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神客とエネルギーバランス 

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Q. あなたのまわりには「化け物」の類の人が、、、

A. ①居る ②居ない ❸化け物だらけ ④天使だらけ ⑤何を言っているかわからない

 

いやー、あぶなかった。

私は時々、「今日はやばい」と感じる日には出勤前に腕立て伏せをする。(毎日しなさいという感じだが。)

筋トレというよりも、むしろ『厄除け』のためです。

疲れてくるとどうしても自分のバリアが弱まるというか、エネルギーレベルが下がりますね。するとちょっとした隙をみて、そこから他人のエネルギーを食い尽くそうとする人たちが寄ってきたり、付け入ってきたりしますねー。

今回はそんな化け物と神の采配の話し。

 

【エネルギーイーター】(Energy Eater)という言葉を聞いたことがありますか?

・その人と居るとなぜかとても疲れる

・その人に会うとなぜかいつも気持ちが沈む

・近くに居ると空気がどよんとしてくる

 

東洋的にいうと「(霊的な)気、が合わない」ということになるのかもしれませんが、私の言っているこの類の人逹は「合わない」どころじゃなく、こちらを蝕んできます。そんな感覚にさせられる人達のこと。

 

以前の記事

「結婚」も「子供」もすべて自分の意思な人達 - Rainbow Worldのブログ

で、素敵な同僚たちについて書きましたが、どこの職場にも【要注意人物】もいるものですね。

何か理由があってそういう人が自分の周りにいるのでしょうが、時々もの凄い荒技でこちらを襲ってくることがあります。ホントに時々ですが、顔面殴られたかのような衝撃。

私は自分の信念を貫く強さはちょっとは持ってますが、人からの直接的な攻撃や悪意には何しろ「打たれ弱い」。そんなものに対して強くもなりたくないのですが、繊細なためもの凄く間に受けるというか、真正面から受けてしまうというか。毎回、大型ダンプに跳ね飛ばされるような感覚です。

そして私は平和主義者です。なぜ面と向かって悪意や攻撃をしかけてくるのか、そういった人逹の感覚がまったく、理解できません。相手が思っていることをぶつけてくることが「意思の疎通」を図るためなのかどうなのかはわかる由もありませんが、私にとったらそういう人たちはみな戦争屋です。なぜあえて戦いを起こす?

 

自分がした間違いや失敗についての文句ならば受けますが、今回のはどうもそういうことではない。そもそもそういう「攻撃」をかましてくる人逹は、大概自分の中だけですでに激しい思い込みと偏見により「次に標的が動いたら殴る」気満々でスタンばっていたり。そしてこちらがそちらに近づくように巧妙に罠をしかけたりします。

どちらかというと今回私はその「怒れる同僚」の本ターゲットではなくそこに居合わせた「その他全ての敵」の一人に過ぎなかったのですが、なんせ当のターゲットの人達はそんなことをまったく気にせぬ「陽気組」の人逹だったため、まったく気付いてもいない。本当に幸せな人達組。

普段は私も極力いざこざに関わらないように立ち居振舞ってますが、今回はどうにも「お客さんの前」だったので、仕方ないので「怒れる同僚」をフォローしなければならず。(痛)

これがそもそもの罠?と大きな失敗でした。

怒りで荒れ狂う同僚は、ここ数週間の彼女の人生に存在した全ての鬱憤を私にぶちまけてくることに。とほほ。

すぐにそのことを知った上司に個人的に謝られるのですが、なんか腑に落ちない。全然腑に落ちない。私はこんなにも「問題を起こさないように」いつもやっているのに。

(後に私は彼女の面子を立てるため、謝りました。謝らなくても良かったんですが(そしてカナダ人は滅多に謝りませんが)、荒ぶる気持ちはさぞ痛かろうと思い、言葉をかけました。さらにその後で彼女から「話をしてきてくれてありがとう。そして話を聞いてくれて、どうもありがとう。吐きださないと今にも狂いそうだった」と言われましたが。いや、もう狂ってたけどね。)

 

そして翌日。これが危ない。

当の「怒れた同僚」はすっきりしたようで良いんですが、この話を比較的身近な同僚に話したところ、まったく理解されない。

私的には、何が理解されないのかまったくわからない。てゆーかむしろ、私の方がまったく理解できない。

つまりこれは【共感力】の話です。内容云々ではないんです。

私は同じ同僚として、今回(も)たまたま私だったけど、誰にでも起こりうるトバッチリ被害について、「痛かった。ビックリした。ちょっと怖かった。めっちゃ荒れ狂ってた、あの人。マジ暴走ダンプだった。」と伝えようとしたのに、まったく他人事。まるっきりこちらの「心」はお構いなしの無関心。

 

なんでそんなに人の話を聞かないのか。聞こうともしないのか。感じようともしないのか。

へたにちょっと身近なだけに、余計に凹みました。いや、わかっていたんだけど、通じないタイプの人達とわかっていたんだけど。わかっていたけど、久しぶりに凹みました。こんなに近くにいるのに、同じ仕事してるのに、同じ境遇なのに、無理解という無情。

 

みんなね、今は仕事が忙しくなくて、勤務時間も減って、トリートメント数も減って、つまりは収入も減って、ギスギスイライラしているんです。それは知ってますよ、知ってますけどね。

たったそれだけで、自分がちょっと辛いだけで、そんなにも人に無関心だったり優しくなれなかったりするのか?と、がっかりしたのです。

ここでうまく伝えられないのが苦しい。「私に対して」じゃなくて。それもあるけどそうじゃなくて。

 

そんなに無関心で、無感覚で生きてるなら、死んでいるのと同じじゃないか。

 

私は、人の話には耳を、心を、傾けます。その人の心が、気持ちが、一体本当はどうやって叫んでいるのか、泣いているのか。私は知りたいし、わかる努力をしたい。その人を目の前にしたら、私の感覚の全てでその人の状況を、心情を、魂を、気持ちを、愛情をわかりたい。それが生きてるってことじゃないのか?【生きて出会う】ってことじゃないのか?

 

人の気持ちにも触れずに、ただボーッとそこに居る。死んでるのと一緒じゃないか。何してんだよ。

(注:決して死者を冒涜しているのではありません。)

 

そんなことをまだまとまらない頭で悶々と考えていたその日、勤務の最後にトリートメントが入っていました。その日の最終の最終。他のトリートメントは全て終了しており、残っているのは私と、デスクの子と、そのお客さんだけ。

こういう時、神様という存在は必ずもの凄いことをやってのけます。

私はその人に会う直前まで、凹み悶々と悲しく怒ってました。でもなんとなく、そんな気がしていました。この最後のお客さんに、何か意味があるのではないかと。

エレベーターから降りてきたそのお客さんを見た瞬間に、一目でわかりました。

『わかる人』だと。挨拶に返してくるその目とその空気の全てが物語っていました。

この時点で、既に私は泣きそうです。ついさっきまで、世界で一人みたいな苦しみだった私の心と魂が、安全な優しい光に癒されるかのような感覚。

こういうこと、よくあります。自分が何か大事な「感覚」や「疑問」や「想い」を内側に持っているとき、その答えや共鳴や何かがふっと目の前に現れます。

場所も状況も関係ないけれど、最近よくこうして「お客」として現れてくれることがあります。お客さんとようやく雑談が出来るようになり、会話も弾むようになったためか、さらにその出会いの精巧さが感じられるようになりました。そしてお客さんのほとんどが一見さんの私の職場では、毎回カナダ国内外のあらゆるところから「たまたま」という完璧なタイミングで私の目の前に姿を見せてくれるのです。【縁】といえばそうなんですが、全ては最善のタイミングで導かれていると思う瞬間です。

 

さて、トリートメントが始まり、お客さんが話し始めたのが「エネルギーバランス」について。これはだいぶスピリチュアルな内容です。いろんなタイプのお客さんと同僚とがいますが、あるタイプはずっと「お金と生活の心配事」を話し、またあるタイプは「病気、ケガ、事故」について、「嫌な親戚と亭主、うるさい子供」のことばかりを話す人たちも。時々「神について」と話す人も居ますが、基本的に宗教の話はタブーとされている(はずの)文化なので、宗教理念みたいなことはごくごく稀に聞くことがあるだけ。そして数少ないお客さんではありますが、こうして「スピリチュアルや命の真理」みたいなことを知っている、そして話す人に出会います。私はこの「スピリチュアル」について話す人たちが大好きです。こういう人たちはみんな真実を探そうとしていたり、人生と向き合おうとしていたり、愛や幸せとは何かということを静かに探ろうとしているからです。そしてそういう人逹と話すと今回のように、時々心の底から『伝わる・通じる・浸透する』というような感覚になります。

私にも彼女の話すことがとても浸透しましたが、彼女にもそうだったよう。私の触れる手が、空気が、話す内容が、それら全てが彼女を癒していくのがわかります。

 

私の魂はそのお客さんとの出会いで喜び、だいぶ復活します。その後もこの記事を書くまでの間だいぶ憤りながら悶々としましたが、悲しい凹みは一気に解消しました。

初めて出会う、たった一人の「お客さん」という関係の人。トリートメントは50分ですが、彼女のエネルギ一はー目で通じたので、ほんの数秒のコンタクトで、こんなにもわかり合える存在に出会えるということが、人間に幻滅しがっつり凹んでいた私にまた愛を吹き込みました。

たった一人でも良い。わかってくれる人や、伝わるという感覚の相手。

たった一人でもそこに居てくれたら、私がこうしてこの「感覚」で生きていて良いと思える証になる。

 

そうそう。今回の件はまさに私にとって、「物理的に近い距離に存在する物体がすべてではない」と再度思わせるきっかけになりました。現実社会・物理的な社会で近くにある「目に見える」世界には、やっぱりこうして限界がある、というのをあらためて再度実感しました。そこに人が居るからって、その物体がわかってくれるとは限らない。触れるからって、口がきけるからって、伝わるとは限らない。

当たり前のことだけど、ついつい目に見える範囲のことしか認識しないようになってしまう。

 

そう思うと、インターネットって、実はすごいなとホントに思う。

今自分が立っている場所の目に見える範囲では決してありえない出会いが繋がれる。

縁が紡がれる、というのか。

私の記事を見つけてくれた縁ある方達と、ところどころにつながりがあり、また驚く。

いる場所基準の現実社会ではとても見つけられないものや繋がりが、ネットの中では巡り会うという奇跡。計り知れない数の情報とコードが入り混じっているのに、そこから出会う奇跡。こちらの方がよほど、真実味がクリアだ。有無を言わせず、の納得感。

 

あなたの身近にいる大切な人は、あなたの心を、気持ちを、感覚を、わかりあいたい人ですか?そしてわかってくれますか?どうかあなたがそういう人と繋がっていますように。

 

続く。

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