これがオリンピックだったのか

コロナが発生し各国に広がりだしてから、個人的にずっと思ってたことがある。

これがオリンピックだろ。世界の政府選手権大会。国ごとに競っちゃダメなやつで、協力したら出来が良くなるやつ。

あれ、どちらかというと、じゃぁ万博の方が近いのかなと今気づいた。

 

ということで、 カナダの首相のスピーチを貼ります。

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毎回見るようにしている、首相のコロナ関連のスピーチ。今までこんなにトルドー氏の顔をマジマジと見続けたことって、ないなぁ。2日目あたりから、この人はジャニーズの人なんじゃないかって気になってくる。(ちなみにカナダ国民への救済の具体的な数字を話した時には、キリスト氏に見えた)

日本にいた時も、こちらに来てからも、こんなに真剣に「国・政府から発信されるもの」を観たことがない。42年間の人生で、ただの一度もだ。お恥ずかしい。

まったく理解が出来なかったことと、する気もなかったことが理由だけども、こんなに危機感をもって注意を払う必要もなかったというか、少なくともその必要は一度も感じられなかった。今は亡き祖父がしょっちゅうテレビで国会答弁を観ては、ブツブツと今思えばまっとうな批評をしていたけれど、それは祖父が戦争を経験したからだと思っており、祖父と政府は関係性が近いなぁと感じていた。

こういう国政や社会の仕組みに無知な私だから、自身がそれまで就いていた介護職で腰を傷め2年間は働けず、その後も痛くて1日3時間以上の勤務が出来なかった時に、当時実家に身を寄せ療養させてもらっていた26歳の私は「親が死んだら自分に未来はない」と絶望し毎晩不安で泣いていた。

調べていれば何か補助制度的なものがあったのかも知れないが、私の知る限りは何もなかった。当時ほぼ働けない時でさえ年金の支払い用紙が届き、「なぜほぼほぼ無収入なのに国は徴収するのか?」と悲しくなっていた。答えは「親がとりあえず収入があるから」で、親の収入も生活で全部消え貯金も一切ないし出来ないというのに、なぜいい歳したほぼ無職の娘の「年金」まで払えると思ってるんだ政府は?とどこにもぶつけられない怒りと悲しみをもっていた。だから、このまま日本に居たら、私は死ぬしかないと確信していた。

普通に働け普通に結婚し、まして普通に妊娠して母になった知り合いは誰もわかってくれなかったけれど。それどころか「マジ、親に感謝したほうがいいよ。ワタシも親になってマジ有り難みがわかったから」というふざけた助言を昔の知人に言われたこともあった。親の助けがなくては私の命がないと、お前よりよっぽど日々感じながら申し訳なくて泣いて生きてるわ、と思ってまた泣いた。

 

話しは戻して、コロナオリンピックについて。

カナダは3月の頭ぐらいからじわじわっと増えはじめた気がする。日本のトイレットペーパーの件を「やらせか?」と思ったらやっぱりそうだった、なんて考えてたら、こちらでもアメリカ系の2大スーパーからトイレッットペーパーが消えたというのがニュースになった。このニュース自体が要らぬ恐怖をカナダにも広め、ちょっと人々が迷走した数日間があったけども、私の職場のザ・カナディアンズな同僚は「冗談だろ。尻はシャワーで洗えるだろが」とまったく受け止めていなかった。職場を閉めると決まったのが16日の月曜で、私は当日勤務していた。その頃になると別の同僚達が「他の同業者はもう閉まっているのに、なぜうちだけまだ開けているのか?こんなの間違ってる!」とピリピリした雰囲気になっており、また別の同僚は彼氏が免疫系疾患をもっているのでとても心配し「この騒動が完全に収まるまで私はずっと家に居たい。早く帰りたい」と悲痛な表情だった。その時はまだ若い人は大丈夫という情報があったので、私も周囲も「自分の身を守るために閉めるのかな」くらいに思っていたと思う。

そして勤務後2時間ほどしたら「明日から閉める」という通達がまわってきて、一気に流れが変わった。私はそのだいぶ前から「いずれ私も2週間もしくはそれ以上の自宅待機になる」と確信しており、生活費のことや自宅待機中にすることなどを前もって考えていたので、本当に閉めるという異常事態に衝撃はあったものの、すぐに受け入れることが出来た。旦那氏は驚いていたけど。

この間、各国や自分の所属するカナダはもちろん日本の政府の対応など見聞きして、今ならあの時の私の抱えていた悲しみを感じている人がいるのかも知れないとふと思った。日本人は素晴らしい人達が多いから、政府に頼らずに自分たちで動き出す人がたくさん出てくると思うし、これを機に国民のための政治に移り変わることを心から願うが、それでもどうしてもこの国はおかしいのじゃないかと思う人がいたら、騒動が終わったら国を出れる準備をしておくのも手なんじゃないかと思う。前回の台風じゃないけど、今回の被害と政府のコロナへの対応など含めて、どこが危険度が高いかとかどこの土地が危ないかとか世界中でそういうのが表に出てきたと思う。私の今住んでいる地域はやや田舎で、だからこその「無知による差別」はあるが、街を歩いて殴られることはないようだった。移民系でなく生粋の白人のカナダ人は正義心が強い面があり、そういう不平等や理不尽な対応を嫌うという特徴もある。もちろん例外はいる。他の国でのアジア人攻撃はその国ごとの経済や貧困などの背景があるようだったけども。

余談だが、2月か3月の初めだったかに義父母とラインのビデオ通話で話した時、義母が「身体、大丈夫?あなたは強いから何を言われても大丈夫だもんね」と画面の向こうで泣きじゃくっていた。この設定の全てが理解に苦しむが、きっと私がカナダ人にいじめられたり攻撃をされたりしたというのを前提に泣いたのだろうと推測する。義父母が言うには、日本での報道では日本人が菌を撒き散らかしていると世界から思われているというもので、こちらのニュースではそんなこと一言も言われてなかったと思うけどなと思ったものだった。日本の政府とメディアがやろうとしている意図さえもわからないと感じた。アジア人暴行の件でいうと、アジア以外の国などでは「マスクの装着は重症な感染症の証」らしく、「昔の日本で治療法のない時代に結核の人がウロウロして目の前で咳をしたり吐血する恐怖」を与えるような感じなのだと思う。(コロナほど感染力が強くなくても、当時なら十分な恐怖だと理解していただきたいだけの例えです)先日街でマスクをしている中国人の若い子達をみて、「マジか、今か、まぁ今か。でもマジか」と衝撃を受けた。もしかしたらもう間もなくもしないうちにマスク着用が世界中で当たり前になる事態がくるかも知れないけれども、マスクが当たり前ではない国でマスクを着けるということが与える自分と他人への影響はまったく眼中にないのかと思ってしまった。もうここまでコロナが広がった今、外国でのアジア人のマスク着用がどのくらい周囲の敵意を買うのかはわからないけれど、あの子達はアジア人が暴行を受けている報道が流れていた時にどういう感覚で見てたのだろうかと思う。何も思ってないのかも知れないけれど。

違う違う、マスクのことが言いたかったわけではなく。

この後のことはよくわからないけれど、カナダの人口の少なさはアジアやアメリカと比べて半端なく少ない。でも国土はものすごく広い。寒すぎる未開の土地も半分くらいあるけれど、それでもこの国が完全に移民受け入れをやめることなどあるのだろうかと思う。国民が少なすぎたら国が成り立たないではないか。そして土地は本当にあまっている。(ように見える)

何が言いたかったかというと、この時を生き抜いて、その後で、これまで少しでも「本当は海外で暮らしたい」と思ったことがある人は、真剣に挑戦してみたらどうでしょうかということでした。安全で、いい政府のある国で、移民ができるところ。もしかしたらもう、安全な居場所はどこにもないかも知れない。でも自分がどこで生き、どう生きて、どう死んでいくのかを考える日々を私たちは生きていると思う。

あなたや私の居る場所が、あなたと私が幸せになれる場所であることを祈っています。

 

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