日々 悶々

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どうしてスカッとした気分や何も考えていない状態で1日、1週間などの期間を過ごせないものか。頭の中でずーっと、何か他のことを考えていたり、気になっている問題がゴワンゴワン騒音を立てている気がする。

瞑想も試したんだけども、なかなかどうして効かないなぁ。

 

ところで。去年受けた健康診断で、血液検査の結果を見て医者に勧められたのがビタミンDだった。「ちょっと低いかな」と言われてサプリメントを取り始めただけだが、落ち傾向にあったのがだいぶ改善したように思う。医者に「D不足」と言われた時に「あ。落ち気味って、気分ではなく体内環境が原因だったのかも」と妙に腑に落ちた。

今では鬱の改善にビタミンDの摂取をすすめているみたいだけど、私がそれを知ったのはつい最近だった。カナダでは冬の日照時間が短いということで、みんな積極的に「D摂らなきゃ!」「D!D!」的な発言をしている同僚が多く、なんと私はその発言を密かに鼻で笑っていた。いかにもマッチョの「肉、肉、酒!」みたいな同僚の男性が「Dを飲まなきゃ調子悪くなるぞ」と真剣に教えてくれた時などは、この国の人たちは何かに騙されているのではないかとさえ感じた。けど違った。

まぁとにかく、私自身のゲキ落ちは、ものすごく減った。気のせいかもしれないが、ビタミンDを飲み始めてすぐに効果がわかった。それまで得体の知れない精神的なものだと思っていた時々やってくる重い暗さが、血中成分だったとわかってあっさりほぼ解決した。

それでもまだ、日々悶々とするけれど。

ほぼ解決した「落ち」とは別に、13年間苦しんだ「もう二度と治らないのでは」と本当に絶望的だった皮膚炎が、改善した。この間に日本とカナダを合わせて5人の医者や専門家に会ったが、誰も症状名も言わず、というか言えず?、ただ一人その皮膚炎用にとクリームを処方してくれた医者も「治らないけど、ごまかせる」と言って処方してくれたのがステロイド剤で、それも効かずにただただ痒かった。そして掻くのが我慢できない私は血が出るまで掻き続ける、さらに悪化する、患部が広がるの繰り返しで今に至る。

13年前に始めて症状が出た時はただ一点のピンポイントの痒みだったのだが、ひたすらに掻きまくり、家にあった使用期限切れの痒み止めを塗ったら見事に悪化し、初めて医者に診てもらった時点では指三本分ほどの広さになっていた。そこで一旦軟膏か何かをもらったような気もするが、広がった血まみれの皮膚をちょっと抑えただけだったように記憶している。何しろ当時は群馬の地元のおっさん医者に他の若い先生たちの目の前で「肝臓疾患じゃないの?(ニヤリ)」という意味不明な洗礼を受けたので、頭の中は検査結果の無事をただ祈るばかりで痒いし痛いし意味がわからないしでパニックだった。どうして医者はそういうことを言うのだろう。私が一体アンタに何をした。血まみれでお会いしただけではないか。 ちなみに検査結果はどこにも異常がなく、そのおっさん医者はしどろもどろに「えぇ、、まぁ、、肝臓には異常がないようなので、、」と非常にギクシャクしていた。 おっさんよ、なぜ私の不調を願った?アンタ、医者だろ。

とにかくその後もこの痒みにはずっと苦しんできた。一度は大きな病院で生検までしたのに、傷口が大きすぎたらしく、若いお兄ちゃんドクターは「一応、縫合しときましょうか、、」と縫ってくれたもののその傷口が夜には化膿してしまい、一睡もできずに泣く思いで当時の親友のナースに電話すると「それヤバイ。すぐに医者行け」と言われ、翌日急遽またその病院に行くことになる。翌日は女性のベテランドクターで、傷口を見るなり「ワッ!何で彼は縫ったの!?」と驚き怒っていた。先生、患者はほとんどされるがままです。良い医者は会ってすぐにわかるが、どのくらいヤバイ医者かは失敗されないとわからないものです。トホホ。

抜糸された時にものすごく痛くて、「大変だったわね。もう平気よ」となだめてもらった時には悔しくて惨めで悲しくて診察室で大泣きした。

そんなこんなを経て、もう13年間この痒みと共にいる。あまり痒くないかなと思う日が続いても、狂うくらい痒い日が急にあったりして意味がわからない。

でもひたすらに毎日掻いていた。何かつけたり、何もつけなかったり。

そしてついに先日、もういい加減にしてくれよと心底思い、もう無理だろうと思いながらもネットでちょっと調べてみた。いろんな情報があったが、どれも効くような効かないような。その中で、「あ。私はまったく反対のことしてたかも」と思ったのが、「保湿すること、スィートアーモンドオイルが良いらしいということ、そして掻かない。」めっちゃ掻いてたやん。

掻きすぎて、皮膚が裂けて、血が出てさらに痛くって、殺菌作用が良いかもとか思ってそういう効果のあるエッセンシャルオイルを他のオイルと足してちょっと強めにつけたりして、そのオイルでさらに乾燥して、また痒くなって、掻く。永遠のループ。痒み痛み地獄。

でも掻いて血が出るから、その皮膚を剥がさないとさらにアカギレみたいになって深くなって痛い。服にも擦れてまた痛い。そして永遠に治らないかに見える痒みとアカギレ状態。

そしてある晩、限界を感じたので、泣きながらタッピングを試す。タッピングはこちら。

www.thetappingsolution.comhttps://www.thetappingsolution.com/

タッピングはEFT タッピングというもので、Emotional Freedom Techniques

 という方法。トラウマなどの感情を体にある数カ所のポイントを叩きながら解放するというセラピーで、私は過去の記憶やネガティブな感情を取り除くために時々使っているけれど、皮膚炎に使ったのはこれが初めてのような気がする。前に何かの痛みに対して使ったが、効いたような効かなかったような。でも今回は自分のハッキリとした「もう限界なんだよ。いい加減にしてくれよ」という感情が備わりそこに焦点を合わせやすかったためか、とても効いた。翌朝、痒みがまったくなくなっていた。

一瞬でも痒みがなくなったので、「掻かない」という状態でいられた。

これが功を奏してか、そこから2週間くらいまったく痒くない日が続いた。

13年間、2ヶ国間、5人の医者の後である。私には奇跡でしかなかった。

経過はというと、その後ついつい痒くもないのに掻いちゃったりして、結果的に皮膚に傷をつけてしまってまた血が出て掻いて、自分で「痒い痛い皮膚炎」を単発的に起こしたりしているが(よもや中毒。習慣病)、以前に比べたらはるかにマシになっている。(糖分の摂りすぎ、小麦粉系の食べ物を食べた後には痒くなる。これはまた別の話し)

 

こんなに熱く?皮膚の話をするつもりじゃなかったのだが、ついでなので老化の話し。

最近、顕著に物忘れが激しい。まだ42歳ですけどね。ホルモンの関係では?と思っている。というのも、私はおそらくあと2年のうちには女性特有のサイクルが終わるのではないかという感覚がある。それに伴ってか、よく更年期の女性たちが言うところの一つである「物忘れ」が来てるのじゃないかと思っている。

「思い出せない」という意味ではなく、「意識が続かない」「一つのことへの集中が維持できない」という感じで、何かに手をつけっぱなしで次へ行き、次へ行ったものを完了して、戻ってくるとお菓子食べっぱなしや、お茶だしっぱなし、書類書きっぱなし、作業ひろげっぱなしなど、その前にやっていた作業が見事なまでに途中で放棄されている姿を発見して「ワッ!」となる。

これまでもそそっかしかったり、少しの出し忘れ的なことはあったが、これほどまでに「作業のど真ん中」で放り出して次のことを始めてしまうということはありえなかった。

そして、脳みそ力というか、脳内の霧というか、記憶の池までの景色が非常に霧がかってる感じで。「記憶力」と「判断力」と「タイミング」でここまでどうにかやってきた感が強いので、「あれ、ヤベ。次何だっけ?」的な感覚で常にいることがちょっと怖い。とりわけ記憶力には自信があり非常に頼りにしてきただけに、心もとない。

そんな話しを50代もしくは50代手前の同僚に話したら、「あんた、そりゃ更年期だ。前後合わせて5年はそんな感じだよ。それを過ぎればすっきり晴れるから、気楽にやんな、同士よ。ヒヒヒ」と言ってもらう。持つべきものは老若混合の同僚か。

 

さて。そして父のことである。

実はこれが一番の心のつかえであり、ずっと悶々と私の頭の奥でズシンズシンと唸っている。

なんだかんだいっても父のことは気になる。

ハガキでも書こうかと思うが、いざとなるといろいろ恐ろしくなって、ためらう。

私が想像するに、間違いなく父の欲しい支援物資は「金、酒、たばこ」なのだが、そのどれも送ってやる事が出来ない。酒は出来るが、それで頭がおかしくなっている人に、さらにガソリンをあげるわけにはいかない。なので他のものを送ったりするが、なんだかマヌケかなとも思う。

 先日の台風で群馬の実家のあたりは被害がなかったようだが、それでも古い家なのできっと雨漏りが大変だったのじゃないか?そもそも借金はどうなってるんだろう?食べているのだろうか?電気は通っているのだろうか?(電気代払えてるのか?)等々を考えるときりがない。そして罪悪感のような、不義理な感覚に苛まれる。私には良い父親だったのだ。大声で怒鳴り支配的な価値観のところを除いては。何より、私を大学に行かせると早々に決心し、それを実践させたのは父だった。それだけが、唯一それだけが私が不義理で苦しいところなのだ。実際には生活費のやり繰りで苦労したのは母なのだが、それでもあんな田舎で生きてきたやんちゃな父が「娘を大学に行かせる!」と私の背中を押し、私に違う世界を見せるタチ役者だったことは紛れもない私の人生の中の真実なのだ。でもきっとこれはアレだ。まともな人間の部分の良心と、ダメな女の良心がごちゃまぜになってしまっているんだ。人生42年のどのページを振り返っても落雷のような激しさで大声で唸っている父の姿が占めているというのに「良い父親」と認識してしまっているあたりがよもや記憶障害なのか。南無三。

祈ろう、父への癒しと救済を。

 

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