満月に2通の手紙

今月の初めに、母と姉が無事に実家を出ました。

母は無事に離婚届けも提出し、旧姓に戻りました。

この「無事に」というのを、私はとても心配していました。

引越し当日は、姉が子供達の住んでいるアパートの引越し作業も同時にしなければならずとてもバタついたようで、引越し完了の連絡が私のところに来なかったため、「あ、これは死んだ。修羅場だ。流血だったんだ。」と得意の完璧な妄想力で私自身の血の気を引かせて気が気ではありませんでしたが、翌日になって二人の無事を確認することが出来、なんだか一気に世界観が変わったかのような気分を味わいました。

その世界観とは、物心ついた時からずっと頭の片隅にあり続け、五感も六感も使っていつもいつも心配し続けてきた「いつか母親が殺されてしまうのではないか」という恐怖から、「もう母親が家の中で殺される心配がない」という安心とはまた違う「恐怖のない世界」という感覚です。

少なくとも家の中で母が父に殺される心配はなくなったというこの新しい状況が、あらためて「私は父が本当に怖かったんだな」ということを気づかせてくれました。

母が無事に離婚届けを提出し終わり、家を出て、離婚届けを出した旨を父に書き置きで伝えた一連の流れが終わり、「これで父と母は他人に戻ったのだ」というえも言われぬ解放感と、「もうこれで、良い歳した大人二人の面倒(心配)は一切要らないんだろう」というお役御免のような解放感で、このまま知らんぷりしても良いんじゃないかと思ったりしながら、ちょうど3週間が経ちました。

 

その間、姉に引越し祝いを贈ったり母の新しい部屋の収納の相談やらに乗ったり口を挟んだりしながら、あちらもようやく新しい生活に馴染んできたところで、もうすぐ母がカナダにやってくることになっています。

 母のカナダ入国にあたり、今回はパスポートを作り直して名前も変わったため新しくeTAの申請をし直したのですが、当人はパスポートの作り直しの申請までで既にキャパ超えだったので、代わりに旦那がこちらで母のeTAを申請してあげることになりました。

新しく作ったエアカナダのポイントカード、eTA承認のEメールのコピー、入国審査官に見せるための旦那からの手紙、この3点を送るため母宛の封書を用意しました。

住所は新居、名前は旧姓。新しい生活を送るこれまでとはまったく別の人のような母への宛先と宛名を書きながら、「これにも慣れていくんだろうな」と思ったり。

 

かたや、どんな風に過ごしているのかまったくわからない父へ、今後のことを相談したいという旨の手紙を書きました。

何度も何度も書き直し、結局、手書きではどうしても伝えるべきことが書けなかったので、最終的にワードで打ったものをプリントすることにしました。

手書きじゃないけど、娘の気持ちが伝わることを祈って。

父の対応次第では、これが最後になるやりとりです。何度もためらいながらも、やはり伝えるべきことは伝えておかなければと誠心誠意、心を込めて書きました。

宛先は私がこれまでずっと使ってきた住所、宛名は私が今まで見てきた「働いていた父」の名前。定年して酒で頭がやられてしまった方ではない、人の名前。私の中では、その名前。

 

郵便局の簡易オフィスが入っている近所のドラッグストアーに、母への手紙と父への手紙を出しに行きました。満月の夜に、2通の手紙。それぞれに違う宛先のついた、両親への手紙。

まさかこんな遠くの地へ来て、こんなに綺麗な満月の日に、ようやく無事に離婚した母親と父親への2通の手紙を送る日が来るとは。

満月はリリース、手放し、解放。

父よ母よ、出来るだけ幸せに生きてください。今までありがとうございました。

43年間の結婚生活、お疲れ様でした。

 

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