彼の死 あの日のこと    前編

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あの日のこと。

 

私が「目に見えないもの」をはっきりと信じるようになったのは、やはり、近くで死を経験したあの頃からだった。

 

彼の命日は、11月26日。当時私は大学の卒論を書いていた。それを気遣った彼が、クリスマスまでは会うのを控えようと考えて、その前に私の部屋に遊びにきたのが25日の夜だった。

辻調理師専門学校に通っていた彼は、その日学校が終わってから急いで実家に帰宅し、当時大きな悩み事を抱えて食事が摂れなかった私を心配し、特製スープを作ってくれた。作り終えるとすぐに、学校の友人に誘われていたパチンコに付き合い、本当は家まで送る約束をしていたその友人に律儀にもタクシー代を渡し、「ごめんけど、これで!」と言ってまた急いで実家に帰宅し、その日私のところに持ってこようと本人が企てていた大量のプレゼントと手作りスープを持って、私のバイトが終わる頃に合わせてうちにやってきた。

両手に抱えきれないほどの荷物だったので、私に車まで荷物を取りに来てくれと電話してきた。私が車に向かうと、彼はもう途中まで歩いてきていた。大量の荷物を抱えて。

そしてうっかり、鍵を中にさしたままドアをロックしてしまった。

それに気づいたのは朝の6時過ぎだったろうか。ちょうど会員証が切れてしまっていたロードサービスを有料で頼むのは馬鹿らしいということで、一旦実家にスペアキーを取りに戻ることに決めた彼は、ちょっと怖い彼の父親が出勤した時間を狙って実家に電話をかけた。母親の通勤時の乗り換え駅で、スペアキーをもらい受けるためだった。母親に事情を説明し、くれぐれも父親に言わないように念を押し、そしてもちろん父親の耳に入る。そして父親から電話をもらい、怒られる。仕方ない。

結果的にこうして彼は、亡くなる前に両親と話すことが出来、母親は最期に彼と駅で会うことになる。優しくて綺麗な彼の母親は、この時「息子を止めなければ」というどうしようもない気持ちになったという。「気をつけてね」といつも言っている言葉が、どうしても出てこない。言わなければいけないのに、どうしても言えない。

それはその前日の夜に、私が彼に思ったことにとても似ていた。

「どこに行くの?」こんなに近くにいるのに、とても遠いところに行ってしまうようだった。まだ始まったばかりなのに、まだ若いはずなのに、もう終わりを迎えていくかのようだった。そしてそれは、本当だった。

 

私のところを出たのは、昼前だったろうか。私の部屋に遊びにきた当時仲が良かった大学の友人に会って軽く話をした後で、うちを出た。しばらくしてからふと、彼が出てからどのくらい経つだろう?と何かが引っかかった。その友人に彼が出たのは何時頃だっただろうかと尋ねた。「もう1時間位は経ったんちゃう?」と友人は答えた。二人とも確かではなかった。窓を開け外を見るととてもいい天気だった。近くの山では紅葉が始まっていた。それがその日、私が彼の死を知る前に見た、「あの日の、22の私」の最後の景色だった。

 

彼はいつもは実家に着くや否や必ず電話をかけてくる人だった。その日は待てども待てども連絡がない。電話をかけてもつながらない。初めは寝ているだけだと思っていた。何度かけても出ない。寝ているだけだと信じようとした。でも絶対におかしい。何もないわけがない。そう思うと怖くて怖くて不安で仕方がなかった。

当時かけもちでやっていたバイトは一つは居酒屋、一つは家庭教師だった。その日は家庭教師の日で、彼のことを心配しながらもバイトに向かった。仕事中は携帯を触らないようにしていたが、どうしても気になる。生徒に謝り、抜けだしてまた電話をする。つながらない。恐怖で心臓が張り裂けそうだった。

 

バイトを終え、泣きそうな気持ちで家に着く。

必死だったことしか覚えていないが、帰宅後たまたま電話をかけてきた昼間とは違う大学の友人が私の様子を見にちょうど部屋に来てくれたところだった。

夜の10時前だったろうか。ようやく、彼の携帯がつながる。

 

電話に出たのは、か細い声の女性だった。私はほんのわずかに、「やはり寝ていただけだったんだ」と期待しようとした。でも無理だった。そのか細い声の女性は今にも泣きそうで、消え入りそうで、何事もなかったようにはとても思えない何かが伝わってきた。   

「あの、、、直哉は、、、亡くなりました、、、。」

 もの凄い衝撃と共に、頭のどこかで「やっぱり」とうなだれる自分があった。

 

そのか細い声の女性は、彼の母親だった。

「それは、、今日の何時頃だったんでしょうか。」と聞くと、「午後1時29分でした」と答えた。 あのとても綺麗な空の下、窓を開け私が山を見たあの時間は、一体何時頃だったのだろう。虫の知らせなんて、もっと鋭い感覚のものじゃないのか?あの時私はとても優しい空気に包まれていた。優しくて続いていくような何かの感覚さえ感じた。今振り返れば、それは彼の優しさか。でも当時は、彼が亡くなった瞬間さえも感じられなかった自分を責めた。

 

私が年上だったこともあり、そしてまだ19歳だった彼の、近頃の夜遊びを怒っていた父親のことを直前の彼との電話で知ったこともあり、私はとても責任を感じていた。

失ってしまった命のためにできるような罪滅ぼしなど、私にはとうてい思いつかなかったが、とにかく何かしなければと思った。同時にどうすればいいのだろうかと絶望感でいっぱいだった。

ご両親と直接接触するのはその電話が初めてだったが、意外なことを頼まれた。

「息子の友達で誰か連絡先を知っている人がいたら、このことを伝えて欲しいんですが、、、」

まさか、まさか自分が彼の死を、あの日彼に出会うきっかけになった教習所の共通の友人に電話することになろうとは。一体誰がそんな瞬間が来ることをあの日に想像できただろうか。

「⚪️⚪️君と、、△△君なら電話番号も知っていますが、、。」と伝えると、彼らはなかでも特に親しい友人だということで、連絡することを非常にありがたがられた。

悲しみと衝撃の中でも、変な縁を感じた。

⚪️⚪️君に電話をすると、なんの警戒もなくとても普通に電話に出る。

「おー、久しぶりー。何ー、どしたん?」

「うーん。。。ごめん。ごめんな。。。あのな、直哉君、亡くなってん。。」

「何おま、何ふざけてんの?何?え、何?え?マジで?え、何?意味わからん。マジ冗談やろ?」

「。。。ごめん。ホンマ。。」

「え、てか何?お前らまだつるんでたん?え、何でお前知ってんの?え、意味わからん。」

「うーん、、。うちからのな、、帰り道やってん、、事故でな、、。」

いたって普通の反応だと思う。19歳の子の、そして年齢を考えれば素晴らしいほど冷静でいようとしている反応だと思う。でも私はその「お前らまだつるんでたんか」という驚きで少し強めになった口調に、心がえぐられるようだった。本当にごめんなさい。大事な親友を、19歳という若さで死なせてしまった。それを責められているようだった。

 

とんでもないことになってしまった。そしてその当事者である私は、何をするべきなんだろう。どうにもならない考えや心を、どうにも出来ずにいた翌日、⚪️⚪️君から電話がかかってきた。

「直哉君の両親がな、お前に会いたいねんて。どうする?」

「行く。会いに行きたい。どうしたら良いん?」

会ったら、なんて言われるだろう。どうやって謝ればいいだろう。どれだけ罵倒されるだろうか。それでも私は、会いに行かなければいけない。どれだけ責められようとも、私は私の責任を果たさなければいけない。

その電話の翌々日、私は⚪️⚪️君と待ち合わせをして、彼と最後に会った大学の友人と一緒に、彼の実家に行った。砂を撒かれるのを覚悟で臨んだが、ご両親はとても優しく弱々しく、笑顔で私を迎えてくれた。

彼の父親が「5日間ご遺体を家でお世話します」と決めたので、この日私はまだそこで安らかに眠っている彼に会うことができた。(後で彼の父親と、この時どうして彼の写真を撮らなかったのかと、二人で笑って悔しがった。あったらあったで心が痛むだろう。でも「愛しい人は遺体さえも愛しい」という気持ちを二人で後に話したのだった。)

 

ご実家では最期の日のことや、「近頃毎日のように京都に行ってたんは、お宅さんとこでしたか。」など、最近の彼の様子を、怖いはずの彼の父親は私に優しくたずねてくれた。何か他に知っていることはないか、一緒に写っている写真などはないかと聞かれ、ずっと気になっていた「以前撮った写真」のことを思い出し、それを伝えた。「以前、彼がなぜか赤いキティーちゃんのカメラを持っていて、部屋で二人で写真を撮りました。彼はそのカメラをいつも車のダッシュボードの中に入れていると言っていたのですが、、ご存知でしょうか、、」私が尋ねるやいなや、「おーそれな、今現像屋に出してるとこやで。もうすぐ出来るんちゃう?」とのこと。彼が乗っていた車は日産のフェアレディZという車で車高が低かったため、ダンプカーと正面衝突した事故の衝撃で車の前半分が潰れていたとのことだった。もちろんダッシュボードが潰れていても何もおかしくはない状況だったのに、ドリンクホルダーに入れておいた彼の携帯電話とともに、奇跡的に後部座席に飛ばされていてそのいずれも無事だった。彼の携帯が潰れていたら、私も、友人も、事故のことを知るのは後のことだっただろう。

 

いろんな話をした。私の知っている彼のこと、彼が話してくれた両親への気持ちなど、彼が置き土産かのように私に託したメッセージをすべて伝えた。私たちは一緒に泣いた。そして彼の父親も母親も、泣きながらも決して私を責めなかった。それがとても苦しかった。

そして二人は口を揃えて言った。「あなたがあの日あの車に一緒に乗ってなくて、本当に良かった。それを考えるともう本当にいてもたってもいられない」と。

 

あの日あの車に。どれだけ一緒に乗っていればと思ったことだろう。

彼の代わりに、私が死ねば良かったのに。

こんな私が取り残されて、こんなに惜しまれている彼が死んでしまった。

なんでこんなことが起こってしまったんだろう。

 

 

それから数日でお通夜があり、お葬式があった。若い子のお葬式はさながら成人式の前撮りのようで、若くて生命力溢れる子達がみな驚きと悲しみを交互に見せながらとにかく参列していた。私はその中で、ただ泣くしかなかった。斎場の最前列で参列者の方を向きながら立っているご家族を見て、なぜ私はこちら側で、何も出来なくただ泣いているだけなんだろうと思った。なぜ私はこんなにも悲しいのに、あちら側にいられないのだろう。何も出来ない。ただそんなことを思った。

斎場の中を見上げると、上から彼が悲しそうにこちらを見ている気がした。いたたまれなくなった。

お焼香をする順番が回ってきた。私はよろよろと棺に近づき、花を添え、彼のご遺体のおでこにキスをした。ドライアイスでむせかえりそうになり、とても冷たいそのおでこが愛おしく、そして悲しかった。

 出棺直前に、彼の母親がキョロキョロと周りを見渡していた。この日も一緒に参列してくれていたあの日最後に会った大学の友人が、「お母さん、あんたのこと探してると思うよ」と私の背を押した。前に出て棺に近ずくと、彼の母親は泣きながら必死に私に「写真、棺にちゃんと入れたから。ちゃんと、入れさせてもらったからね」と言った。

あの日、実家で話したキティーちゃんのカメラに入っていた私と彼との一生に一度のツーショット写真。撮った時の彼の手の角度は明らかに見当違いの方向を向いていて、絶対に私の顔は写っていないはずだったあのツーショット。大破したZの車体から奇跡的に出てきたそのカメラに残されていたその一枚の写真は、まるで合成処理をしたかのように完璧に二人の姿を中央に据え、3Dのような彼の笑顔とともにしっかりと恋人らしく写っていた。その写真を撮った時は、まだ付き合う数ヶ月前だったのに。この日にこうなるのがわかっていたかのような、完璧な一枚になっていた。

 

本当はあの日、実家でこのカメラのことを伝えたあの日に、彼の父親が約束してくれたことがあった。急いで現像されてきた写真を確認していると、友人たちと撮った他のピンボケした写真の中から一枚だけ、唯一ピントの完全にあったこの写真が出てきた。そこに映る今までと違う少し大人びた笑顔でいる彼の姿を見て、彼の父親が私にこう言った。「これ、お葬式で使う遺影にさせてもらいますわ。ほんま、ええ顔してる。ほんまに、ええ顔やわ。これが良いわ。約束しますわ。遺影に使わせてもらいますわ。」

私はその写真を、そしてそこに映る実家で見るのとは違う彼の表情を大切に思ってもらえただけでもう十分すぎるほど嬉しかった。そしてありがたかった。夜遊びしていると思っていた息子が、良い笑顔で写真に写っているということが、「短い人生だったけど、若い者らしく楽しめたんやなぁ」と言って泣きながら喜んでくれる素敵な家族がいて本当に良かったと思った。それだけで私はとても嬉しかった。

結局、彼のご祖父母達があまりにも見慣れない彼の写真では困るということで、ご家族の写真の中から遺影を選ぶことになった。私はそれを聞いて安心していたのだが、彼の父親からは「口約束みたいになってしまって、ほんま申し訳ない」と謝られてしまった。

そして出棺直前に、泣きながら彼の母親がその写真を入れてくれた姿を見て、彼のご家族の愛情をさらに感じて私はまた泣いた。

 

 

続く

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いよいよ12月

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というわけで、師走でRUN.ゴーゴー。

ほんと年明けから一瞬でここまで来た感がありますが、とりあえずここまででどんな一年だったでしょうか?

私の2016年は『癒す』と決めた年でした。「癒して良い」と気づいたというか。

まずは「自分を癒して良いんだ」と気づくところから始まり、そしてやっぱり私はお客を癒したいという目的でこの仕事をしているんだということをあらためて自分の路線にした年でした。

というのも、私の仕事は美容関係ですが、私がなりたかったのはセラピストであり、ヒーラーであるということを、どこか違和感を感じていた今年の年初め。美容だけに、「美しい」に重きを置かねばいけないみたいな空気?がどうにも私には今ひとつしっくりこなかったわけですが、「癒す」という路線で良いのだ、と感じた時からそこはとても楽になりました。

 

人はその人らしく笑っているときが一番美しいです。と、私は思っています。

それがたとえシワくちゃでも、スニーカーでも。

 

まったく「女らしくない」子供時代&思春期青年期を経て生きてきた私は、そもそも化粧や香水のキツイ女性はもっぱらアウトで、目を大きく見せるためのアイメイクや付けまつ毛などもどうしても一昔前のオカマ?にしか見えない。。。という受け入れがたさ。

化粧は元来「化ける」と書きますから、まぁ仕方がないとは思いますが、行き過ぎると本来もっている美しいバランスを崩してしまうので、却ってその人らしい可愛らしさが損なわれると思うのですが。

化粧は自然な程度に抑えて、それよりもしぐさや表情に人となりが表れている人が「美しい」人だと、個人的に私は思います。

 

でもどんな人でもストレスに病んでいたり、苦しんでいたりする時は笑顔が曇るもの。そんな時、そんな人たちを、心休まるような空間でトリートメントを施行して癒すことをしたい、というのが今年の私の決意でした。

方向性が定まったので、やりやすかったです。

 

12月はサンタさんの月ですし、奇跡がたくさん見られることを願い、今年を締めていきたいと思います。ということで、昨日はクリスマスに便乗ショッピングしてきて、超ハッピーです。

 

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生と死   何を伝えよう

 

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ということで、「伝える」ということに関連して。

「生と死」にまつわる、いろんなかたちがあると思いますが。

今月は私の大切な人の命日がある月でもありますので、触れておこうと思います。

 

つい先日、知り合いのご家族が亡くなりました。突然の事故でした。

病院へ搬送され数日後に、生命維持装置をはずす決断をご家族と医師がされました。

私はこのご家族の衝撃を想い、もしもこれが自分の決断だったらと思うと、涙が止まりませんでした。

 

愛があればこそ、どの死も辛く悲しいものですが、今回は「もしも自分だったら」ということがとても強く胸にこみ上げたので、ここで思ったことを書きます。

このご家族のことを想った時、ご家族のこの我が身を切るほどの決断を、自分だったら出来るだろうかと考えました。想像しただけで、痛くて辛くて悲しくて、涙が出ました。

帰宅後私と旦那とで話し合った中で、辛いけど選ばざるを得ない状況というのを想像するに、やはりそうせざるを得ないのだろうということになりました。愛情溢れる素敵なご家族でした。目の前に横たわるご本人を見る家族だからこそ、するしかない決断という現実に心が引き裂かれる思いです。

 

もう17年も前になります。

私の大切な人は事故で即死と判断されましたが、その時何度私達は「せめて命だけあれば、命だけでも繋がっていてくれたら、どんなに希望があっただろうか」と心の中で叫びました。私も、彼のお母さんも。

即死という、その時にわずかでもつかむ希望が何もないという状態。パツッと糸が切れてしまった後の、何も出来ない虚しさ。どうにもならない無念さ。

でもそれはその状況だったから、そう思ったんです。

わらにもすがりたくて、そう思ったんです。

後に彼のお父さんと話している時に、「もしも、、、」という話がいくつも出ましたが、その時に私たちは想像できうる「もっと辛かったであろう状況」を想い、これが最善だったのだとしみじみと感じたものでした。

亡くなってしまったという悲しい事実をどうやって受け入れていくかが、私たち残された側の亡くなった人への弔いになるのではないか、と思います。亡くなる本人が、一番辛いと思うので。

旅立つ人はその背に荷を背負い、残る人はその背に別の荷を背負うのだと感じたものでした。歩く場所は違えど、空と地で並行に同じ目的地に向かって歩いている、そんな感じ。場所が変わっただけ、その人の魂はそこに存在する。

最期のかたちは、それぞれのご家族やご夫婦、親子関係の愛情に合ったものである、と後に読み漁った本の一節に書いてありました。悲しい別れですが、そこには悲しみだけではない意味があり、それを知ることで家族が救われるような素晴らしいものがたくさん書かれています。

いろんな書籍でとりあげられています。気になる方は、そういった書籍を探されると、より一層故人との出会いや共有した時間の意味合いが深まるかと思います。

 

そして現在へ。

この悲しい報せで、私の回想はもしもこれが「今」私と旦那に、、、という場面に移り。私は思いました。

「このまま旦那を死なせるわけにはいかない」と。

私は普段から、旦那にたくさんの愛情をもらっています。

出会った時から、それがとても伝わる人でした。出会って10年以上経ちますが、今でも本当に真摯に私に愛情を伝えてくれます。

だからもし、私が今死んでも、私は旦那に『愛されている』ということを感じて旅立つわけです。私は「知っている」というこの感覚で。

この逆はどうかと考えた時、私はハッとしました。

「旦那は私に愛されていることを、知っているのか?」

見送れない。私は旦那を見送れない。もし今旦那が旅立つとすると、彼はきっとその肉付きの良い背を丸めメソメソしながら淋しく旅立つ準備をすることでしょう。

あかんあかん。それはあかん。

 こんなに良い人を、こんなに愛くるしい人を、淋しくメソメソ旅立たせてはいけない。

いつもの肉っぽい笑顔で、幸せそうに「愛されてました。てへぺろ⭐︎」とニコニコ旅立たせてあげなければ。旦那がそう思えるまで、私はもっと愛情を伝えなければ。

 

いつ何があるかわからない。人はみんな老いるし、いつか旅立つ。

そのいつかがいつかはわからない。誰にでもくる。だって生きているから。

老いなくても病まなくても、みんな必ずいつか旅立つ。

でも『その時』に、ちゃんと私の気持ちは伝わっているかな。

愛されたことを知って、次のステージにすすめますように。

「愛を肉に伝えよう」が私の今後のテーマになりました。

 

愛があれば、遠距離も異次元もきっと繋がれると信じて。

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伝えるということ

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なんだかすっかり週一ブログになってしまった。このブログを始めた時は時間があったので、もっと頻繁に書いていくものだと思っていたのだけど。

実際は、自分の心の中のことを出すって、やっぱり疲れるんだな、と。

疲れるというより、なんていうか傷つくというか。

 

元来、人目も気になるし、いざこざも起こしたくない性格で。だから普段、自分の「本当に思っていること」は誰にも話さないわけで。

自分が傷つくことよりも、本当は誰も傷つけたくないわけで。

だけどそれでは自分の感性で感じたことは一体どこにいくのか、とか、なんで生まれてきたのか、とかまで私の思考は流れていってしまうので、ここでこうして外に出そうと思い、始めたのがこのブログです。

すべての人に耳あたりの良いものなど出てくるはずもないのですが、私の拙い表現や変な書き方で傷つく人や不快に思う人もいるのだなと、当たり前ですが悲しくもあり。

嫌な思いをした方、ごめんなさいね。

私はあなたの立場からはモノは書けないけど、それは私が私のいる場所から見えている側面を感じて書いているというだけですから。

みんなの見ている世界は、それぞれ違うということしか、私にはわかりません。傷つけてごめんね。

 

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変化

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今日はこちらは11月11日です。新しい変化の日だとか。

 

Q. あなたは変化を望む?

A. ①イエス ②ノー ③変化は怖い ④変化は楽しい ⑤変化に出くわすと怒る

 

昨日も一昨日も記事を書いては消し、書いてはまた直し、結局書けないので全削除。

「変化前」の心身の浄化作用ということで、私を含む多くの人が体調不良や無気力、倦怠感など感じていたようです。私はここ2週間ほど、がっつり落ちてました。orz   出口、ないんじゃないかと思った。

今朝起きて、ちょっと心が軽い。ホッ。

 

今週は大きく変動する週だそうで。アメリカ大統領選挙に11月11日の変化の日、そして14日は68年ぶりのスーパームーン満月も控えているためだそうな。

普段から満月と新月は人の状態が揺さぶられます。接客業なんてやっていると、よもや笑うしかないというほど狂気の沙汰になります。みんな薬でもやっているのかなと思うときもありますが、そういうことじゃ(それだけでは)ないらしい。新月では感覚が繊細・鋭くなったり、満月では不要なものが解放されたりということらしいです。

 

総選挙、今後の最善の変化を祈りましょう。

誰がやるかより、どう良くなっていくか。メディアに洗脳されてしまってはいけない。

我が家のテレビはネットを写すだけの箱と化していますので、テレビとしての選挙やその他の一切に関わる情報が入ってきません。入ってくるのは唯一職場でアメリカ人のお客さんを相手にしている時くらい。

といっても一応カレッジでは「宗教、政治、婚姻や市民権に関わる一切の会話をしてはいけない」とがっつり教え込まれていますので、そういったことを私から聞くことは絶対にありえないのですが、普通の主婦層の同僚はまるで井戸端会議のようにいとも簡単にその辺のタブー会話を始めます。

選挙前からだいぶやられていた様子のアメリカ人達でしたが、みなさん口を揃えて「国を出たい」と言ってました、確かに。選挙活動が悪口大会って、どうなんでしょう。テレビをつければ候補者二人のゴシップや悪事の偽造情報や暴露ばかり。見れば見るほど「極悪人二人」のいずれかを選ばなければいけないという最悪の択一。「結果なんてどうでもいいから、とにかくもう早く終わって欲しい」と嘆く声をちらほらと聞きました。実際のところ、メディアは毎日毎日悪夢のような選挙活動の情報を流し続けるわけですから、国民のエネルギーってば相当ダメージ受けているでしょうね。

それを聞いて、世間では「アメリカナンバーワン!」と我が身の勝手さを顧みず愛国心ばかりを誇張していると思っていたジャイアン王国に、まともな自国批判の精神が出てきたのか、と内心「人ってまだまだ捨てたもんじゃないのかな」と思ってみたりしました。

そしたら。選挙後にカナダの移民サイトが、アメリカからの申請がありすぎたためにダウン。みーんな同じこと思ってたのね。

フェイスブックなどでもカナダ人の友人・知人がアップしている選挙に関するコメントや画像などが痛々しくて、私はカナダ人でもアメリカ人でもない立場から、それを傍観しています。

メディアが流す情報には意図があるというのを、みんなすっかり忘れてしまっているようです。

 

「なんでこんなことが起こるのか」と思うようなことの裏には、必ず理由があったりして、フタを開ければどこかで誰かが糸を引いているということが数多くあるようなので、今回の当選者が善キモノに導かれて最善の変化を起こせることを祈ります。

また、アメリカが変わるという形で、日本にも最善の変化と癒しが起こると良いと願います。印象はどうあれ、彼の国の彼の氏がやろうとしていることは、阿部さんがやろうとしているまたはやっていることに比べればはるかに良い変化を起こすと、私は思いますが。

いずれにせよ、その国の国民が一番、その国の政府によってメディアコントロールを受けているのですよね。

中国が反日感情を抱き続けるのも、毎日毎日反日の戦争映画をテレビで流されているからで。それしか見るもののない人たちは「鬼畜日本人」と思いこまされる。 これ、どこかで聞いた話では?ギブミーチョコレイト?

さらに中国では、国内からではネット検索できないものがありすぎて、国民が真実を知ることが出来ないようになっていると、中国人留学生達は言う。

もう21世紀だ、なんて思っていても、まだまだこんなところに大正の落し物みたいな活動をしている人たちが国をあげて存在しているのですね。

もちろん、これが世界の多くの国々で行われているのでしょう。

福島の原発のその後の状況や土地が安全だなんて言っているのは誰でしょう。チェルノブイリはその後どれくらいの間、人間は住めないと言っていたのでしょうか。大学の科学技術史の授業で、教授が戦争を見たかのような悲惨さで私たちに教えていたあのチェルノブイリの悲劇は、福島には当てはまらないという根拠は何なのでしょうか?真実を公表して国民がパニック(地震ですでになっていたはずですが)になるよりも、国中にその被害を拡散させてしまえば国のいたるところで被災地と同じ症状の患者が増えるからカモフラージュ出来ると思っているのは、誰なのでしょうか?

そして日本は、国民が攻撃的ではありません。彼の国のように、知ってか知らずか国民が変化を求めてこれまでの規律(果たしてあったかどうかは知りませんが)をぶち壊してやろうという感じではないと思います。一部はそうかも知れませんが、大半ではないでしょう。

でも今回の選挙で、ジャイアンが他国侵略よりも、自国復興を目指すといっています。ここでやらねば彼の国も危うく、そして日本も、改心するかもしれないジャイアンとそして世界とこの先どうやってやりあっていくのか。

いくつかの国の一部の官僚以外に、本当に戦争をしたいと思っている人などどこにいるのでしょうか?中国は日本を表向き嫌っているでしょうが、戦争を起こすほど愚かなことを真剣に考えているのはJ国のAさんとその仲間くらいではないかしら。世界は本当に、戦争をするほど緊迫しているのか?

どこかで起こっている宗教戦争と、ジャイアンが出張していく他国への介入以外に、本当に戦争が行われているのか? そんなに人間は愚かで好戦主義だろうか?

そして今回、そのジャイアンが「他国へのデリバリー喧嘩を中止する!そんな余裕ない!」と真実を打ち明けている。その通りでしょうと思う。

戦争で得るものなど何もない。本当に一部の人たちがお金を儲けるだけでしょう。

 

カナダでは今日は【Remenbarance Day, Veterans Day】です。

戦争で亡くなった、国を守るために戦った勇敢なる愛しき人たちを「決して忘れない」と誓う、そして祈る日です。

他国で戦争にまつわる行事に出会い、私は初めて「戦争を起こした国から来た」ということを自覚しました。語弊があるかも知れませんが。日本では原爆を落とされた被害を忘れない、だから戦争は二度とやってはいけない、と教えられますが、アメリカと日本以外にそこに関与した国々のことなど私のつたない歴史の知識には入っていません。

「原爆落とした酷い国アメリカ。原爆落とされた可哀想な国日本」

まるで被害者。何もしてなかったのに、鬼に原爆落とされた、みたいな。いじめられ国日本、のような。

でもこの地で見るのは、亡くなった戦争関係者への愛と慈しみを送る瞳ばかりです。

国が世界大戦に関わったから、召集されて戦った戦士たち。その亡くなっていった命に捧げる想い。それ以上でもそれ以下でもない、「大切な人たちが死ぬのは悲しい。でも国を守るために戦ってくれたその勇敢なる戦士たちを、決して忘れない。」という純粋な想い。

何が違うのでしょう。

 

何があったとしても、平和を選びましょ。

人はもっと幸せになれる、豊かになれる。

幸せはうつるから、あなたや私の幸せがその隣の人の幸せになりますよ。

最善の変化とともに、あなたと私がさらに幸せになりますように。

その幸せが未来永劫続きますように。

 

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ゆるい生活 

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Q. あなたは映画の結末から先に知る方?

A. ①イエス ②ノー ③ありえない

 

ちなみに、私は①派です。断然知りたい、むしろ知る必要があります。

意味不明などんでん返しの結末とか見ると腹が立つ。予想可能、もしくは不可能な悲しい結末とか見るとしばらく本気で落ち込みます。

ということで、大概映画観る時は、前もって結末を知りたい派。

でも、池波正太郎の時代小説は別。ハラハラしながら読み進めるのが非常に面白い。

 

ということで、やっと3連休に。

私の仕事は、その日の予約状況で勤務時間と、勤務があるかどうかが決まります。そして勤務予定前日の夜に、翌日の勤務が確定するという仕組みを取っています。カナダも(もしくはカナダはいまだに、というべきでしょうか)年功序列制度(正確にはセニョリティーシステム)というのを採用しているので、超ベテラン先輩スタッフから予約も勤務時間数も確保されていきます。俗に言う管理職やホワイトカラーと言われる人たちは固定給のようですが、ほとんどの一般従業員はパートタイムです。日本的に言うと「アルバイト」という響きになってしまいますが、いうても周りもみんなこの「パートタイム」がほとんどですから、まったく気になりません。みーんな、良い歳したアルバイト。正規職員になると、「フルタイム」と呼ばれる人たちになり、そうすると福利厚生などの「ベネフィット」と呼ばれるものが付いてきます。ベネフィットは常に条件付きで「一週間に⚪️⚪️時間以上勤務を、⚪️週間以上」とかいう規定があります。それを満たすとベネフィットがもらえます。それに足りないと、ベネフィットが一時停止されます。パートタイムではいくら勤務時間を稼げても、ベネフィットはもらえません。

ベネフィットには眼鏡・眼科や歯医者の割引が含まれているので、これを得るためにみんな上司に掛け合ったり、転職したりして「フルタイム」のポジションを探したりします。

会社によってベネフィットの内容が異なるため、子供がいる家庭は夫婦どちらかの「良い方」のベネフィットを使って子供の眼鏡や歯の矯正とかの費用を削減しようと試みたりするようです。

うちは旦那がベネフィットを貰ってくれるので、ありがたいことに私は必死になってフルタイムになる必要がありません。二人とも眼鏡ですが、ベネフィットも毎年眼鏡代が出るわけではないので、2年に一度の新品眼鏡にベネフィットを活用する以外は(それでも全額はカバーされませんが)年に数回の歯医者のチェックアップが安くなるという感じ。

 

旦那はフルタイムですが、規定の勤務時間に足りているので週4で勤務しています。休みを3日にして、執筆活動をするためです。

私も基本は週4でスケジュールを組んでおり、休みの3日間のうち時々自宅でお客をとったりしています。

二人ともホスピタリティー業界で働いており、特にカナダは夏か冬しかありませんから、観光地なんて冬はとても暇になります。この業界では冬になると「レイオフ」という「冬だけ失業制度」があって、ホテルなどで働く従業員の多くはこのレイオフというのを受けて、数ヶ月間失業します。つまり、「一年間まるまる働けたらラッキー」という?スタンスです。

 

以前は私も旦那も週5できっちり働いていましたが、職種がかわり収入がほんのちょっと上がった途端にお給料から引かれる税金の額がありえないほど増えました。つまり手取りは似たようなものなのに、引かれる税金は3倍に。こうして社会は市民にお金を持たせないようにするのですね。

と、いうことで、週4にしました。

どうせ手取りが同じようなら、休みが多い方が良いですね。

 

カナダは?もしくはオンタリオは?とても従業員の権利が守られているように思います。いえ、本人たち次第なのですが。酷い会社はたくさんあると聞きますが、国民性が「黙ってない」が基本信条のような人たちなので、みんな権利を主張します。そしてすぐに転職します。就職先の会社や上司、同僚が「良くない」と判断されるやいなや、転職。転職先の会社や上司や同僚が、、、で、すぐにまた転職。まさに地をいく「ローリングストーンズ」ですね。

もちろん、無償残業なんてカナダ人は誰もしません。「仕事ができる固定給の上司」のような人以外に無償残業しているのをみたことがありません。

そしてなぜか「祝日は勤務しなくてもお給料が支払われる」という制度です。これ、年末年始だけとかじゃなく、毎回です。祝日の度に、勤務していなくても、その日の6時間分くらいのお給料が支払われます。では勤務するとどうなるか。勤務すれば、そのお給料とは別に、通常の時給の約1.5倍の金額で勤務した時間分のお給料が支払われます。これは私の同僚曰く、「お給料2.5倍の日」だそうです。勤務するとそうなるようです。

そして祝日に働くのが大嫌いな人たちを除き、お金が欲しい人たちはこの祝日に働けることを喜びます。

私は以前ハウスキーピングをやっていた時に、「二度と祝日には働きたくない」と思いました。勤務時間が削られる上に、会社は人員を思いっきり減らします。つまり、勤務している少人数に通常以上の業務が丸投げされるわけです。会社はそのために2.5倍払っているわけではないはずですが、結果、3倍払われないと割に合わないような事態になります。少なくとも、ハウスキーピングではそうでした。

今の職種は忙しくても暇でもトリートメントの時間ととれるお客の数は大体決まっているため、祝日に働いても得するだけですが、たとえ休みでもお給料は支払われるわけですから、よもや休みでも良いかな的な。

 

そして収入の最大の違いは、やはりチップ制度です。

この国ではレストランのウェィターは「高給取り」になります。時給は最低賃金で働くことが決まっていますが、その分チップで稼ぎます。例えばホテルなどの高給レストランで、2人で行ってちょっとお酒を飲んで3コースのディナーを食べると合計金額が150ドルくらいになるとして、チップが20から30ドルだとします。それが4人連れになるとその倍。ワインをボトルで開けたりすると、チップが60ドルなんていうこともよくあったりして。するとそのウェイターは一晩でチップが300ドルとかになったりするわけです。夏は毎晩そんな感じで、冬は暇。でもセニョリティー(長年勤続者)とかになると冬も勤務を保証されますから、暇なりにもチップ込みでしっかり稼げるわけです。これだけチップで稼ぐのに、プロ意識の高いウェイターじゃないと感じ悪かったりすることもありますが。

でもね、これって良いと思うんです。

他人のために食事を給仕するんです。それにたいして、「料理や飲み物をテーブルまで運んでくれて、ちょこまか水入れたり様子を見たりしてくれて、ありがと」ということでその『他人の労力』にたいして、感謝するお金がチップです。いや、仕事なんだけども。ウェイターなんだから、料理を運んできて当然なんだけども。

そう思うと、日本のファミレスで働く店員さんはあんなに頑張っているのに、お金として還元されていないではないですか。一品あたりの単価は違えど、あんなに良いサービスしてくれるのに、わがままな客の相手もしなきゃいけないのに、ちょっと料理が遅いとかで文句も言われるのに、感謝されないではないですか。

理不尽だ。 ここでは、同じ仕事をしたら3倍の収入になるのに。

場所が違うというだけで、その場所にある「当たり前のもの」の基準が違うというだけで。

 

とにかく。この国のチップ制度は「他人が手を煩わせてくれるもの」すべての職種にかかってくるわけですので、タクシーやベルボーイ、ヘアースタイリストやマッサージ師などもその類です。

私の美容関係の仕事も例に漏れず、チップをいただきます。旦那はレストラン関係の部署で働いているので、ここでもチップが発生します。

ということで、チップを入れて週4勤務で、夫婦二人猫二匹の生活がなんとか賄われるわけです。

この収入で日本で生活したら即破産だと思いますが(苦笑)、幸いこの街には、おにぎりやスィーツの美味しいコンビニも、安くて美味しい洋食屋も定食屋もありませんし、こちらの値段に比べたらまだ安くて美味しい1箱350円とかのタバコもありません。近所をちょっといけば飲み放題歌い放題のようなカラオケもなく、ついつい衝動買いしたくなるようなオシャレなショッピングモールもありません。携帯電話も最新機種なんて持ってるのは20代前半の人達までだし、家以外でネットする必要もないから基本料金だけで良い。服も誰も気にしません。てゆーかWalmartでみんな同じような服買って着てるからみんな同じじゃん、的な。『周りの誰も気にしてない』というところに入ると、自分も気にするのが馬鹿らしくなります。いや、私はもともと気にしてないけど。

 

というゆるい生活。

生きる場所が変わると気にすることも変わる。いや、当たり前なんだけど、こちらに来て10年経った今でも時々驚いたり実感したりするわけです。

この国の人たち、ハンバーガーの食べ過ぎで死ぬことはあっても、過労死だけはないでしょう。いや、いるんだけども。でもそういう人たちは、また別の次元で働いている人達なのだろうと、思うのです。この街をみている限り、私の目には一般人はハッピーに映るのです。彼らは気づいていませんが。

 

続く。

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神客とエネルギーバランス 

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Q. あなたのまわりには「化け物」の類の人が、、、

A. ①居る ②居ない ❸化け物だらけ ④天使だらけ ⑤何を言っているかわからない

 

いやー、あぶなかった。

私は時々、「今日はやばい」と感じる日には出勤前に腕立て伏せをする。(毎日しなさいという感じだが。)

筋トレというよりも、むしろ『厄除け』のためです。

疲れてくるとどうしても自分のバリアが弱まるというか、エネルギーレベルが下がりますね。するとちょっとした隙をみて、そこから他人のエネルギーを食い尽くそうとする人たちが寄ってきたり、付け入ってきたりしますねー。

今回はそんな化け物と神の采配の話し。

 

【エネルギーイーター】(Energy Eater)という言葉を聞いたことがありますか?

・その人と居るとなぜかとても疲れる

・その人に会うとなぜかいつも気持ちが沈む

・近くに居ると空気がどよんとしてくる

 

東洋的にいうと「(霊的な)気、が合わない」ということになるのかもしれませんが、私の言っているこの類の人逹は「合わない」どころじゃなく、こちらを蝕んできます。そんな感覚にさせられる人達のこと。

 

以前の記事

「結婚」も「子供」もすべて自分の意思な人達 - Rainbow Worldのブログ

で、素敵な同僚たちについて書きましたが、どこの職場にも【要注意人物】もいるものですね。

何か理由があってそういう人が自分の周りにいるのでしょうが、時々もの凄い荒技でこちらを襲ってくることがあります。ホントに時々ですが、顔面殴られたかのような衝撃。

私は自分の信念を貫く強さはちょっとは持ってますが、人からの直接的な攻撃や悪意には何しろ「打たれ弱い」。そんなものに対して強くもなりたくないのですが、繊細なうえにもの凄く真正面から受けてしまうというか。毎回、大型ダンプに跳ね飛ばされるような感覚です。

そして私は平和主義者です。なぜ面と向かって悪意や攻撃をしかけてくるのか、そういった人逹の感覚がまったく、理解できません。相手が思っていることをぶつけてくることが「意思の疎通」を図るためなのかどうなのかはわかる由もありませんが、私にとったらそういう人たちはみな戦争屋です。なぜあえて戦いを起こす?

 

自分がした間違いや失敗についての文句ならば受けますが、今回のはどうもそういうことではない。そもそもそういう「攻撃」をかましてくる人逹は、大概自分の中だけですでに激しい思い込みと偏見により「次に標的が動いたら殴る」気満々でスタンばっていたり。そしてこちらがそちらに近づくように巧妙に罠をしかけたりします。

どちらかというと今回私はその「怒れる同僚」の本ターゲットではなくそこに居合わせた「その他全ての敵」の一人に過ぎなかったのですが、なんせ当のターゲットの人達はそんなことをまったく気にせぬ「陽気組」の人逹だったため、まったく気付いてもいない。本当に幸せな人達組。

普段は私も極力いざこざに関わらないように立ち居振舞ってますが、今回はどうにも「お客さんの前」だったので、仕方ないので「怒れる同僚」をフォローしなければならず。(痛)

これがそもそもの罠?と大きな失敗でした。

怒りで荒れ狂う同僚は、ここ数週間の彼女の人生に存在した全ての鬱憤を私にぶちまけてくることに。とほほ。

すぐにそのことを知った上司に個人的に謝られるのですが、なんか腑に落ちない。全然腑に落ちない。私はこんなにも「問題を起こさないように」いつもやっているのに。

(後に私は彼女の面子を立てるため、謝りました。謝らなくても良かったんですが(そしてカナダ人は滅多に謝りませんが)、荒ぶる気持ちはさぞ痛かろうと思い、言葉をかけました。さらにその後で彼女から「話をしてきてくれてありがとう。そして話を聞いてくれて、どうもありがとう。吐きださないと今にも狂いそうだった」と言われましたが。いや、もう狂ってたけどね。)

 

そして翌日。これが危ない。

当の「怒れた同僚」はすっきりしたようで良いんですが、この話を比較的身近な同僚に話したところ、まったく理解されない。

私的には、何が理解されないのかまったくわからない。てゆーかむしろ、私の方がまったく理解できない。

つまりこれは【共感力】の話です。内容云々ではないんです。

私は同じ同僚として、今回(も)たまたま私だったけど、誰にでも起こりうるトバッチリ被害について、「痛かった。ビックリした。ちょっと怖かった。めっちゃ荒れ狂ってた、あの人。マジ暴走ダンプだった。」と伝えようとしたのに、まったく他人事。まるっきりこちらの「心」はお構いなしの無関心。

 

なんでそんなに人の話を聞かないのか。聞こうともしないのか。感じようともしないのか。

へたにちょっと身近なだけに、余計に凹みました。いや、わかっていたんだけど、通じないタイプの人達とわかっていたんだけど。わかっていたけど、久しぶりに凹みました。こんなに近くにいるのに、同じ仕事してるのに、同じ境遇なのに、無理解という無情。

 

みんなね、今は仕事が忙しくなくて、勤務時間も減って、トリートメント数も減って、つまりは収入も減って、ギスギスイライラしているんです。それは知ってますよ、知ってますけどね。

たったそれだけで、自分がちょっと辛いだけで、そんなにも人に無関心だったり優しくなれなかったりするのか?と、がっかりしたのです。

ここでうまく伝えられないのが苦しい。「私に対して」じゃなくて。それもあるけどそうじゃなくて。

 

そんなに無関心で、無感覚で生きてるなら、死んでいるのと同じじゃないか。

 

私は、人の話には耳を、心を、傾けます。その人の心が、気持ちが、一体本当はどうやって叫んでいるのか、泣いているのか。私は知りたいし、わかる努力をしたい。その人を目の前にしたら、私の感覚の全てでその人の状況を、心情を、魂を、気持ちを、愛情をわかりたい。それが生きてるってことじゃないのか?【生きて出会う】ってことじゃないのか?

 

人の気持ちにも触れずに、ただボーッとそこに居る。死んでるのと一緒じゃないか。何してんだよ。

(注:決して死者を冒涜しているのではありません。)

 

そんなことをまだまとまらない頭で悶々と考えていたその日、勤務の最後にトリートメントが入っていました。その日の最終の最終。他のトリートメントは全て終了しており、残っているのは私と、デスクの子と、そのお客さんだけ。

こういう時、神様という存在は必ずもの凄いことをやってのけます。

私はその人に会う直前まで、凹み悶々と悲しく怒ってました。でもなんとなく、そんな気がしていました。この最後のお客さんに、何か意味があるのではないかと。

エレベーターから降りてきたそのお客さんを見た瞬間に、一目でわかりました。

『わかる人』だと。挨拶に返してくるその目とその空気の全てが物語っていました。

この時点で、既に私は泣きそうです。ついさっきまで、世界で一人みたいな苦しみだった私の心と魂が、安全な優しい光に癒されるかのような感覚。

こういうこと、よくあります。自分が何か大事な「感覚」や「疑問」や「想い」を内側に持っているとき、その答えや共鳴や何かがふっと目の前に現れます。

場所も状況も関係ないけれど、最近よくこうして「お客」として現れてくれることがあります。お客さんとようやく雑談が出来るようになり、会話も弾むようになったためか、さらにその出会いの精巧さが感じられるようになりました。そしてお客さんのほとんどが一見さんの私の職場では、毎回カナダ国内外のあらゆるところから「たまたま」という完璧なタイミングで私の目の前に姿を見せてくれるのです。【縁】といえばそうなんですが、全ては最善のタイミングで導かれていると思う瞬間です。

 

さて、トリートメントが始まり、お客さんが話し始めたのが「エネルギーバランス」について。これはだいぶスピリチュアルな内容です。いろんなタイプのお客さんと同僚とがいますが、あるタイプはずっと「お金と生活の心配事」を話し、またあるタイプは「病気、ケガ、事故」について、「嫌な親戚と亭主、うるさい子供」のことばかりを話す人たちも。時々「神について」と話す人も居ますが、基本的に宗教の話はタブーとされている(はずの)文化なので、宗教理念みたいなことはごくごく稀に聞くことがあるだけ。そして数少ないお客さんではありますが、こうして「スピリチュアルや命の真理」みたいなことを知っている、そして話す人に出会います。私はこの「スピリチュアル」について話す人たちが大好きです。こういう人たちはみんな真実を探そうとしていたり、人生と向き合おうとしていたり、愛や幸せとは何かということを静かに探ろうとしているからです。そしてそういう人逹と話すと今回のように、時々心の底から『伝わる・通じる・浸透する』というような感覚になります。

私にも彼女の話すことがとても浸透しましたが、彼女にもそうだったよう。私の触れる手が、空気が、話す内容が、それら全てが彼女を癒していくのがわかります。

 

私の魂はそのお客さんとの出会いで喜び、だいぶ復活します。その後もこの記事を書くまでの間だいぶ憤りながら悶々としましたが、悲しい凹みは一気に解消しました。

初めて出会う、たった一人の「お客さん」という関係の人。トリートメントは50分ですが、彼女のエネルギ一はー目で通じたので、ほんの数秒のコンタクトで、こんなにもわかり合える存在に出会えるということが、人間に幻滅しがっつり凹んでいた私にまた愛を吹き込みました。

たった一人でも良い。わかってくれる人や、伝わるという感覚の相手。

たった一人でもそこに居てくれたら、私がこうしてこの「感覚」で生きていて良いと思える証になる。

 

そうそう。今回の件はまさに私にとって、「物理的に近い距離に存在する物体がすべてではない」と再度思わせるきっかけになりました。現実社会・物理的な社会で近くにある「目に見える」世界には、やっぱりこうして限界がある、というのをあらためて再度実感しました。そこに人が居るからって、その物体がわかってくれるとは限らない。触れるからって、口がきけるからって、伝わるとは限らない。

当たり前のことだけど、ついつい目に見える範囲のことしか認識しないようになってしまう。

 

そう思うと、インターネットって、実はすごいなとホントに思う。

今自分が立っている場所の目に見える範囲では決してありえない出会いが繋がれる。

縁が紡がれる、というのか。

私の記事を見つけてくれた縁ある方達と、ところどころにつながりがあり、また驚く。

いる場所基準の現実社会ではとても見つけられないものや繋がりが、ネットの中では巡り会うという奇跡。計り知れない数の情報とコードが入り混じっているのに、そこから出会う奇跡。こちらの方がよほど、真実味がクリアだ。有無を言わせず、の納得感。

 

あなたの身近にいる大切な人は、あなたの心を、気持ちを、感覚を、わかりあいたい人ですか?そしてわかってくれますか?どうかあなたがそういう人と繋がっていますように。

 

続く。

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