせ、というか空気は全てを知っている、というか。私は何も言えない、言えないけど言いたい、止められないけどどうしても止めたい、でも出来ない、そんな感覚でした。

「次に会うのはクリスマスだね。」「俺めっちゃ楽しみやわ。」という約束をして、彼は帰っていきました。そしてその日はいつも来ていた二輪ではなく、車でした。車なのに、事故で死んでしまいました。

 

彼の事故や死を通して私はたくさんの「目には見えない何かの力」と、この件から始まるものすごい数の『奇跡』を見ることになります。

見るのだけども、当時の私はまだ、何がなんだかわからない。

わかるのは、「どうにもならない大きな力」があるということだけ。

 

(彼の名誉のために補足しますと、自殺ではありません。私はこの件で「最後に会っていた参考人」として高槻警察署に呼ばれ、事情聴取を受けました。とても穏やかでまっすぐな対応で接してくださったその道のベテラン刑事さんといろんな可能性を検証しましたが、自殺ではないと断定されました。刑事さんにも掴めない「そこにありそうで見えない何か」にお互い首を傾げながら、その件は「若く悲しい事故」ということで収められました。)

 

当時のすべての場面場面が、掛け違えることのできない精巧なパズルのように、すべての現象をつくっていました。何も言えない、手も出せない。私はただそこに関わり、登場して、一緒に時間を過ごしたけれども、その時確かにそこに居て存在していた彼は、霧のように消えてしまいました。

 

臨死体験(NDE-Near Deth Experience)などで言われるような「本人の体験」ではありませんが、私がその時体験したすべてがものすごい感覚でした。

その日から毎日、1年間は毎日泣きました。悲しみの中にあるのだけど、悲しみだけではないいろんなことがわかってきました。

 

その彼が生きている間に、私をバイト先まで迎えに来てくれたことがありました。その時のバイト先が、この障害者施設でした。彼は大阪に住んでおり、私は京都。施設は滋賀にあり、宿泊施設が完備されていたので、大量の荷物を持ち込んで寮生活をしていました。

その最終日、荷物を全て引き上げなければならないので誰か車を持っている人の助けを、、と考えた時に真っ先に思いついたのが、もう免許もあり実家に住んでいて車もある、その時には19歳になっていた弟分の彼でした。(当時の私は大学生で、周りの友達は誰も車なんて持ってなかったので大変助かったわけですね。)

 

その数ヶ月後、彼は亡くなります。亡くなってしまった後で、私はどうにか自分の記憶にある彼の断片を全て集めたくなるわけです。「失った」ということを理解するためなのか、したくないからなのか。私の記憶だけが頼りです。

『この脳に刻まれた彼の形跡の全てを、生きていた証を、全てかき集めなければ。そしてそれが消えてしまう前に、安全な場所に保管しなくては。』

 

そこから「彼の生きた思い出」の全てと、亡くなってからもなお感じられることの出来た「彼の愛」つまり私が見はじめる『奇跡の数々』を探すのが当たり前になる日々が始まっていくのです。

 

 

 さて、25歳の腰痛の私に戻ります。

しばらく我慢していましたが、腰が痛くて痛くて、日常生活にいよいよ支障が出はじめました。そのため整形外科を受診。すると1件目の医者は恐ろしくふざけた医者で、2枚しか撮らないレントゲン写真を見て笑いながら一言「治らないね。かわいそうに、もう子供も産めないでしょうね」

 

 マジか。 YOU、それマジか。

 

何がマジかって、診断ではなく、その態度がマジか。え、なになに?ちょっと茶髪で若い女が腰痛で受診したら、何を想像してるかわからんがニヤついたふざけた顔して己は婦人科の知識など到底ないであろうにもかかわらず「子供ができない」まで言及するんか? しかも言い切ったよね?今、言い切ったよね?

 

今でこそこの医者をうっかり小型ナイフで刺せそうですが、当時はもうショックでショックで。そこで、今度はちゃんとした病院を調べて、スポーツ選手などがこぞって受診しに来ているという京都の病院を訪ねることに。

すると本当のお医者さんがここで私を待っていてくれて、あっさりと「子供無理説」を根拠ある自信と説明で否定してくれます。

そして私は「リハビリ入院」をすることに。

 

その時に、当時まったく仲が良かったわけでもない同僚から、その人からは思いもよらない本『前世療法』をもらうことになるのです。「これもう読まないからあげるよー」みたいな軽いノリで。

 

まさかそんな形で回ってきた本で、自分の人生が開けていくとは。

でもそんなものです。いつも大切な誰かが、必ずしも大切なメッセージを運んでくるとは限らない。

人生の節目節目に、こういう「その時限定の名キャスト」みたいな出会いがあるものです。

 

そうして私は、検査と痛み止めを継続的にあびながら、筋肉痛と闘う「退屈だが体力的にきついリハビリ入院」のベッドの上でワイス博士の『前世療法』と『魂の伴侶』という本を読み始めるわけです。

 

 

追記:このワイス博士の本は、「懐疑的だが前世や輪廻転生のことがちょっと知りたい」「スピリチュアル風の強いフワフワしたものは苦手」な人にとてもオススメの本格派スピリチュアル入門書です。博士はご自身が精神科医というバリバリの科学畑で生きてきた方なので、初めて患者が過去生退行した時にはとても驚かれています。そんな博士の数々の実体験を、とても穏やかにそして冷静に書かれた本です。「ありえない」ことではなくて、「実際にフツーにあること」とわかる面白い本です。「苦し過ぎてどうしていいかわからない」「何でこんなに苦しいのかがわからない」「原因不明の痛みがある」「ダメだとわかっていながらもどうしても抵抗できない引力で惹かれてしまう人がいる」「自分の中にはっきりと今世とは別の記憶がある」などがある人にも、何か答えがみつかるかもしれないオススメの作品です。

 

続く⭐︎

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