臆病者の勇気 人生の流れ【学業編】
またしても、勤務にて間があいてしまった。
写真は職場からの帰り道をパシャり。このあたりは今が紅葉のピーク。
さて、
Q. あなたは今の(今までの)仕事が(職場が)、、、
A. ①好き ②好きじゃない ③ありえない ④どこも一緒 ⑤未だ見ぬ聖地を探してるところ ⑥その旅はもう終えた
勤務が続くと、そちらにばかり気を注いでしまい、こちらが書けない。
というか、勤務に専念せざるを得ない。なぜならば。
私は英語が得意ではない。 orz
カナダだけなのか、英語圏の外国はみんなそうなのかは知らないけれど、外国に行った日本人あるあるの一つと思うが、一番最初に住み始めた(もしくはその地を訪ねた)時に、「コーヒーの一つも頼めない」という現実が待っている。
これって結構凹みます。
私は一応、日本の大学を出ていて。英語は10年間文法等をみっちり勉強させられてきたはずで。バリバリ文法は頭に入ってると自負していたはずが。
カナダに来て最初の一言だった「センキュー」が通じなかったあの衝撃は今でも忘れていない。いや、忘れてなるものか。トラウマよ。
その後英語を話せないまま半年ほど、旦那が当時ボランティアで日本語教師をしていた小学校に隣接する幼稚園で私もボランティアをすることになるのですが、「子供だから」となめていた私にクラスの中でも生意気そうなお子ちゃまが一言、
「ドウシテフランス語話シテルノ?」
確かにボショボショ言ってるけどね。。。orz 英語じゃ!!(叫)
そんなこんなでその町を後にし、現在住んでいる場所に引っ越すわけですが。(注:任期が完了したためです。決して英語の問題ではありません。)
現在住んでいる場所は観光地ということもあり、カナダ国内外からもたくさん観光客が訪れる街なので、コーヒーの注文も問題なく出来、ちょっと一安心。ホッ。
(この街では、コーヒーショップの店員さんの耳が英語が第2言語の人達の英語に慣れているため、大概のオーダーが通じるわけです。もちろん店員さんも、いろんな国から来ている人達だったりしますので、なおさら通じます。)
でもこのままではマズイ。コーヒーが注文出来ても、カナダのことも英語も何も知らない。カナダで生き残るためには何をするべきか?
ということで、一番近くの職業訓練系のカレッジへ入学するのですが。確か最初に英語だけのコースを1年間とったのが35才の時、それを卒業してからいよいよ美容系の専門コースを2年間とったのが36から37才。 きつい。
何がきついって、案外と脳ミソはまだまだバリバリ働くギリギリの年齢だったのですが、【怖い】。 新しい環境に入っていくのも、ましてそれが白人だらけの19や20才の若いお姉ちゃん集団の中であるというのも、彼女達の若者英語が早くてついていけないという不安があるのも、インターナショナルスチューデントに比べて半額以下といっても2年間で100万円分の学費が英語力の足りなさにより途中で落第してそのお金を全部無駄にするかもしれないことも。とにかく【怖い】。『失敗するかも知れないこと』が、この年になって本当に怖かったわけです。
ということで入学前にはやはりブルーハーツ
を聴いて、大泣きしながら自分を奮い起こすわけです。
ホントの瞬間は、マジで怖いんです。
で、入学して今までの人生の中でも最強なほどに必死で勉強して、なんとか無事に結構良い成績をとって卒業。 私、頑張りました。
が。その頃はまだ、今のホテルでハウスキーピングの仕事をやっていました。美容系のプログラムに入学する前に、それまで働いていたジャパレスを出て、ここでも勇気を振り絞って「いざカナダ社会へ!」と、職探しをしたところ、夏の間だけでも集中して働いて学費分を貯めようと思ってレジュメを送ったら、今の会社が雇ってくれました。
何社も送ってみましたが、この時は後にも先にもこのホテルだけが唯一そしてすぐに返事をくれました。
カレッジを卒業しても、それでも英語を「話す」のがとても苦手な私は、お客と直接対決しなくてはいけない今の職業には怖くて到底つけないと思っていました。
「あ、無理無理。絶対無理。」
こうなることがわかっていたので、旦那には入学する前からあらかじめこう伝えてありました。
「もしも私が無事に卒業出来ても、その後この仕事に就かなくても、学費は自分で払うから『絶対に』かけたお金のことは言わないでください。」と。
そもそも「自宅で細々とサイドビジネスとして出来ること」が最低限の、そして当時かろうじて目指せそうだった自分への最高の目標でした。
私が臆病者の内弁慶だからなのか、それとも単に年をとって少し知恵がついたからなのか。新しいことをするのも怖いですが、出来るかどうかもわからないことに挑戦する時に「絶対やります! やってみせます!」なんて、もう言えない。 そんなポジティブさ微塵も出てこない。
でも良いんです!それで良いし、それもとても健全だ!
どっちにしたって、やるんです。
いじめと一緒。絶対に諦めたくないんです、自分を。
怖いに決まってる、だって傷つくかもしれない。
怖いに決まってる、だって失敗するかもしれない。
怖いよ、だって格好悪いかもしれない。
それでも良いんです。やるっきゃないんです。
失敗したらお金はパーですが、そこでやらなきゃもう次の機会はないと思った。
年齢を考えたら、ここで2年を学業に費やすということは「子供」という万が一にあるかもしれないチャンスを失うかもしれない、とも考えました、が。
ではこの2年間、欲しいか欲しくないかもわからない、そして出来るかどうかもわからない「赤ちゃん」という未だ見ぬ神のギフトのために、「年齢的に、子供を持たないといけない」という重たい義務感だけで、自分の人生のチャンスを見送るのか。
年齢がすすめば、それだけ自分の中の勇気もさらに必要になってくる。今年行くのが怖いカレッジに、来年や再来年に行こうと思う日がくるのか。
周囲や家族は「あっちに子供、こっちに子供」と騒いでいる(ように聞こえる)が、今の自分達に子供ができたとして、この先この国でどうなるんだ。どうするんだ。
いろんなことを考えてみても、まったく「赤ちゃん」が入ってこられるタイミングではない。てゆーか、この国でちゃんと生きていけるための基盤を築かなければ。
まずは自分と旦那の「生活力」ありき。でないととても子供のことなど考えられるはずがない。私はどうしても、旦那の好きな、そして自分もすっかり好きになってしまった『この国』で、「万が一」のことが起きたとしても私の力で家計を支えられるような仕事力を身につけたかったのです。それが最優先であり、絶対目標。生きねば、この国で。まずは自分達が、生き残らねば。
それに。【怖い】時ほど自分に向き合わなければいけない時だと、知っているのです。 泣けるほど怖くて仕方がないこの【挑戦】も、私が私を諦めないための、越えねばならぬ壁なのです。私の人生の、壁。
自分の未来の可能性を、諦めるだけは出来なかった。ならば挑戦するしかないですね。泣きながらでも。
決断をするために、想像してみました。
今の自分で
①「赤ちゃんを抱きながらあやす自分。英語力、生活力ともに今のまま。将来は、さらにきついか、現状維持が最高点。」
②もしかしたら新しい自分になって、なりたい自分になって、今は想像すら出来ない世界で生きているかもしれない自分。失敗してるかもしれない、でも何も失わない。挑戦した後の、今と同じ現状か、未だ見ぬさらに素晴らしい未来。想像できないから、無限。」
①はなかった。
だって、失敗しても現場維持出来るんだから、挑戦しちゃった方が良いよね。
ということで、挑戦しました。その結果。
今ハッピー。あの頃よりも、超ハッピー。
めでたし。学業編。
続く⭐︎