シンクロニシティ あなたは気付きますか?

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 今回は、シンクロについて。(遊びようがないので、ちょっと真面目に書きます。)

 

 

Q. 「偶然の一致」が起こった時あなたは、、、

 

A. ①やり過ごす ②気にする ③気がつかない ④そんなものは起こらない ⑤鳥肌が立つ ⑥ガッツポーズしちゃう

 

「1970年代後半に生まれた人達は、目に見えないものを信じる傾向にある人が多い」と以前何かの本で読みました。タイトルは何だったかな?思い出せませんが。

 私はもちろん、信じます。中学2年の時、なぜか突然「この世界が目に見えているものだけで成り立っているはずがない」と確信しました。なぜかしら。

 

さて。シンクロニシティについて。

初めて「シンクロニシティ」という言葉と意味を知ったのは、いつもは立ち寄らない本屋に無性に行きたくなったある日のこと。その日は勤務中からなぜかその本屋のことが何度も頭に出てきて仕方がないので、帰り道に寄ることにしました。

いざ本屋に入る直前まで「何で私は今日この本屋に寄ってるのかなー?」と訝しがっていましたが、パッと見るとそこには妙に私を呼んでいる(気がする)1冊の本があり。

( ↓↓ この本でした)

 

 

ずいぶん昔のことなのでうろ覚えですが、シンクロニシティという事象をいくつかの事例をあげて具体的に書いてあるのと、それらに対する著者の見解が書かかれていたと思います。

 

例えば。運転中に突然頭の中に浮かんできた曲がその直後に車のラジオから流れてくる、着信が鳴っただけで電話をかけてきた相手がわかる、相手のことを考えていたらその人から電話がかかってくる、など。中でも私が最も印象に残っているのが「車のナンバー」にまつわる話で、英語圏では車のナンバーを自分の好きな言葉などにできるため、横を通った車のナンバープレートにまさにその時の著者に必要なメッセージが書かれていた、というもの。(ちなみに今日私が目にした車のナンバーは「JOYFUL」と「JOY」でした。つまり私の今日のテーマは「喜び」「成功」。。。まさにそんな意味合いの深い1日でしたよ)

私は数秘学などにも興味があるので、いつでもどこでも数字を目で追ってしまいます。特に対向車や横を通る車のナンバーはもちろん、駐車場にある車のナンバーもいつもチェックしてしまいます。やったことのない人は是非、試しに気にして見てください。自分の目に入ってくるナンバーに、ある規則性があることに気づくはずです。

 

シンクロニシティは他にも、「いつも同じ時間に時計を見ることが多い」「デジタル時計を見るといつも同じ数字が並んでいるのを目にする(11:11や2:22など)」「何度も同じ言葉や特定のメッセージを目にする・耳にする」というのがよく言われています。

 

重要なのは、これらのサインに『気づく』ということなのでしょう。

1度や2度なら「たまたまの偶然」と思えるかも知れませんが、1週間のうちに4回も5回もあると、「何かある」と思いはじめるものですよね。

いろんな書籍を読みましたが、ようするにシンクロニシティには様々なサインが隠されていて、その時の自分に必要なメッセージが見えない存在から自分へと送られているということですね。

 

自分の決断に確信が持てない時や物事のタイミングをうまく測れない時などに意識して周りを見渡すと、案外あらゆるところにメッセージやヒントが隠れているものです。

気づくか気づかないか、というだけで。気づくといろんなものがクリアになってきます。これは決して、自分の外側に答えを見つけるということではないと思います。答えはいつも自分の中にあると思いますが、不安や心配やその他の雑念がその答えから自分の決断を遠ざけることもしばしばありますよね?そんな時に、「あ、私大丈夫だ。」と思わせてくれる何かがシンクロニシティにはあります。

 

何より、シンクロニシティを探し始めると、自分の感度が高まります。単なる「偶然」だけでは済ませられない何かが自分の周りで起こっていると感じ始めたら、自分の直感も冴えてきますし、自分の思考もクリアになります。すると自ずと何かを決断する時も迷わなくなる。つまり、「自分の人生がより自分らしくなる」わけです。人生がシンプルでクリアになると、生きやすくなると思います。

 

ちなみに、この本を読んだ当時の私は感性キレッキレで、着信が先か気づくのが先か、結構な頻度で電話の相手が誰かがわかりました。というのも自分にとって「いつも身近にあって欲しいサイン」が強くあったので、そういうものをいつも探していたからですね。

探し続けていたらいつの間にか多くの書籍を読んでいて、いろんな真理のドアが開けてきました。(私は無宗教です)

自分の人生でいうなら、シンクロニシティの絶妙なアシストもあり旦那との結婚を確信したり、カナダに来てからのたくさんの奇跡とシンクロニシティで移民まで導かれたりと、『今』の自分を作っているそしてこの先も作り続けていく大切なヒントがシンクロニシティでありスピリチュアリティであり。

 

シンクロニシティを意識されたことのない方は、ぜひ探してみてください。面白いと思います。

では。

 

続く⭐︎

 

追記:この本  が読みやすいか?と聞かれるとわかりませんが、「スピリチュアルという言葉に抵抗がある」「こういったことを初めて知る」という方にはオススメです。

 

「結婚」も「子供」もすべて自分の意志な人達 

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ここ数日勤務だったので、ちょっと日があいてしまった。

自分の思いを外に出すって、魂注ぐよね。慣れてないから一呼吸入れて、いざ。

 

Q.あなたは結婚を、、、

 

A. ①したい ②したくない ③したくなかったがした ④したが違った ⑤法が認めてないのでとりあえず出来ない ⑥来世でよろしく

 

 

私は、カナダはオンタリオ州のとある街のとあるホテルで美容系技術職として働いている。

この職場は独身率が高く、「子、要らない」派が多い。

「カナダ人だから」ということは往々にしてあると思うが、そうやって『自分の意思』をきっぱりと言い切るあたりがとても好き。「攻めてます」みたいな。

カナダの人たちはとても自分が強い。ほとんどの人が移民のルーツをもつ人達だから、カナダ文化と家族や祖先の文化が混じってる。だからなのか?もの凄く自己主張するし、「自分の人生の中心は自分だ!」「私が主役だ!」と全身全霊で語ってくる。

慣れるまではとても鬱陶しいし、日本との真逆っぷりにみんな戸惑うと思う。

そもそも確かにその人達から見れば「人生の主役は自分」でしょうけど、その人生にたーくさん他の人も出演してるんだけどね。主役も脇役も、キャストは自分のみ。強い。

 

さて。

そんな感じの「強く美しき独身女性」な私の同僚の方々は、はっきりと「結婚?クソくらえ。子供?絶対要らない」と言います。

よもや何だか、カッコイイよね。そこまで言い切ってくれるとね。

だいたいみんな40代。今子供が出来るかどうかではなく、「自分の人生には、それらは要らない」と生きてきて今があるだけ。そんな彼女達にもちゃんと定職に付いてるまともな彼氏が居ます。でも結婚しない。

 

彼女達は結婚に伴う「問題」を人生に入れたくないらしく。

「旦那の面倒みたくない」「自分の飯だけ作ってればいい」「好きな時に好きなだけお金を使いたい」「他人に干渉されたくない」「旦那に付属する家族親戚問題に関わりたくない(旦那にも関わって欲しくない)」「毎日顔みたくない」「自分の聖域に入られると邪魔」などなどが理由。

それらが嫌なら、結婚しないのもごもっともです。

そしてもちろん、子供に対する理由もそんな感じ。

「手がかかる」「お金がかかる」「自分の時間を失う」「子供の問題に頭を悩ませたくない」「子供にまつわる行事や親戚との関わりは面倒くさい」「24時間一緒にいるなんてありえない」

 

よもや子供も旦那も、商品かって感じです。「それ要る、要らない」的な。

 

賛否両論あると思いますが。私は大賛成です。

健全だと思う。これ全部、言っているのは『女性』であるということが。

この独身女性達、みんなしっかり稼いでいて、家持ち車持ち。家を複数持ってる人も居る。若い頃から働いて、自分で買ったもので、決して親が与えたとかではない。毎年旅行もがっつり行くし、夜遊びもそこそこする。

「独身だから、身軽だよね」とかではないと思う。

結婚して子供がいる人達ならなおさらわかるんじゃないかと思うが、一人の収入でそこまで生活を充実させるのって、すごい『自分力』だなと思う。

 

論点ありすぎて異論の余地はものすごくあるのは承知のうえで、やっぱり健全だと思う。

①本人達が納得して自分の人生を選んで生きている。

②社会の中の自分の立場や観念にとらわれる必要がないことを知っている。

③流されてないし、悔やんでない。

 

まるで人生の成功者ではないか。

私は日本出身なので、どうしても日本としか比較できないけども。これらの結婚したくない理由や子供を欲しくない理由って、女性は常に「言われる、聞かされる」側にある気がする。

何より「子供が欲しくない」なんて、思ってても口に出せるような社会ではなかったような。(注:10年前の日本国です)「いつ結婚するのか?」「いつ子供を産むのか?」「結婚できるのか?」「子供が作れないのか?」

 

「出来るか出来ないか」で判断される威圧感。

 

個がどうしたいかの意思ではなく、いつも親や近所や誰かからの「余計な期待」からのプレッシャー。

こころない人達の不躾な発言に「どうして私の人生に口を挟んでくるんだ?」といつもブチ切れしていた若かりし頃の私。

(よもや「子供がかわいいと思ったことがない」なんて言ったら、私には何か深刻な欠陥があるんじゃないかと、、、いや、あるのか。これはあるんだろう。うむ。)

でもその欠陥も全部ひっくるめて、「私がどうしたいか」ということが本当はとても大事なわけで。

 

でもね、日本ではそれが出来ないよね。いや、出来るのかもしれないけども、もの凄くやりづらいよね。

どこを見てもほぼ日本人という同民族で、見た目もほぼ一緒。人が近くに居すぎて、どうしても他人やその集団からのエネルギーとかで揉みくちゃにされてしまう。まして日本社会は「みな同じようであれ」という呪いさえかけてくる。

 

(日本のみなさん、疲れたら是非、カナダに遊びに来てね。都市部以外はまだまだ本当にだだっ広いからね。)

 

追記:もちろんカナダ人がみんなこんなに攻め攻めな人達ばかりではないし、どこの国でもあるであろう出来婚とか、出来ても未婚でシングルとかもたくさんいる。最も多いのは再婚と連れ子再婚かと思われる。この記事はあくまでも、私の職場の話。

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いじめをぶっ飛ばせ 傷ついた心に

 

 いじめ記事のとりあえずの締めとして、オススメを紹介。

 くれぐれも、前回の記事読んでからこの意味を噛み締めて欲しい。(願)

 

 中学生時代は、ちょうど斉藤由貴が教師役で萩原聖人が不良高校生役で主演の「学校へ行こう」というドラマがやっていて。学ランの萩原聖人に激惚れ。主題歌がブルーハーツだった。それでブルーハーツを知り、中学はブルーハーツで生き抜く。

ヒロトの純朴な声と時にぶっきらぼうな?歌い方がとってもカッコイイ。

「終わらない歌・リンダリンダ・君のため」今もなお、人生の応援歌です。

リアルタイムで知れて良かったアーティスト。最高

自身のいじめの経験とその経緯を、一緒に闘う友人や家族とのやりとりなども含めて暗くも重くもなり過ぎずにうまく描かれている作品。自分をいじめていた「立場上大きな相手」に、親友と立ち向かう場面はとても素晴らしい。いじめと一人で立ち向かうしかなかった私と、そうするしかなかった大勢の同志へ。これを読んで「こんな友達が居たら、一緒に泣けただろう」と安心して欲しい一品。

今は大分人気なのでしょうか?マキシマムザホルモン。初めて知ったのは数年前。私に彼らの存在を教えてくれた人の弟は10年も前から彼らの音楽を聴いて励まされていたらしい。初めて見た時、衝撃でした。でも、ホント良い曲ばかり。生き様も好き。不器用に一生懸命に生きてきたところがとても好き。リアルな人間の歌う、リアルな生きる曲。リズムも曲調も好きですが、特に「予習復習」はいじめられっ子には絶対オススメ。聴いて、励まされて、戦え。強くなって良い、君が強くなっても、誰も傷つけないよ。

強くて弱いも困りもの

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まぁ、いじめの続きの話。ちょっと長め。

 

Q. あなたの人生でビックリしたことはなんですか?

A. ①部活に行ったら部室から自分の机や荷物が外に投げ出されてた

  ②22歳の時、わずか19歳にして彼氏が天国に帰って行った

  ③結婚直前に「人生の断捨離」のつもりで気軽に受けた「簡易エイズ検査」でひっ  かかり、再検査の結果が出るまでの1週間何度も逃亡したくなる衝動に駆られた

  ④規定の年齢に達したので子宮がん検診を受けたら、6ヶ月ごとに受けるように言  われたその後の検診で5回続けて「異常あり」と出た

 

ちなみに③は、血液の性質上日本人の100人に1人はそういう反応を示すそうです。知らんがな。

(今日のAは妙にリアルアンサーですもんねー。時々出ますよ ヨーチェケラッ)

 

私は小さい頃から、臆病者の甘ったれの内弁慶で生きてきました。もちろん、生まれた環境もありますね。2人姉妹の次女なので、甘ったれは後付けの性格オプションですかね。

だけどめっぽう根性座ってたみたいで。生きる根性っていうか、立ち向かう強さっていうのか。私の人生のステージ名は「愛と強さと根性。娘」的な。(舞台裏にはバックダンサーズとして常時「ギャン泣き、ダダ泣き、ズタボロ、満身創痍。娘」がもれなく涙と鼻水垂れ流しながらぐねぐね踊り続けてます。)

 

さて。

中途半端な地方の田舎によくある子供社会の縮図のように、私の育った町も小中同じメンツが通い続けるという、「仲が良ければ天国、悪ければ地獄」という9年間。

私はその内合計すると約3年間が「部活限定地獄」で、部活内でのみ仲間外れにあうわけです。

小中学校の頃はまだかわいいもんですね。田舎のバカガキの思いつく意地悪なんて、小さな子供社会の仲間外れのみ。子供なりにその組織での力関係を学びながら、他者に飲まれなければ生きていけない「付属組」の生き方習得講座として学校生活が成り立っていく。これもとても大事な学びですね。

大概、小中学校でのいじめや仲間外れは「中核」になるジャイアン組がなぜかのび太を定期的に替えていくということが起こるわけですが、例に漏れず私にもその「ジャイアン組に入って次ののび太を外れにせよ」という通達が回ってくる機会があるわけです。

 

「ヤナコッタ」

 

結果、その次からの半永久のび太に私がなるわけですが。

あれ、よく「のび組」から「ジャイ組」に鞍替えできるなぁって、他の子を見ては悲しく感心してました。まぁ小学生でもう生き方決まるっていうか。その後の「生き様」出てるっていうか。

 

自分ガ刺サレテ痛イ思イシタソノ針ヲ、ヨクソノ血モ乾カヌウチ二他人二刺セマスネ

貴方サドデスカ? イヤ、マゾカ?

 

私にはまったく理解が出来なかった。

自分の心が痛まないのかな。痛いとわかってて刺すほうが、痛みを知らぬバカが刺すよりもっと重い。刺される人にとってじゃない、刺す君にとって。

痛みを知らぬふりをしても、絶対にふりのままでは終わらない。その重みと痛み、自分に返ってくるじゃないか。

 

子供時代に他の子よりもちょっと「体が大きい」とか「力が強い」とかで「すごい」みたいに無理やりジャイアンの地位についたりするとろくなことないよ。ほんと。

てゆーか、そんなに体がデカイなら、畑仕事でも手伝っとけよ。(んだんだ。)

ジャイ組に入ったら、もれなく地域貢献で校長に表彰される、みたいな。

力の使い方、間違っちゃいけねー。

 

さてさて私はというと、部活以外は友達にも恵まれ、成績もまぁ優秀で運動能力もあり、生徒や教師父兄からも人望がありました。で、ジャイ組の仕打ちに心は傷つきながらも無事に小中卒業。で、次。

 

高校になるとねー。これまた、ジャイ組がチンピラに昇格するんですよねー。

たちが悪い。

小中の「ただ体がデカイ」とかだったバカジャイ組が、今度はちょっと「タバコ吸う」「万引きする」「無免許で原付乗る」とかを誇りにする「違法ジャイ組組長」とかになってくる。

いやぁ、ほんとこれ、たちが悪い。

 

何があったかというと、ここでも私は「部活限定地獄」に突入するわけです。もうこれ、本格的な地獄絵図ですね。出てくる鬼が半端ない。

小中ジャイアンの比じゃなく醜い。身も心も魂も、半端なく醜い。

(ちなみに私の行った高校は、ジャイ女子高等学校です。)

 

私の通ったその高校は、私の育った町からは通学可能圏外で、やむをえず学校の近くに下宿することになりまして。同居人は他に私のような通学圏外から来てる同部活の人2人と、家主のおばあちゃん。そして高校生活の中頃には、ジャイ組が、私にとって唯一の砦のこの下宿にも問題持ち込んだり心の乱闘をけしかけてくるということが起こるわけですね、やはり。

 

この女子高生のチンピラジャイ組構成員たちは、この段階で「ゴリラ@母に捨てられ父の再婚の継母との同居(継母は最高に良い人でしたが)」とか、「ミス他人の権力に抱かれろ「あなたのケツ舐めます」みたいなデブカッパ」とか、ジャイ組組長にいたっては「カッツェLOVE盗んだバイクで走り出せ!元彼氏は族のヘッド」みたいな感じになってまして。イッツァスモールワールド ザ・ジャイ子とブサイク7人のゴブリンみたいなファンタジーを繰り広げていくわけですね。

 

組長は知恵があるので、直接的に表立ったことはしてこないわけですが、構成員の皆様はガチで低すぎて偏差値が測れないほどのバカぶりだったので、ありとあらゆる酷いことをやってくるわけです。

ある冬のこと。週に一度の「部室で強制ランチ地獄」の日に、私の後ろの席の女狐が

私が座れないように、自分の椅子で私の席を完全ブロックしてきたことがありました。3学年全員みているその中で、私一人立ったまま座れず。でもこちらは関わりたくもないわけで、声もかけたくない。あまりにも不穏な空気に耐えかねた女狐の連れが彼女を促し、私は座ることに。が、私のお腹と背中がピッタンコするほど今度はきつく押してくる。 誰が飯食えるかこの環境で。

その冬私は2週間で8キロ減に成功するわけです。キャッホー。 

 

まぁその他には、遠征中のバスで移動中に後ろの席から座席を思いっきり蹴られるとか、顧問の先生と数人の生徒での移動の最中に見えてないところでまた座席を後ろから蹴られるとか(あの、これ、顧問のBMWなんですけど、、)、練習中に私だけ縫い目のすっかり消えたゴミボールを与えられるとか、大声で文句や悪口を部活外の校内で言われるとか、ある日部活に行くと私の荷物と机セットが部室の外に投げ出されている、とか。

 

座席を蹴られる等の「直接的に身体に響くもの」も相当に良い気がしないけれど、いじめや仲間外れで本当にいやなことは、何のプレイですか?というような「公開処刑」です。

そもそも処刑される筋合いはないんだけども。相手はジャイ組です、よもや仕方ない。

仕方ない、が。他の学年の部員の前でそんなことされたら、私の存在や人権や威厳はまったく失われるわけですね。その社会の中で、生きていきづらくなるじゃない。

部室の外に投げ出されている私の荷物の横で、所在なさげに私とはち合わせしてしまう後輩の顔ったら。でも私もね、傷ついてますよ。あなたがジャイ組のパワーに負けて、その荷物と私を複雑そうにみているその姿を見て、「人は愚かな力に戦わずして負けるものだ」と寂しくなりますよ。

戦って死んで欲しいわけじゃないけど。たくさんの人の弱さや愚かさをみて、悲しくなる学生時代をすごしたのも事実ですね。

 

思っていた以上に長く陰気になったので、ここらで締めないと。

 

結果的に、じゃぁそれって、「YOU、部活やめちゃいなよ」ってことなんじゃないかって話なんですけども。

そこに私の強さがやってくるわけですね。白馬に乗った屈強な王子様っていうか、空気のよめないケンタウルス?みたいな感じで。

そもそも、私は当時そのスポーツで将来生計を立てるというのが夢だったので、そのスポーツを止めることだけは「絶対に」嫌だったわけです。

毎日、朝(全体)昼(自主)晩(全体)と練習して、親元離れて学力レベルまで落としてそのジャイ女子校に行ったのには『夢』があったからなわけですよ。

でもみんなそうでしょう? 何か嫌なことがある、嫌な人がいる、それだけではその場所を離れるに値しないことだって山ほどあるでしょう。

さらに、その部活をするために通い始めたわけですから、世間を知らない高校生の私は、私立高校のスポーツ特待生でもないのに、「これで部活を辞めたら、学校を退学になる」と信じてたりするわけで。オーマイガッ。無知って怖い。

 

まぁ、私の場合はちょっと我慢をし過ぎましたが。そしてその後数年間は、見えない傷をひきずっていくことになるのですが。

 

私がその時経験したいじめで最も恐怖だったのは、仲間外れでも罵声でもなく、「練習する機会を奪われること」これにつきました。

 

球触らせろや。練習させろや。投げさせろや。共同練習はやらせろや。

 

そのために私は、その時の自分の人生全部ぶっ込んでいたんです。それを横からやんややんやと努力も練習もしないバカでクソな奴らに妨害されてたまるか。そう思って頑張っていたわけですね。

結局、高校三年間通しで国体選手にも選ばれ、チームも強く、個人でも賞を獲るなどの結果は出ましたが。

結果は結果に過ぎず。そんなもんが欲しかったわけではない。私はプロになりたかったので、結局その夢は形を変えることになるわけですが。

 

最終的に。高校を卒業間際になって、ジャイ組組長よりご挨拶を承ることになるのですが。

「マジ、お前ホントすげーと思う。すげー強ぇと思う。僕だったら絶対途中で辞めてる。お前、マジ強ぇと思う。」と。

 

なんだそれ。

 

いじめって、最終的には自分との折り合いのつけ方というか、戦い方というか。

その後の人生でも何度も「自分を試される瞬間」みたいなものはやってくるわけで。

その恐怖や嫌悪感に対峙することによって開ける自分の可能性とか価値とかが、見いだせるなら逃げなきゃいい。

一時的に血を吐いたって、死なない程度で済むなら、どんなに傷ついても必ず傷は癒えるから。進むが良しとするなら、逃げずに進めばいい。

でもそこに、戦う価値もないほどのアホらしさしか見られないのだったら、とっとと逃げればいい。私のように「どうしても守りたいもの=球」みたいな決意とか目標とか夢とか、そんな感じのものなどなく、ただ毎日そこに居る人達からいじめられたり嫌がらせを受けたりしているなら、それが苦痛で毎日死にたいと思ったり、体調を崩したり、朝起き上がれなかったりするなら、そんなクソな団体から抜ければ良い。

 

自分の生きる場所は選べる。 生きたいところで、生きるべし。

生きたくないほど辛いなら、「死んでもやりたくない」ような未だ見ぬチャレンジしてから死ねば良い。 いじめに立ち向かえってことではない。 

高いところが怖いなら、バンジージャンプとか。暗がりならお化け屋敷とか。

頭にきて仕方ない時は「1人イカれダンス」とか。死ぬ気になってやってみたら良い。

そしたら、なんで今自分のいる場所に踏みとどまっているのかとバカらしくなるかもしれない。

 

これ以上生きたくないほど辛いなら、場所を変えてみると良い。あなたの魂が喜ぶ場所が、この地上には必ずあると思う。

人生は短い。生きてる間に、見つけ出せ。

 

続く。

 

 

いじめられっ子諸君へ 『逃げろ』でも『諦めるな』

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はじめに。

諦めるなっていうのは、勝つか負けるかの問題じゃないですよ。負けるもなにもね。いじめはしている側が完全に負けです。良いこと一個もないもんね。だって、いじめっ子なあなた。あなたには「人をいじめて苦しめた」という罪が、カルマが、一生(もしくわその後の来世も)ついてまわる。悔い改めない限り、あなたの人生はろくな幸せが待ってません。

 

Q. 学生中に、いじめられたことがありますか?

A. ①はい ②いいえ ③いじめてました ④見てました ⑤いじめっこの取り巻きでした ⑥関係ないけどいじめっこをフルボッコしました ⑦教師でした ⑧親です

 

⑦と⑧、大人として関係していることの闇の深さが恐ろしく響きますね。いじめていることがじゃなくて。

自分がいじめが存在しているクラスや学校、団体の「教師」だったらと思うと、私はぞっとします。

自分の子供がいじめられる、なんてことを想像しただけで、いじめる子をフルボッコにするところを想像したりして、血の気があがります。(子供いないけど)

「教師」だったらぞっとする、というのは、いじめっ子は救えないと感じるからです。いじめられっ子は、悲しいかな人生の痛みを知り、今後の人生もその今の人生も救える可能性が高いからです。闇を見たら希望を知る。いじめられっ子は幸せになる素質があります。

でもいじめっ子は?

例えば。DVしてる人を治療するより、されている人の方が人生にある自分自身の問題に向き合う可能性が高い。(痛みを感じることで自己存在を肯定してるから共依存ではあるのですが。それは置いといて。)

痛みを感じているから逃げたいと思える。抜け出したいと思える。

DVしている人は?弱き者をいじめる奴は、その穴から抜け出せないだろう。だって相手が弱いからいじめてる。痛みもわからずに。自分の問題を、他人に押し付け、すり替えてそれを潰そうとしている。それ、あんたの問題だからね。殴ってる女の問題じゃないからね。

でもいじめられる側は、その「一時期の」「仮りの」弱き者になった自分という存在を、必ず救い出すことが出来る。自分が諦めなければ。

 

この記事を、いじめられっ子が目にする可能性はあるのかな?

この記事を、我が子がいじめられてる親が目にする可能性の方が高いのかな?

 

もしも自分の子供がいじめられて朝起き上がれないほど苦しんでいたら、その団体や学校に行くのを一時的にでも永久的にでも、やめさせてあげてください。 

生きてこそ。心がどうにもならないくらいに折れたら、復活の呪文も効かない。

いじめられっ子が小中学生なら、専門の児童カウンセラーに会わせてあげましょう。

親のあなたも、あなたこそ、心が救われる方法が見つかるでしょう。

いじめられっ子が高校生なら、そんな高校行くな。やめても問題なし。夜間や通信だってある。

「本当に良い大学」にでも行かない限り、人と比べるに値するような「成功者」「勝ち組」なんてつまらない人達が呼ぶような生活にはならない。クソみたいな集団に入り続けて自分の魂削るくらいなら、新天地求めて今の自分が出来る限りのことをした方が良い。

 

学校は、人が「大人」というものになるまでの「時間つぶし」に行くものです。

「大人」の仲間入りして、自分でお金が稼げるようになったら、学校なんて行っても行ってなくても大した問題じゃない。

本当に勉強したいことがあるなら、幾つになってもどこででも始められる。

 

いじめられっ子なあなたも、その親のあなたも。

もっと大切なことがあります。

 

もしも自分が、我が子が、いじめられていたら、何か新しいことを始めさせてあげましょう。学校に行けなくて家にこもってしまったら、何でも良いから「表現する」ことをさせてあげましょう。

絵を描く、色を選ぶ、ストーリーを作る、筋トレする、走る、パズルをする、格闘技を始める、音楽を始める、日記をつける、踊る、歌う、何でも良い。

本人がつまらない集団社会で窒息死する前に。そんなことを忘れてしまうほど没頭できる何かが見つかったら、その子の人生は安泰です。いじめられた子の感性はいろんな形で癒されることが出来る。そしてその感性は才能になります。

その怒りを、悲しみを、自分で出来る何かに投影させれば良い。

 

いじめを傍観している子より、いじめている子より、自分がいじめられても決して他人をいじめない自分であったら、もういじめ戦争からはとっくに抜け出しているよ。

いじめられっ子には幸せになる価値がある。

自分の才能を見つけるチャンスだ。

 

全国のいじめられっ子諸君、逃げろ!でも自分を諦めるな。

 

続く⭐︎

 

 

 

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繊細で正直者の『蛇の毒』

Q.蛇のイメージは何ですか?

A. ①牙 ②毒 ③ぬめぬめな体 ④金運 ⑤執着 ⑥支配力   

 

巳年生まれの39歳な私は、つい最近までずっと、巳年は金運の良い「なかなか良い運気」の生まれだとばかり思っていました。

 

だって占いとかするとね、そこには必ず金運が良いって書いてあるんですよ。

 

真に受けて、「金運良いなんて良いじゃん」とか思っていたわけです。

「一生お金に困らない」とか書いてあるんですよ。超良いじゃん、て。

 

それが先日のこと。

「私、蛇年で蠍座のダブル毒なんです」なんて発言を友人Yさんからさらっと聞かされて初めて、本当に人生で初めて、ハッとしたわけです。

私、毒持ってるのかと。

 

思い起こせば25歳の時には同じ蛇の友人に「4枚舌」とか言われてたな。(注:喋りすぎという意味です)

そうか、蛇といえば舌と牙なのか。そしてそこにある毒、なのか。

 

妙に腑に落ちて、今までの人生が走馬灯のように思い起こされるわけです。

あんなことや、こんなこと、人生の数々のミスマッチな会話のほとんどがまさに「歯に衣着せぬ」とか言う毒丸出し会話だったわけですね。 アイタタ。

 

そしてそれ以上に、ここ数年間の英語圏生活でまったく自分の意思を伝えられずにいたシャイなあんちくしょうだった私はまさに全盛期のS町氏風で「言いたいことも言えないこんな世の中じゃ、POIZON!!!」状態だったわけですね。

そりゃーストレスも毒も溜まりますよね、精神的に。

どーりでネガティブ全開悶々太郎になりますよね。

 

ふぅ。

なんだ、毒か。     てへぺろ。

 

 

 

 

なんだじゃねーよ!!!

 

自毒?自毒盛り行為?

腹に溜めてて胃が悶々みたいな?

 

ノンノン、ダーリン。

YOU、吐いちゃいなよ。

 

ということで、人に言えることも言えないことも、まったく歯に衣着せずに、目に眼帯もつけずに、お尻にムーニーマンも装着せずに、漏らしていこうと思います。だってそれが私にとっての真実だから。

 

金田一くん、真実はいつもポジティブとは限らないんだよ。

むしろいつもポジティブなら、そいつは闇から目をそらしてるってことだ。

全国のちびっこ偽ポジ諸君、悔しかったら泣いてみな。 

 

続く⭐︎