生と死 何を伝えよう
ということで、「伝える」ということに関連して。
「生と死」にまつわる、いろんなかたちがあると思いますが。
今月は私の大切な人の命日がある月でもありますので、触れておこうと思います。
つい先日、知り合いのご家族が亡くなりました。突然の事故でした。
病院へ搬送され数日後に、生命維持装置をはずす決断をご家族と医師がされました。
私はこのご家族の衝撃を想い、もしもこれが自分の決断だったらと思うと、涙が止まりませんでした。
愛があればこそ、どの死も辛く悲しいものですが、今回は「もしも自分だったら」ということがとても強く胸にこみ上げたので、ここで思ったことを書きます。
このご家族のことを想った時、ご家族のこの我が身を切るほどの決断を、自分だったら出来るだろうかと考えました。想像しただけで、痛くて辛くて悲しくて、涙が出ました。
帰宅後私と旦那とで話し合った中で、辛いけど選ばざるを得ない状況というのを想像するに、やはりそうせざるを得ないのだろうということになりました。愛情溢れる素敵なご家族でした。目の前に横たわるご本人を見る家族だからこそ、するしかない決断という現実に心が引き裂かれる思いです。
もう17年も前になります。
私の大切な人は事故で即死と判断されましたが、その時何度私達は「せめて命だけあれば、命だけでも繋がっていてくれたら、どんなに希望があっただろうか」と心の中で叫びました。私も、彼のお母さんも。
即死という、その時にわずかでもつかむ希望が何もないという状態。パツッと糸が切れてしまった後の、何も出来ない虚しさ。どうにもならない無念さ。
でもそれはその状況だったから、そう思ったんです。
わらにもすがりたくて、そう思ったんです。
後に彼のお父さんと話している時に、「もしも、、、」という話がいくつも出ましたが、その時に私たちは想像できうる「もっと辛かったであろう状況」を想い、これが最善だったのだとしみじみと感じたものでした。
亡くなってしまったという悲しい事実をどうやって受け入れていくかが、私たち残された側の亡くなった人への弔いになるのではないか、と思います。亡くなる本人が、一番辛いと思うので。
旅立つ人はその背に荷を背負い、残る人はその背に別の荷を背負うのだと感じたものでした。歩く場所は違えど、空と地で並行に同じ目的地に向かって歩いている、そんな感じ。場所が変わっただけ、その人の魂はそこに存在する。
最期のかたちは、それぞれのご家族やご夫婦、親子関係の愛情に合ったものである、と後に読み漁った本の一節に書いてありました。悲しい別れですが、そこには悲しみだけではない意味があり、それを知ることで家族が救われるような素晴らしいものがたくさん書かれています。
いろんな書籍でとりあげられています。気になる方は、そういった書籍を探されると、より一層故人との出会いや共有した時間の意味合いが深まるかと思います。
そして現在へ。
この悲しい報せで、私の回想はもしもこれが「今」私と旦那に、、、という場面に移り。私は思いました。
「このまま旦那を死なせるわけにはいかない」と。
私は普段から、旦那にたくさんの愛情をもらっています。
出会った時から、それがとても伝わる人でした。出会って10年以上経ちますが、今でも本当に真摯に私に愛情を伝えてくれます。
だからもし、私が今死んでも、私は旦那に『愛されている』ということを感じて旅立つわけです。私は「知っている」というこの感覚で。
この逆はどうかと考えた時、私はハッとしました。
「旦那は私に愛されていることを、知っているのか?」
見送れない。私は旦那を見送れない。もし今旦那が旅立つとすると、彼はきっとその肉付きの良い背を丸めメソメソしながら淋しく旅立つ準備をすることでしょう。
あかんあかん。それはあかん。
こんなに良い人を、こんなに愛くるしい人を、淋しくメソメソ旅立たせてはいけない。
いつもの肉っぽい笑顔で、幸せそうに「愛されてました。てへぺろ⭐︎」とニコニコ旅立たせてあげなければ。旦那がそう思えるまで、私はもっと愛情を伝えなければ。
いつ何があるかわからない。人はみんな老いるし、いつか旅立つ。
そのいつかがいつかはわからない。誰にでもくる。だって生きているから。
老いなくても病まなくても、みんな必ずいつか旅立つ。
でも『その時』に、ちゃんと私の気持ちは伝わっているかな。
愛されたことを知って、次のステージにすすめますように。
「愛を肉に伝えよう」が私の今後のテーマになりました。
愛があれば、遠距離も異次元もきっと繋がれると信じて。