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豊かさ

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先日の記事を書いたあと、なんだかまるで長い夢から覚めたような、今までずっと包まれていたシャボンの中から出てきたような、不思議な感覚になった。

そもそもブログを書き始めてからというもの、自分の中で芽生えてきた意識の中に「いつかこのことを一冊の本にしよう」というのがある。これまで、人に話したり自分の中でずっと大事にしたりしながら守ってきたもの、この思い出。命ある限り私の心の中で大事にしようと思ってきたものだけど、ずっと考えていたことがある。「誰か、私の頭の中を全部読み取ってコピーして、映像にしてくれないかな。」と。一つの作品にしてくれないかな、と。それが全ての『証し』になると思って。

そして今、ブログを始めてみて、自分で文字として文章として起こしてみようかと思ったのが大きな変化だった。

今年で17年になった。あと3年で20年。20回忌までには、この物語を書き上げたい。そして本にして世に出そう、と思った。

なんていうか、書くことによって自分の手から解放しようと思えるようになった。決して忘れない、色褪せない大切なこと、だけど私はこうして歳をとり続ける以上、いつか記憶から消えていったり失くしていったりするだろう。そうなる前に、「決して忘れまい」と自分にも天に還った彼にも誓ったこのことを、作品にして一つの形に出そうかな、と。20年間自分の中で大事に守ってきたなら、それも許されるのかな、と。

そんなこんなで書き始めたけど、先日の記事は自分でも追体験というか、あの日の気持ちに、状況に帰るというかで、タイムスリップしたみたいになってしまった。いや、良いことなのだとホントに思うけど。

 

12月の特にこの時期は多くの人にとって『内省と感謝』の時期だということで、私もそれを実感するような不思議な感情が急に記憶から蘇ったりしている。

私は、自分の人生が変わり続けているからだろうか、そしてもともとそういう性格だからだろうか、親しい友人は本当に少ない。これからもずっと感謝して好きであろう人逹がほんの数人いるだけで、現在お付き合いがある比較的仲の良い人逹でも「知人」であるけど、「友達」かといわれると、さてどうだろうという感じ。

同じような境遇の人も居ないし、そういう人と出会ってもお互いの状況もまた変わるから、やっぱり「友達」というのではない気がする。

そんな私でも、最近フト、ジャイ女子校時代の思い出したくない面々以外の「その時代の友人逹」の存在や彼女たちの行動を思い出したりして、心が嬉しくなったり和んだりした。ずっと忘れていたけれど、あの苦しく辛い時代にも、私に善良な友情と好意をもって接してくれた人達がたくさんいたな、と思い出して嬉しくなったりした。

思い出したのは当時、全国大会をすぐ控えていたために部活の全員が修学旅行に不参加となった時のこと。それ自体はどうでもよく、同級生のジャイ子逹と化学室で自習をさせられた日々が辛かっただけなのだが、他の同級生たちが旅行から帰ってきた翌日のことを思い出した。朝練が終わり教室に入っていくと私の机の上には幾つものお土産が所狭しと並べられていた。そこにお土産を置いていってくれた友人の気持ちや交わした他愛もない会話など、ものすごく久しぶりに思い出したので、ちょっと笑えた。

はたまた大学時代、体育会のクラブ活動がメインでもあったので大学生としては全然パッとしない学生生活だったけど、そんな時代にもやはり、当時の「良い友達」と呼べる人達との出会いと付き合いがあったことをフト鮮明に思い出したりして、「良い奴だったなぁ」とちょっとニマニマしながら嬉しくなったりした。

何が私の心を嬉しくするかって、それはそんな「思い出してちょっと嬉しくなるような人逹」と出会って過ごした時間が自分の人生の中にあったと再確認したことだった。

得てして「忘れたい思い出」の方が強く自分の心と脳に刻まれているもので、そんな人達の存在や好意を頭の片隅にすっかり押しやっていたのだ。それが最近の自分の感覚や思考の変化によって、それらを仕舞っていた戸棚の扉がすーっと開いて出てきたみたいで。

良かったね、私。「好きだな」と思った人達が、人生のところどころで登場していてくれて。

 

そしてもう一つ。

これはいつか触れようと思っているけれど、「家族」について。

今回フト湧き上がってきたのは、人生全般のではなくてえらくピンポイントの、母親への感謝だった。

家を買って1年目の夏に、義父母と私の母親が一緒にこちらへ遊びに来た時のこと。購入にあたり援助もしてもらい、母親もとても楽しみにしていたこともあり、到着するなり二人の母親は文字通り「ワー!キャー!」と言いながら家中を褒め称えて喜んで回った。それをつい先日、マイナス15度の寒さの中帰宅した時に、24度のヌクヌクのキッチンに立っていてフト思い出したのだ。

私と旦那はこの家をつくづく「良い家だなぁ」と思い、感謝する。それは冬に暖かいから。二人とも日本の実家がひどく寒いので、心底家が暖かいことに感謝する。そしてカナダの住宅はセントラルヒーティングシステムを採用しているので、家中どこに居ても同じ温度で暖かい。私の実家とは本当に大違いなのだ。家が寒いと心が淋しくなる、というか淋しい家で育ったから、余計に寒さが沁みたのだろうか。いずれにせよ、トラウマ的な寒さ体験だったことは間違いない。

なので家が暖かいことは天国のようで毎回感謝するのだが、それはそういう超絶寒い家で育ち、ヌクヌク暖かい家に引っ越さないとわからない類の幸せの一つだと思っていた。

そんなことを考えて、帰宅後のキッチンで暖かさをかみしめていたらフト、あの1年目の母親の喜んだ姿を思い出した。

私と旦那以外で、この家のことをあんなにも喜んで好きで褒めてくれた人がいるということ、そしてそうやって全身全霊で喜んでくれた母親の気持ちに、初めて感謝した。

「これを伝えないで母に死なれては悔いが残るな」と思い、メールで感謝を伝える。

私は今となってはあまり母親と話さないが、この時ばかりは伝えなければと思った。

 

そして今日、こちらカナダはまだ22日の夜。昼間には旦那の実家から大量の愛情便が届いて、貴重な日本からの食料を確保。ありがたや、ありがたや。

カナダではクリスマスの25日と翌26日に閉まる店が多い。こちらの人にとっては文化的にとても大切な日であり、誰も働きたくない日であり、祝日なので人件費も倍の日だからか?理由はよく知らないが、とにかくいろんな店が閉まる。毎年そんな日に限って食材がなくなったりして不便な思いをするので、今年は多めに食材を買い込む。

猫のご飯も買って、好きなワインも家にあって、冷蔵庫の中も好きなものでいっぱいになって、コストコで美味しいクリスマスチョコを買いだめして、日本からのチョコも食材も届いて、家は暖かくて猫が居て旦那が笑っていてくれて、仕事があって家にやってきてくれるお客もいて。

なんて豊かなんだろう、と今ある恵みに感謝する。

億万長者でなくても、「足りている」幸せ。

この幸せが続きますようにと、今ある幸せに感謝する。

そしてこれからも「今」出来ること、大事にやっていくだけ。

ありがたい、ありがとう、と思った年末です。

 

さあ明日からは年内最後のかきいれ時、年越し天ぷらそばディナーを目指してはりきります!

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