夫婦と家族  

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もう10月も1週目が終わろうとしていますね。今年は本当に早い。

日常のいろいろなことに、「これを記事に書くならあぁやって、こうして、、、」などと構想を練っているのですが、なかなか実際書くとなると躊躇する。そしてそのまま、また月日が流れるというのを繰り返している気がします。

書きたいことは山盛り心と頭の中にあるのですが。

とにかく、今日は書きたいと思います。

 

いろいろ悶々と頭の中を廻っている事柄はありますが、今日は『夫婦』と『家族』について。

我が家の実家問題もいよいよ佳境に入ってきました。

以前、義兄との離婚騒動でアパートを出てきた姉が、現在は新築戸建の完成待ちです。

姉がずっと言っていた「やっぱり子供とは一緒に住みたい」という気持ちと、それをするには姉の状況だと「女手一つでは経済的に無理」という現実を受け入れてからの、「でも家が欲しい」という気持ち、そしてその後の「義兄の謝罪を条件付きで受け入れる」からの「新築戸建の完成待ち」の現在に至ります。

まぁ何ですか、ね。「子供と一緒に住む夢のマイホーム」には「ローンを組んで返済してくれる人が必要」という方程式が、悲しくも美しく希望を持ってはじき出されたわけです。

姉には「あんたのような嫁に、それでもなお戻ってきてくれよ!と言ってくれる、頭のおかしい旦那がいることに感謝だな!奇跡だな!」と。

姉夫婦の感覚はまったく理解出来ませんが、私は姉が大好きなので、姉が幸せになれる環境が一番だなと思います。

もちろん、この件で最も巻き添いを受けたのは子供達ですが、昔は自分も子供だった立場の叔母さんから言わせてもらうと、

「大なり小なり生まれてきた家族の巻き添えに合うんだぞ」

という、ね。

数年前から口をきかなくなっている姉と義兄ですが、そしてよりを戻すことが決まって数ヶ月経つ今現在もさほど口をきいているとは思えない2人ですが、

「これが2人の学びの最善の形。なんでしょ」

という感じで私は見守っています。

私が心配し、この先もその時が来たらサポートしたいと思うのは姉の経済面であり、今回姉が義兄に条件として出した「姉が実家から母を連れて行くこと・新しい家に母も住むこと」がこの先安泰で守られるように、私はこちらで準備をするということです。

 

今はまだ、姉と母は実家にいます。以前、父が姉に手をあげてから、未だにずっと父と姉は口をきかず、顔も合わせていないそうな。

母と父もまともに口をきかず、口を開いても父が大声をあげて会話にならず、父と姉も顔を合わさず。

一緒に住んでいるのに、バラバラな3人。

そして母も、結婚生活40数年の自分の人生や居場所にいろいろと足や後ろ髪を引かれながらも、ゆっくりでも少しずつ家を出て行く気持ちを固めてきていることろで、現在は荷造り中。

そしてこの一連の流れを、父はまったく知らないという奇跡。

姉の作戦は「よもや夜逃げでしょ。ドロンパ大作戦。」であり、予定している当日の母の置き手紙以外は一切、父には事前に知らせないという強行姿勢であり。

私は複雑な思いですが、実際これはこれで、母の安全を思うと致し方なしか、という悲しい現実な気がしており。

 

あぁ、誰か怒り狂う暴れる父の魂を鎮めてください。(祈)

 

仕方ないんだなぁ。きっとこれしか、安全な道がないんだなぁ。(涙)

そして私は思うのです。

『家族って、何?』と。

何も出来なく世間を知らない箱入り娘だった母が、学はないが度胸の座った田舎の(当時)男前の父と出会い恋愛をし楽しく結婚したら、一人目の子を出産したあたりからどうもその男が豹変し、大声出すはテーブルひっくり返すはの大騒ぎをし始めて、時代にも両親にも離婚を受け入れてもらえず、当時の母は女手一つで子供二人を養えるわけもなく、他の道も考えられず、そんなこんなで40数年。

私たち子供にしてみれば、生まれたらそこは父が荒れ狂う家で、父と母が会話を始めれば父が怒鳴るか物が飛ぶかのどちらかで、それでもなお怒れる父に最悪の対応で反抗する母に「あの人は絶対いつか殺される。てか殺されたいんだろ。」と思い続けて育つ娘二人。

夫婦とは?てかなぜあの家に産み落とされたのか?

あたたかい家庭って、どんな感じなんでしょうね。(遠い目)

 

今回の「母、実家から脱出する作戦」で私が最も気にしている点は二つ。

「脱出時の母と姉の無事」と、「その後の父」であり後者の方を思うと、なんとも言えない寂しさや虚しさやいい加減にしてくれよ的な感情が渦巻くのですよね。

 

父は父なりに、田舎の、学はないけど職人職で叩き上げてきた人で、家族のためにと社会の荒波になにくそと頑張ってきた男で、仕事もするけど、腕は立つけど、ギャンブルに情熱を燃やすお金の管理と計算の出来ない人で、この俺様はもっと遊んで良いだろがっと張り切っちゃうが収入と生活費が見合わないために「貧乏はお前(母)のやりくりが下手だからだろうがー!グァーッ!」と暴れるおバカで、支配欲はあるけどその実力がない男気あふれる男で、子供愛はあるけど、死んだ人のお墓参りはかかさないけど、女には大声あげて物投げてたまに手もあげる、というクズなだけなんです。

その父も、家族のためにと一念発起して、今から数十年前に一国一城の主にと家を建てたわけです。

決して愛情の感じられない、怖くて寂しい思い出しかない実家ですが、それでもそんな男が一生懸命働いて、社会の泥を舐めながらも必死に耐えてローンを返済した、「ザ・俺の城」なマイホームだったわけです。

 

可哀想だな、親父。

もうすぐそこに独りぼっちになってしまうんだよ。

 

私は、母と姉が家を出た後の、父の生き方が心配です。

でも、あの怒れる魂が唯一鎮まるかもしれない薬があるとしたら、それは父の魂が最も悲鳴をあげて恐れている、「孤独」なのかも知れない。

私としては、父が独りになった後で、こちらの意見を聞く耳をもってくれたらなと願います。

静かに話を聞いてくれないと、何も引き出せないし、何もしてあげられない。

せめてこちらの助けを受け入れてくれるだけの静かな耳をもって欲しい、ですが、これは何気に最後のチャンスだなと感じます。

本当に、最後のチャンス。

ここで改心されなければ、今生の別れになるだろう。そう思います。

母と姉が家を出たら二度と戻ることはないでしょうが、そして私ももう二度とあの家に立ち寄るために帰るということはないですが、それでも私は父を助けたい。

母は父を恨んでいるから、一緒に居てはダメなんです。父も母を恨んでいるから、一緒にいたって仕方がない。父はあの時姉に唯一残っていた「子」としての父への愛情を撥ね退けたから、もう二度と振り向いてもらうことはない。姉は父の葬式にも出ないという約束になっています。

唯一この三者紛争に直接的に関わっていないのが、私なのです。

父が意地を張り通し、寂しく死んでいくというなら私はその自由意志を見守らなければならなくなりますが、どうか父が私に助けを求められますように。

 

夫婦と子供と家族、本当に意味がわかりません。

子供がいるから幸せな家、不幸せな夫婦。

子供がいるから離婚出来ない、して良かった夫婦。

子供がいなくても、幸せ、不幸せな夫婦。

 

子供を持つ前に、「この人と万が一に別れても、子供を連れて暮らせる、養える」と少しでも考えたほうが良いんじゃないか?と思うのは私だけなのか、、。

我が実家の問題は、田舎だからなのか?

 

私は子供の時からずっと、周囲の大人とその子供が嫌いでした。

大人も子供もセットで嫌いでした。

嫌いな子の親も、なんだか嫌な感じで、「嫌なチームだな、、」と心底感じていました。でもそこから逃げることも立ち向かうことも出来ない非力な子供の自分を呪っては、その集団や社会から抜けられない現実を寂しく思っていました。

なので、子供が嫌いなのではなく、大人もその子も嫌いです。

自分の血なのか、それとも経験からなのか、「子供が超欲しい」と思ったのはとにもかくにも昔彼氏が死んでしまった直後だけでした。「せめて子供がお腹にいたら、、神様どうか私に置き形見を、、」という執着ですが。

この実家の離婚&出家騒動においても、心から私が良かったなと思えることは、母が私たち姉妹を男の子ではなく女の子として産んだことだなということです。

子供の性別も、運命論の大きな采配だと思うからです。

私や姉が男の子だったとしたら、「嫁にいく」ではなく「嫁をもらう」になっていたわけで、すると父方の名字が後世に続いてしまう。父方の親戚はみな男の子ばかりで、彼らもその親もみな、ギャンブルに狂っています。もちろん私の父も。

なので想像するだけでも恐ろしい。もしも自分が男だったら。(チーン)(合掌)

神様は母に女の子を授け、少しでも現実的に計算する脳みそを与えてくれました。おかげで父方親戚ギャンブル集団の地獄から抜けられているわけです。というか、そう信じています。

 

今回、姉が母を連れて出て行くにあたり、最も強く母に頼んでいるのが「必ず離婚届を提出し、旧姓に戻ってから新居に入ること」です。

姓名診断とまったく同じ要領で、姉も私も父方の姓を名乗っていた時の良い思い出がまったくありません。

そして今回、姉が自分の離婚騒動にあった際に最も悩んでいたのが、旧姓である父方の姓にだけは絶対に戻りたくない、ということでした。

なので母には、この機会に確実に母の旧姓に戻ってもらい、将来的にもしものことがあっても、自分も子供も母方の姓を名乗れるようにという目論見も入っているようです。でも一番は、結局その姓側の思い出と印象なのだろうな、と思います。

私も姉も小さい時はよく母方の祖父母にお世話になりました。そしてその記憶だけが唯一、安全で安心できた快適な時間を過ごした思い出になっており、「家族」や「家」というのはあの祖父母宅で過ごした時間だと認識しているからなのだろうと思います。

 

とにかく、私は母の安全を祈り、姉の幸せを願い、父の魂の静まりをご先祖様にお願いするのでした。

 

 

 

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