癒しとグリーンジュース

 

去年の11月にブログを書いてから、いろんなことを試している。

どういうことか職場でよくエネルギーを失う。

同僚の会話や人混みなどが主な原因なのだが、私の仕事は人と関わる仕事なのでなおのこと自分のエネルギーの調子を上げてというか調えておきたい。でも下がる。どうしても価値観の合わない人たちの中にいると息苦しくなり、さらには無気力感というか、自己否定に陥るパターンを繰り返しているので、どうにか救いの手を求めて色々勉強しながら試している。

元来Dr. ブライアン・Lワイス博士が好きなので、その人の関連でヘイハウス(Hay House) という団体のニュースレターを購読している。スピリチュアルな団体なので、ありとあらゆる癒しのオンラインコースや、成功のコースなどの情報が入ってくる。

そこで知った最近始めたものの中で、「エンパスとエナジーバンパイヤ」というコースと「タッピング療法」というコースが、何度も私を泣かせてくれる秀逸なものだった。

 

昨年参加したワイス博士の1デーセミナーは、「ようやく見つけた安らぎの場所」的な安心感で、セミナー中ずっとしくしく泣いていたが、今回の新しい2つのコースはそれとは違う「発見」「やはり」「核心に触れる」的なハッとする涙や、「ずっと心に留めていた気持ち、感情に触れる。それと向き合うツールに初めて会った」というドバッという劇的な涙だった。

特にタッピング療法に関しては、これまで色々な本を読んだり、自分なりにいろんなコースを試してきたけれど、ここまで自分の気持ちを的確に代弁している「人」にも「師」にも「友」にも会ったことがない!というくらい衝撃的だし、目からウロコだし、何より効いた。そもそもほんの軽い気持ちで試してみようと思ったきっかけは、そのコースの宣伝文句に「これは科学的に証明されている」と書かれていたので、それで効かなければよもや私には何も効かないのでは?と思ったからだった。踊る方のタップだったらどうしようという不安が薄っすら脳裏によぎったが、それもまた良しとタッピングが全く何かを知らないまま中を覗いてみたら、まービックリした。

コースの主催側の人が流す動画を観ながら、それに沿って自分も真似するだけという非常にわかりやすく簡単なものであるにも関わらず、もの凄い発見や気づきが起こるという、もはや奇跡のコース。パソコンの前でパタパタと自分の顔や頭を叩きながら号泣している嫁の姿を、旦那はなんと思っていたのだろうか?本心はわからないがとても穏やかな顔でこちらを見てくれていた気がする。

 

ヘイハウスの設立者であるルイーズヘイのことを知ってから、彼女のことも好きになり、いくつか彼女のメインのコースを調べてやってみてはじんわり泣き、そして彼女の代表作の本を読み始めたりした。「You can heal your life」がとても有名だが、私は彼女が最も初期に出した「Heal your body」という青い小冊子がどうしても手にとってみたかった。その小冊子にはあらゆる病気や症状の原因となる「思考やパターン」が書かれていて、さらにそれを癒し克服する「受け入れの思考」が書かれている。

医学や科学や色々な側面から異議を唱えたい人はたくさんいるかもしれないが、私が知りたいのは傷つき、怒り、閉じてそのままになっている私たちの感情や気や記憶などが実際どういう症状に行き着いているのかということだった。

医者は症状を発見すると「どこの何がどう悪い」とは伝えてくれるかもしれないが、私たちが知りたいのは「何が原因でどこを正せばどう治り得るのか」ということだ。

「正せば」という言葉を使ったが、何かが「正しくなかった」わけじゃない。ただ私たちは傷つき、そしてひたすらに傷ついたのだ。

だからそんな自分を許したり、愛する努力をし始めると多くの症状が癒されるという話し。自分の愛が、一番の理解者であり最良の薬であり治療法なのだというケースがたくさんあるよという話し。本当にたくさん。

 

そんなこんなで、ワイス博士のセミナー以降、なんだかんだでほぼ毎月のように何かしらオンラインコースを取っている。どれも癒しやエネルギーワークのことばかりなので、とても面白い。

昔から、見えないものを知りたい。そこにあるものを知りたい。真実を知りたい。

真実といっても「唯一絶対」ということが知りたいとか確認したいということではない。流行りや思惑に流されない、ただそこにあるもの。名前は違うのにあらゆる宗教でなぜか同じように伝えられ続けている教えや、仕組みや、すべてのものや事象に流れているようなもの。そういうことが知りたいし、知って確認したい。

「だから良い。それで良い。生きてて良い。」ということを。

 

そんなこんなで、一番最近始めたものは「グリーンジュース7デーチャレンジ」というやつ。同じ主催者の21日バージョンの本格ダイエットコースを去年見つけて、ちょっと高くて悩んで、もしあるなら今年取ろうと決めていたのだけど、そのコースの前に足慣らしとしてグリーンジュースのトライアルが出たのでチャンス!と思いやってみている。

なのでダイソンの次に買ったのはブレンダー。今年に入ってから買ったこの2つの「必要じゃないけど、さらなる良いことのための投資(物質編)」は実際今までの人生の中でみても最も良い買い物になっている。ダイソンは掃除機に何万円も出さなくてもというこれまでの葛藤と、ブレンダーはジュースが口に合わなかったら我が家では二度と使わないだろうという危惧だけど、そのどちらも覆すような感動を覚えた。

グリーンジュース、とても美味しい。そして旦那も喜び同じ感動を共有してくれているので、ひとまず大成功。そして大満足。

 

ちなみにタッピングはEFTです。英語のリンクを貼っておきます。

www.thetappingsolution.com

こちらヘイハウスも英語の方を貼っておきます。

どちらも私の様に「日本語だと裏の意味を感じてしまい集中できない」「英語の方が余計なことを考えなくて良い」「英語はそれなりに好きで、好きなことのためなら英語で挑戦しても良い」という人にはオススメです。

www.hayhouseu.com

猫とダイソン

ついに、ようやく、我が家にダイソンが来た。

ダイソンが、来た!

必要にかられたわけですが、理由が何であっても買い物は楽しい〜。

f:id:rainbowworld:20180328105258j:plain

 子猫たちもすっかりボーイズは大きくなり、女の子はゆっくり成長してくれて、大人ニャンズは怒ったり遊んだりしながら少しずつ慣れてきてくれた今日この頃。

以前は大人ニャンズ2匹が早朝に走りまわっていただけだったので絨毯は敷かずに木の床のまま過ごしていたのですが。子猫たちが来てからは起きてる間中ずっと遊び廻っていてその音がすごいので、猫部屋と居間に絨毯を敷くことになりました。

 

が、毛が気になる。

 

ニャンズの毛が非常に気になる。持っている掃除機を使っても、綺麗になったように見えるけどまったく毛が取れていない気がする。

気になる。どうしても毛が気になる。

 

人間、気になるとダイソンが欲しくなるものですよね。(ね。)

 

ということで念願の夢のパワフル掃除機を購入しました。

コード付きか無しかで心が揺れましたが、見た目に惹かれてコード無しを選択。

結果、あまりの違いに愕然とするのでした。

 

あまりに凄すぎて写真はお見せできませんが、もうビックリで。

「これを掃除機というのなら、今まで使っていたものは一体なんだったんだろう?」という、妙な悔しさまで湧き上がってくるほどの吸引力。

タンクに吸い込まれた猫の毛とほこりの量に、今までこの中で生活していたのかと思うとこれまた驚愕。怖い〜。

 

ということで、掃除が楽しくなりました。やっぱり猫の居る生活は、ハッピーです。

f:id:rainbowworld:20180328105347j:plain

ノーペイン でも ゲイン

家族が増えました。

f:id:rainbowworld:20171108061709j:plain

 

私は以前からカナダ人の同僚に「子供は?」と聞かれると、「旦那が産む」や「今年のクリスマスにサンタが届けるはず」と答えてきました。遠い昔に見たキャンディキャンディのように「クリスマスの朝に、ドアの前に籠に入って置かれているはず」と本気で想像してワクワクしていました。

が、起こらないので、こちらに導かれました。

f:id:rainbowworld:20171108071422j:plain

夏に姪っ子達が帰った直後の、くつろぐ大人猫2匹。

寝具を片付けようとしたら、ものスゴくくつろいでいるので片付けるのが大分遅れたのですが。この時の彼らは、ようやく訪れた日常の静けさに、ゆったりと魂を落ち着かせているかのようでした。

 

が、まさかその2ヶ月後には、チビッコ3匹の襲来により自分たちの静けさが世界のどこかへ飛ばされてしまうことになるとは、まさに夢にも思わなかったでしょう。

 

誰が5匹も同時に飼うことを想像したでしょうか? 

いいえ、誰も。

 

10月頭に、近隣のとある町に呼ばれた気がして、旦那と二人で出かけた時のこと。

私はてっきりいつものように「私がずっと欲しかったもの」がどこかのお店にあるという直感で呼ばれているのだと思っており、「靴か?カバンか?それとも財布か?」とウキウキ。かなり確信を持って、ウキウキしておりました。

年に一度の頻度でさえも出向かないその町で、何かが待っている。もうこれは間違いないでしょう。

向かったショッピングモールで、目当てのものを何も見つけられなかった私は、「おかしいな」と思いながら歩き疲れて旦那とお茶していた時のこと。

建物内のホールで車が展示されており、旦那が乗りたいと言っていたミニクーパーが隅の方に展示してあるのを見つけました。

それを見つけた旦那が、一瞬「あ、やばい」と。

「クーパーの向こうに、猫アダプションセンターがあるのを発見してしまった、、」と。

以前から「もう1匹猫が欲しい、3匹でうちは完成だ!」と旦那は希望していて、どこかで野良猫と運命的な出会いをするのを待ち望んでいました。ニアミスはあれど、なかなか出会わない。そして目の前の【猫センター。】

あぶない匂いがプンプンしてますね。

してました。

してましたよ。

 

すっかり得意技の「乙女モード」になり、「どうする?ねぇ、どうする?見ちゃう?え、行っちゃう?えー、でもなぁー。ねぇ、どうする??あぶないなー。」という旦那の横で、私はある程度覚悟はしていました。今日がその日になるであろうと。

 

「クーパーを諦めれば、猫1匹増えても何の問題もないんじゃないの?」と呟く私に一言、「うん、俺、クーパー要らない!」と、完璧な受け答えをする旦那。そうでしょう、そうでしょうとも。

 

でもなーんか嫌な予感がする。嫌な予感がしたんだよなぁ、、、。

 

いざ、恐る恐る猫センターへ入ると、そこに居る猫のほとんどは子猫で。

かわいそうな悲壮感溢れる雰囲気だったらいてもたってもいられなくなる、と思うと足も気も重くなったのですが、いろんな事情でそこにやってきた大きな猫達もいたけれど、丸まって寝ている子猫の数の方が多く、目を引いていました。

とてもかわいい柄の子猫2匹が「本日のおすすめ」として目立つところに居ましたが、コマーシャルに出てきそうなほどの可愛い柄で、彼らの未来は明るいことが感じられたのでそこはスルー。彼らは次から次へと訪れる人たちに、とても人気で愛されているようでした。

 

旦那が指を出すと、すぐに遊びにやってきたのが今回新しい家族に加わった黒猫ボーイズでした。ケージの中でもおもちゃでよく遊び、なんだか元気な感じでした。

3匹とも同じ生後10週間で、これはどうも兄弟なのではないか?と思い、よく柄を見ると川の字の真ん中で寝ているメスがタビーでオスが黒と黒タビー。

(うー。黒タビーなんて、今まで見たことない。成長したらどんな色になるんだろうー。気になるー。)

黒の子は、両前足に白い短めの靴下を履き、両後ろ足に白いハイソックスを履いている。(くぅー。夢の黒猫でしょコレ。何だよー。)

メスのタビーは眠そうな顔をしていてちょっと活気がないように感じられたけれど、柄がはっきりとしていてとても綺麗でした。

 そして3匹ともとても仲が良い。

 

ひとしきり怪しいアジア人カップルがじーっと子猫を地味に見つめたり遊んだりした後で、人目が気になった私は旦那と外に出て、緊急家族会議。

会議のネタは、「飼うか飼わないか」ではなく、「マジか。3匹か? マジか。」ということ。でも私も旦那もとても似た感覚の持ち主なので、そうなることは彼らを見た瞬間からわかっていました。

「1匹なんて、選べない。」

 

私のポイントは、「兄弟を離したくない。」でした。自分が子供の頃から、どこかの家で子犬が5匹産まれたと聞いては1匹もらったり、ダンボールで捨てられていた数匹の猫を父が拾ってきてしまい結局他の人にバラバラに引き取ってもらったり、ということはあったものの、いざこの年に自分が成長し、あらためて「動物でも家族は家族」と思ってしまったら、引き離すのはどうにも可哀想で胸が痛い。

そしてもちろん、家族会議のもう一つのネタは「5匹も飼って、うちの家計は大丈夫なのか?」ということになるわけですが。

飼い始めて約一ヶ月が経ち、今言えることは「頑張ります」ということでしょうか。

何があってもこの子逹を養っていくのだな、というのはこういう感覚なのだということを私も旦那も知りました。人間一人よりも二人、二人よりもプラス猫1匹、そしてそこにさらにもう1匹。そうやって増えてきた家族で、そこにさらに天使子猫3匹が加わり、増える度に楽しくなってきたことを考えれば、非常に良い決断だったのではないかと思います。

当初家が狭いのではと心配しましたが、子猫も大人猫も結局私や旦那がいる場所に集まるので、いつもどこかの一室にみんな集合している感じで、子猫が大きくなってきていても、全然圧迫感を感じることもなく。引越しさえ考えましたが、今はこの家で良いのではないかと思っています。

 

家族会議の際、実はもう一つの私たちのポイントは「この先人間の子供をもつかもたないか」ということでもありました。年齢的にも、人生の状況的にも、考えるのに最善な時は来ていました。

そんなことを話し合っている私たちの目の前で、いかにも可愛らしい白人の3歳くらいの女の子がとっても可愛らしく母親にごねていました。その様子は本当にとても可愛らしかったのですが、私にはその時答えが出た気がしました。

猫保護に、生きていくよ。

 

人間一人の子供をもつことを思えば、子猫が3匹増えたってきっとやっていけるはずだと思いました。世間のみんなが、乳飲めなかったり、夜泣きが止まなかったり、拗ねたりゴネたり非行に走ったり、時には引きこもったり暴力沙汰になったり、親に反抗したり、鬱になったり、そんな大変な思いと経験をして子供一人や二人や三人を一生かけて育てていくことを思えば、私たちの人生の一幕に5匹居る瞬間があったとしてもきっとやっていけるはずだしやっていくんだと、思いました。

 

家族の構成も、家族員の授けられ方も人それぞれですが、我が家はこうなりました。

子猫逹が来てからというもの、膝に乗る度に「グルグルグルグルグルル」と合唱してくれる猫たちに囲まれて、まるで猫風呂に入っているかのような癒しです。

旦那は仲良く遊び回る子猫たちを見ては「これで良かったんだ。一緒に引き取って、これが良かったんだ」と言っています。

二人と5匹で、全員揃ったなという感じです。猫万歳。

f:id:rainbowworld:20171108061558j:plain

 

 

お盆だものね

f:id:rainbowworld:20161021040551j:plain

一昨日のこと。どうりで。朝から涙することあるわけです。

お盆ですものね。

 

嬉しい涙なのだけども。

今は亡くなった大事な人たちに出会えて嬉しいーとか、

あの時あんなに大切にしてもらえて有難いーとか、

今旦那と一緒に生きているそのことが嬉しいーとか、

とにかく朝から、今あることやあの時の人達への感謝の気持ちが湧いてくる。

「ありがとう」と感じて目が覚める。気づけばお盆でした。

ありがとう。

 

 

先日、日本から旦那の両親と姪が来ていた。

子供のエネルギーというのはスゴイ。かわいいが、ものスゴく疲れた。でもとてもかわいい。

義理の両親は、かわいいというわけにはいかない。

私や旦那は年に一度会うかどうかという距離と頻度だが、これがもし日本で近・遠距離に実家もしくは義理の両親が居るとなると発狂ものだなと実感。

先日帰った日本でも実家に相当やられたが、いやはや。自分たち以外の大人と同じ空間に過ごすというのは、なんというか磁場が歪む?

『同居』とかしてる方々、心身ともに大丈夫なのだろうか、、、。

 

が、恐ろしいことに、姪は本当にかわいくて、空港でようやくの開放感とともに手をブンブン振りながら見送った帰り道で、うっかり「次があっても良いな」などと不吉なことを一瞬でも思ってしまった自分が怖い。

ちょうど最近、ストレスは中毒性があるということを知ったばかりだったので、まさにこのことかとハッとした。

トラウマになるようなことや、それに基づくドラマを繰り返す背景には、不快になる脳内物質やホルモンが出るらしいが、それが興奮作用もあるので中毒になる、ということらしい。

おー怖。なのできちんと克服するにはトレーニングが必要なのですね。

 

そんなこんなで、気づけば40なり。

39最後の一ヶ月に、何かできることに挑戦してみようと思い、やってみたのが『30日間スクワットチャレンジ』なるもの。結果、お尻が上がり、お腹がへっこんだ。やはり下腹はへこますことが可能なのだ。

 

4月に日本に帰った頃は体重がピークで、失礼な親戚にはうっかり妊婦かと思われ、非常〜に不本意であった私の体は、40を目前に遊び心で試したスクワットと「白いもの断ちダイエット」のおかげでいとも簡単に元に戻った。ちなみに「白いもの断ち」は粉、米、砂糖、乳製品。途中でどうしても食べるものが他になく、職場で頬張ったラザニアや、プチアップルパイ等はカウントしない。食べたのも昼間だしOK。そして完全に消化されたようなのでこれまたOK。

ちなみにちなみに。白くなければ食べて良いのだ。つまり、茶米(玄米)、黒砂糖、小麦粉で作られていないパスタ、アーモンドミルク等。糖分摂取量を控えるということが目的。

 

「感傷暴食(emotional eating)」というものがあることを知り、私にとってのそれはチョコレートだったと知った。

私は昔から、祖母の家に行くと必ずチョコレートを大量に買ってもらい、ケーキを出され、まるでそれらが主食のように食べていた。それは私の「至福の時」。実家とは違い、安心安全な場所での子供の貪り。

なのでその後の人生でもずっと、ストレスが溜まりそうになるといつもチョコを食べてきた。チョコは私にとって「安全な場所」の象徴だから。

美味しいが、肌も荒れるし、体には悪いなーと思っていた。なので40を目前に、それも断つことにした。断つといっても、毎日毎朝食べてたものを、「ほんのたまに、すごく特別な時に限り」という頻度にした。

タイミングと意気込み次第かと思うが、「絶対に断つ」にしなければ、ストレスもかからず自然に断てるものだと実感。タバコと同じか。「やめる時」が来ればほんのちょっとの努力でやめられるものなのだ。

 

姪っ子の話に戻るが、今回子供が身近に暮らしてみて思ったのは、

①子育ては大変だ

②大人の育てたように子は育つ

③大人はそれにまったく気づいていない

 

ということだった。

私と旦那に子供はいない。普段は二人と二匹のとても静かな生活をしているため、実の母や義理の両親などの大人が来ただけでもグワァッ(ー◾️ー)と狂いそうになるが、今回の姪っ子ちゃんはとってもとっても聞き分けのある良い子なのにものスゴく疲れた。あの無邪気なテンションと視線で自分の気になっていることを喋り続けられたら、こちらは根こそぎエネルギーを失うという魔法を見た気がした。

なぜだ?良い子なのに、なぜか接した後はまったく自分たちのことをする気力がないほどどっと疲れる。子供は大人の気を吸って生きているのだろうか、、、。

これが我が子になり、しかも一人じゃなく二人も三人も居たらと思うとオーマイガッ。子育てしてたらミイラのように干上がってしまうやないかーい。

子育て恐るべし。世の子持ちのみなさん、よもやサイヤ人か何かなのでは。

 

そして姪っ子ちゃんの発言で、ものスゴく引っかかったことがあり。

二人で食材を買いに行った時のこと。

「私はねー、ジージの家族もバーバの家族も誰かがみんな⚪️⚪️⚪️で死んでるから、私も⚪️⚪️⚪️で死ぬんだって〜!♫」と。

 

?????

 

え、殺したいの?何ナニ?大人は孫を殺したいの?

 

なんでそんな呪いをかけるのかなーと、本当に意味がわからなくなる。

これ、よくある呪いだと思う。

もっとましな言葉をかけられないものなのかなーと、残念に思うが。ちなみに姪っ子はまだ8歳です。そして「遺伝だからね〜!」を連発する。

そんなに幼いうちから、いろんなことを諦める癖をつけさせられないでおくれ。

ジーよ、バーよ。あなた達がそれを恐れているのはわかるが、わずか8歳の死に方まで決めてくれるなよ。

 

てゆーか、遺伝というよりもむしろ、「生活習慣、食習慣、思考習慣」の引き継ぎがこういう家系に根付く病気の原因になるというのがもっと広まれば良いのにと思う。

例えば。「遺伝だからね!」と言って、漬物に醤油をかけ続けるとする。高血圧は遺伝の病ですか?それはその「家庭の味」であり「嗜好」であり、生活習慣の結果ですよね、ジーよバーよ。なんでも遺伝で片付けないで。

 

姉方の姪っ子もそうだが、子育ての何が一番恐ろしいかって、その子を育てる周りの大人のネガティブや呪いや信仰が見事に全部写し出されることだなと思わずにはいられないのだった。

よもや家族のカルマが強いのか、それとも田舎の色が強いのか。

自分の中の闇と、これまで抱えてそしてようやく捨ててきた数々の闇とを思う時、とても決して子供は持てないと思うのであった、、、。

 

ごめんなさい、でも感謝してます。

ご先祖様、命をつないでくださり、ありがとうございます。

f:id:rainbowworld:20161118040351j:plain

 

 

 

 

 

父という生き物

久しぶりに書く。

そしてついに、家族について書く日がきてしまった。

 

1月の後半にまた本落ちしてしまった。あまりにも私が「殺せー。コーローセー」と呟くので、2月の頭に旦那が急遽「よし!日本帰ろう!ちょっと息抜きして、おいしいもの食べてこよう!」と提案した。

ということで、4月の3週間日本に帰っていた。

 

結果は、「さらなる地獄」を見た気分。

帰ることがわかってほんの一瞬「やったぁ、帰れる!」と思った日があった。確かにあった。けれども実際、帰国することが現実的になってくるにつれ、よりリアルで想像しうる家族問題が私の不安を煽る。

 

そんな私が帰国するタイミングを待っていたかのように、姉が離婚すると言い出した。私が帰ったら、すぐさまアパートを探すという。もちろん、その段取りや各種手続きを私にやらせるのが目的で。

「私がいれば、相談に乗ってあげられる」という今までどうりの筋書きと、何やらややこしそうな匂いがプンプンするその問題にどっぷり浸かることになるという懸念。

だがしかし、この時点では、姉はまだかわいいもんだと思っていた。

 

我が家の本当の問題は、暴れくるう父であり、隙あらば私に依存してくる母である。

以前、私が結婚する直前のこと、よく当たると言われる占い師のところにいったことがある。旦那の名字になる私の名前と旧姓バージョンの名前との両方を観てもらったところ、「実家から、より離れるほど運気は上がる」と言われた。そしてその時、その言葉はストンと私の腑に落ちた。当時はまだ、それがなぜかはわからなかったけれど妙に腑に落ちたのだ。

 

とにかく、帰国した。帰る前から父が暴れている。くだらないことでだ。誰が私を迎えに行くのか、とかいう、よもやなぜ暴れるのかわからないことで電話の向こうで大声をあげている。この男の大声が、この家族のそしてこの家のすべての生気を奪っている。

旦那は毎回帰国の度に私の実家に数泊し、両親に挨拶をしてくれる。母親は毎年カナダに遊びにきてくれているのだが、父とはこの時だけが悪夢のご対面となる。

仕事をしている時ならば、会社の飲み会や何かで夜に父が家をあけることも期待できたが、ついに定年してしまった今年はその束の間の平和すらも望みが薄いと思っていた。すると、私たちの帰国後二日目に、なんと父方の祖父が他界した。享年94歳、大往生だ。

その約1年前に祖母も他界しており、父にとっては唯一の肉親である祖父の他界がとてもこたえた様子だった。そして、私たちにとっては奇跡の3日間が与えられた。父が実家である祖父宅に泊まり込み線香の番をするという。奇跡だ。奇跡でしかありえない。

まさかの父の留守。お祖父ちゃん、ありがとう。

 

それからお通夜やお葬式を終え、約1週間の滞在の後に旦那は自分の実家に帰っていった。まったく予期していなかったが、この帰国で礼服を買った。まぁ今までなくて平気だったことの方が不思議なのだから、こんなものなのだろう。

 

この一連の葬儀騒動で、田舎というかなんというか、もはや何と括ったらいいかもわからないこの父という生き物の「思い込み」や「常識」や「体裁」や「見栄」というものにぶち当たることになる。

父というのは本当に、理解されない孤独な生き物である。

私の前にいるその「父という生き物」は、学がなく思い込みの激しい田舎者の暴れ者で、女子供の前で怒号を響かせ、私や姉の子供時代にはほぼ毎晩食卓の上のものが台所から居間をめがけて飛び交うという惨事で、姉は知らんぷりで自室へ篭り、私は泣きながらその飛び散った茶碗のかけらやご飯粒を拾うという儀式を続けてきた。

40年来連れ添う愚かな女には二言目には「出て行け(怒)」「ぶん殴るぞ(怒)」「誰のおかげで飯が食えてると思ってんだ(怒)」とわめき散らし続けてきた。40年間も。よもや両者間違いなく馬鹿者であることはさておき、よくも自分の行いに虚しくならないなと思う。叫んでも叫んでも誰も助けてくれず、何も救われない。報われない。私があんただったら、自責の念とともに、虚しくてとっくの昔に首括ってるよ。

 

今回、亡くなる直前の祖父に会いに、病院へお見舞いに行った時のこと。私も旦那も、「あ、私の父が眠っている。」と思った。私の父の最期の姿がそこにあるという感覚だった。なので二人とも、よもや祖父にではなく「最期の父」の姿に合掌しお礼を言った。「もうイイよ。行ってらっしゃい。」と。そしてその数時間後、祖父は旅立った。

父に言わせると私が12人中最後に面会にきた孫だったらしく、私を待っていたと言う。いや、そうだと思うけど、やめてくれ。いや、そうなんだけど。もう94歳で、呼吸器をつけて苦しそうに息をしている老体に「親父、良くなって家に帰ろうな。もうすぐ(ナナソラ)が会いに来るから頑張れよ」と励まし続けたらしい。やめてくれ、父よ。てゆうか、虐待の域じゃい。行かせてやれよ。

 

父は葬儀の後の親族の食事会で、2回スピーチをした。驚くことに、1回目のスピーチで、彼は泣いた。いや、泣くとは思っていたが、そう思っていたのは私だけだったと思う。私は父の人柄がわかっていたので泣くだろうなと思っていただけで、愛情のまったくない母などは「泣いたな。馬鹿見たいな。」と私に言ってきた。

とにかく父は泣いた。何が驚いたかというと、本気で94歳の父親を回復させて退院させてやりたかったらしいことが、私を驚かせた。男性というのはそういうものなのか?それともみんなそう思うのか?

今回の一件で、父の合計6人兄弟のうち3人の女性陣は案外冷たかったと父は言う。祖父が倒れた時もさらっと諦めようとした、と。でもそうだろう。実際、介護しているのは私の母(つまり『嫁組』)含む実の娘たちの女性陣であり、ちょっとチラッと顔だけ見に立ち寄るあんたとはわけが違うのだ。まして高齢で、3月の彼岸からいつ逝ってもおかしくないと医者に言われていたとのこと。本気で家に連れて帰ろうとしていたその執念の方が、私は怖い。

怖い、が。それよりも『残念』だ、親父よ。

他の親戚が言うには、父はマメにいろんな方のお墓詣りに行っているという。若くして亡くなってしまった義理の弟や、私の姉の義母のお墓にも必ず行っているらしい。それは素晴らしいことだと思うが、本当に残念だ。

なぜ今は生きている、そしてずっと一緒に生きてきた目の前の女を大事に出来ないのか?もちろん、私の母のことである。

 

今回も葬儀までの1週間の間に、1度だけ母を怒鳴った。私はその時姉と諸用で出かけていて家におらず、そのことで父が怒り狂ったのだが、かわいそうなことに旦那を家に置いていってしまったので、旦那がその暴君を目の当たりにするはめに。旦那には申し訳ない気持ちでいっぱいなのと、マッチョな旦那のラリアットで父を殺さなくて本当に良かったと思う。あと1回、いや2回、もしも父が旦那の前で怒鳴っていたら、父はきっともうこの世にはおらず、私と旦那はカナダに帰って来られなかっただろう。

父が生まれたその家系で、我が家族にとって本当に良かったのはきっと男の子が生まれなかったことであり、ただ同時に、子供の成長の過程であったかもしれない「父への決闘&父の敗北」的な父の挫折がなかったことは、悲劇なのかもしれない。まーダブル父みたいな男どもが家庭にいるよりはよしとするべきか。

 

私はこの亡くなった祖父とそれほど親しかったわけではないが、それでも何かしら不思議な教訓を得る機会が与えられる。私はもともと母方の祖父母の家で見てもらう時間が幼少期から多かったので、そちらの祖母が大好きである。母方の祖父も父方の祖父と時を同じくして入院し、現在も入院中だが、96歳の今もはっきりとした思考で、最後の時間を過ごしている。とにかく、私はどちらかというと、母方の祖父母に多大な恩がある。

父方の祖父母とその親戚といえば、当時22歳の私が彼を亡くした後のお正月に親戚総出の集まりがあった。確か祖父母の結婚50年の祝いだったのではないか。彼のお葬式で「身内とその他」の関係性について思うところがあった後での「身内」側でのお祝いで、その時も父がスピーチをしていた。「(父からみた)父と母から始まって、今や孫やひ孫を入れると総勢50人の大家族です。」というようなことを言っていた。私はその時、「命のつながり」というものを強く感じ、この「生」のお祝いの儀式にもしも私があの時彼の車に乗っていて一緒に死んでいたら、父はこうスピーチを出来ず、この「命のつながり」から私は消えていて、この平和な「生」溢れる場は無かったのだなと感慨深くなった。そして彼が私を置いていったことや、その大きな理由のようなものを感じた気がして泣いた。

 

生きる列車と、死ぬ列車があるのだと思う。みんな必ず死ぬ列車に乗る。だけど、「その時」が来なければ決して乗らないし、乗れないのだ。そして「その時」が来れば、必ず乗るようになっているのだろう。

 

そして今回、父方の祖父が逝き、その最期に会い、そしてご遺体に会い、遺影に会い、お骨に会い、お位牌に会う。私がただただ祈ったのは「父を助けてください。もしくは連れて行ってください。」ということだけだった。今回の帰省で、実家のお仏壇に昨年亡くなった父方の祖母のお位牌と写真が入っていた。なので私はそこでも毎日毎日アホみたいに線香を焚き、手を合わせ、そして祈る。「父を救い、女に怒鳴るのをやめさせてください。それが出来ないなら、どうか連れて行ってください」と。

薄情だろうか。私は、薄情なのだろうか。

 

今回、父以外の女3人(母、姉、私)は何度父の死を願っただろう。

父が本当に可哀想でならない。だが本当に、死ねばいいのにと願った。

何度も何度も願った。願わざるを得ない状況がやってくるのだから、どうにもならなかった。母も姉も私も、わずかな望みだった孫でさえも、もはや父を救えない。

今回の祖父の他界で、何かが変わってくるのかもしれない。

父は祖父の土地の一角に、自分名義で譲り受けた土地を持っている。これは決して裕福な話ではなく、ただ、貧しい兼業農家だった祖父の土地の一角の荒地が、父に譲られているということなのだが、よもや女3人組は父がその地に帰ってくれることを心待ちにしている。それがみんなの平和であり、幸せなのだ。

でも悲しい。今回の帰省で、はっきりとわかったことは、「父は我が家の核なのに、ガンなのだ。」ということだった。あの人はあの家のガンなのだ。あの人が帰ってくると空気が変わり、酔っ払って帰ってくると昭和初期の白黒映画さながら空気が凍りつくのだ。本人はご機嫌でただ足元が乱れ、声がデカく、ちょっとろれつが回らないだけなのだが、それでも、もういるだけで悪なのだ。母は挙動不審になり、念仏を唱えるかのようにクロスワードに没頭するふりをする。その姿をみて、私がいない間の母の生活の悲惨さを想い、心が苦しくなる。

40年一緒に生きてもこうなのだ。何も変わらず、お互い救われず報われず。苦行のような結婚生活を送っているのだ。

 

なんなんだろう、このカルマ。そしてもちろん、パターンは微妙に違えど、姉も確実にこのカルマを生きている。

今回の帰省中に、是が非でも姉の引越し準備を手伝うもしくは手伝わされることになるのだが、姉が化け物になっていた。怖い。もうとても怖い。どのくらい怖いかというと、父に命令するほどに怖い。そして姉が怖すぎて、とりあえず父が瞬時にその命令に従うという不思議な光景を目にすることになる。私と母が気を遣い、父が怒鳴ることを想定して静かにかつ緻密に計画を立てて動いているというのに、姉はそんなのお構いなしにぶっちぎっていく。あれは誰だ。もはや私の知っている姉ではない。15年の結婚生活で、よっぽど我慢してきたのだろう姉の鬱憤が、ことごとく実家中をひっくり返してゴミを捨てるという傍若無人な行いによって、荒らされていく。

でもきっと、それでいいのだ。あの家は、鬱積し続けたものを解き放つ導火線とその先の爆発物的な何かが必要なのだ。

姉の出戻り計画は祖父の葬儀とともに着々と進んでいたのだが、私は父がいつ暴れるだろうかと心配していた。すると姉は一言、「父のヤローが祖父ロスで撃沈しててラッキー」と。姉、強し。やはり姉は強いのだ。私は弱く、優しすぎるのだ。

 今回、姉は子供と旦那を置いて出戻ってくる。こんな母がいても良いではないか。子供は可哀想だが、そこにはそこのドラマがあり、一概に姉だけを責められない実情があるので、私は姉を想い泣いた。泣きまくった。子供が天使で、母は聖母だなんて幻想は、見る側が罪なのだ。生身の母が生身の父と生身の子供を育てながら働きながら生きているのだ。みんなが順風満帆になどいられるはずがないのだ。

だがしかし、私達の父はまったくその内情を知らない。孫ラブの父が、暴れ狂うことしか想像できなかった私は「父がまたちゃぶ台ヒックリ返すな」と姉に言うと、「今度は私がヒックリ返してやらぁ、おんどりゃぁ!!!」と偉く気合が入っていた。

良いね、姉。その鬱積を晴らすのは、ユーだ。ユーっきゃいない。カッコイイぜ、姉。

 

まぁそんなこんなで、実家の断捨離(母の生活圏内のみ。父の生活圏内である2階は地獄絵図と化しているため、侵入を拒否されたので掃除不可。父が死ぬまで待つ)をせっせかと行い、燃えるゴミだけでも合計25袋を片付けた。息が詰まりそうだった寝室が、空気が軽くなったのは気のせいではなかった。母は肩こりが取れたという。(ちなみに私が出したのは18袋で、もう全部やりきったと一息ついてからの姉の乱入に、さらに7袋と燃えないゴミと粗大ゴミが大量に追加で出た。父はその間さっさと姉に命令されて片付けるべきものを片付けると、2階もてこ入れされる危険を感じ外に逃げていった。そして姉は言う。「ヤローが一番のゴミだがな」と。

 

この後あの家がどんな展開になるのかは、まったくわからないのでした。【終】

 

 

追記: この間ずぅっと、変な感じでいろんなことが起きてました。

帰国を決め、チケットを買ったら、いつもは30ドルで済むオイルチェンジでまさかの修理箇所が見つかり、総額1700ドルもの出費があったり。さらに確定申告でまさかの1000ドルの出費、撃沈しながらの帰国に祖父の他界、姉の離婚騒動アンド引越し手伝いに、帰国日のバスの遅延(中央交通さん、マジで心配しました。運転手さんにお休みをあげてください!)、直通便がまさかのバンクーバー緊急着陸。カナダ帰国後すぐに仕事復帰したら、その4日目に職場の駐車場で馬車が突っ込んできて私の車に穴が開いていた。などなど。物事は穏やかに修復に向かっていますが、こんな時期にあんなデカイ鉄の塊で空を飛んで、無事に帰ってこられたことに感謝。みなさまも、ご自愛くださいな。

f:id:rainbowworld:20170505071016j:plain

ザ・年越しデトックス

f:id:rainbowworld:20170112134654j:plain

明けましたね。おめでとうございました。

 

まさかの大晦日に風邪をもらい、元旦に出勤するも朝起きた時から キテマスキテマス状態で。元旦の勤務はさすがに誰も替わってもらえないだろうと判断し、翌日の勤務を休みにしてもらうべく交渉。無事に翌日2日の休みをもらい帰宅するやいなや30分で発熱。ふぅ、勤務中にバテることなくなんとか勤務をこなした自分の体に感激しましたYO。

てことでそれからしばらくダウンしてましたが、ようやく回復してきてコーヒーが飲めるところまできました。

体調崩すと途端にコーヒーを飲みたい気持ちが失せるのが、まぁわかりやすい。ある程度の健康体でないと楽しめないものが結構あるものですね。

 

風邪中、梅を入れた白がゆが食べたくてお腹が空いて仕方がないのに起き上がれない。布団から出るも、極寒シベリアで寒中水泳ですか?というくらい体が震えるのでソソクサと布団にまた戻る。よもやご飯はお預けか、という時に旦那が帰宅し、旦那も疲れているのに優しくも果物を切ってくれたり、うどんを作ってくれたり。本当、この人は優しい人だと心底心に沁み入りました。

 

昨日は一緒に年明けチラシ寿司(旦那作)を食べながら映画を観て、仕事づめだった年越しをなんとか労おうと二人で過ごしました。

ご飯を待ちながら、結婚してからこれまでのいろいろな経験を思い出していたら、しみじみと「私は友達を手に入れたんだなぁ」と思い、号泣。

私の人生はいつも友達がそばにいなくて、誰も私のことをわかってくれないしわかれないと思って生きてきたけど、結婚をして10年、今私の隣には私の全てをわかってくれる運命共同体の大親友がいて、この人と過ごす時間は神様がくれた幸せの時間なんだなとわかり、それで泣けたのです。

私はずっと、ずっとそんな友達が欲しかった。

私だけじゃなくて、相手も私のことをとても強く大事に思ってくれて、優しくて、決して私を欺かない心根のキレイな人。

私だけに向けてくれる愛情を持っていて、私の愛情も受け入れてくれる人。

状況が変わっても、一緒にその状況を乗り越えていける人。手を取って歩いてくれる人。

一緒に楽しいことや悲しいことも乗り越えてくれる人。

いろんなことをする時に、隣にいてくれる人。そんな友達が欲しかった。

そしてこの人と過ごす時間はその全てなんだと、そんな友達を神様が私に与えてくれたんだと、すとんと腑に落ちました。

あぁ、感動。私が人生でずーっとずーっと欲しかったもの。

神様ありがとう。

今年も私らしく生きます。

f:id:rainbowworld:20161104132313j:plain

 

豊かさ

f:id:rainbowworld:20161005215755j:plain

先日の記事を書いたあと、なんだかまるで長い夢から覚めたような、今までずっと包まれていたシャボンの中から出てきたような、不思議な感覚になった。

そもそもブログを書き始めてからというもの、自分の中で芽生えてきた意識の中に「いつかこのことを一冊の本にしよう」というのがある。これまで、人に話したり自分の中でずっと大事にしたりしながら守ってきたもの、この思い出。命ある限り私の心の中で大事にしようと思ってきたものだけど、ずっと考えていたことがある。「誰か、私の頭の中を全部読み取ってコピーして、映像にしてくれないかな。」と。一つの作品にしてくれないかな、と。それが全ての『証し』になると思って。

そして今、ブログを始めてみて、自分で文字として文章として起こしてみようかと思ったのが大きな変化だった。

今年で17年になった。あと3年で20年。20回忌までには、この物語を書き上げたい。そして本にして世に出そう、と思った。

なんていうか、書くことによって自分の手から解放しようと思えるようになった。決して忘れない、色褪せない大切なこと、だけど私はこうして歳をとり続ける以上、いつか記憶から消えていったり失くしていったりするだろう。そうなる前に、「決して忘れまい」と自分にも天に還った彼にも誓ったこのことを、作品にして一つの形に出そうかな、と。20年間自分の中で大事に守ってきたなら、それも許されるのかな、と。

そんなこんなで書き始めたけど、先日の記事は自分でも追体験というか、あの日の気持ちに、状況に帰るというかで、タイムスリップしたみたいになってしまった。いや、良いことなのだとホントに思うけど。

 

12月の特にこの時期は多くの人にとって『内省と感謝』の時期だということで、私もそれを実感するような不思議な感情が急に記憶から蘇ったりしている。

私は、自分の人生が変わり続けているからだろうか、そしてもともとそういう性格だからだろうか、親しい友人は本当に少ない。これからもずっと感謝して好きであろう人逹がほんの数人いるだけで、現在お付き合いがある比較的仲の良い人逹でも「知人」であるけど、「友達」かといわれると、さてどうだろうという感じ。

同じような境遇の人も居ないし、そういう人と出会ってもお互いの状況もまた変わるから、やっぱり「友達」というのではない気がする。

そんな私でも、最近フト、ジャイ女子校時代の思い出したくない面々以外の「その時代の友人逹」の存在や彼女たちの行動を思い出したりして、心が嬉しくなったり和んだりした。ずっと忘れていたけれど、あの苦しく辛い時代にも、私に善良な友情と好意をもって接してくれた人達がたくさんいたな、と思い出して嬉しくなったりした。

思い出したのは当時、全国大会をすぐ控えていたために部活の全員が修学旅行に不参加となった時のこと。それ自体はどうでもよく、同級生のジャイ子逹と化学室で自習をさせられた日々が辛かっただけなのだが、他の同級生たちが旅行から帰ってきた翌日のことを思い出した。朝練が終わり教室に入っていくと私の机の上には幾つものお土産が所狭しと並べられていた。そこにお土産を置いていってくれた友人の気持ちや交わした他愛もない会話など、ものすごく久しぶりに思い出したので、ちょっと笑えた。

はたまた大学時代、体育会のクラブ活動がメインでもあったので大学生としては全然パッとしない学生生活だったけど、そんな時代にもやはり、当時の「良い友達」と呼べる人達との出会いと付き合いがあったことをフト鮮明に思い出したりして、「良い奴だったなぁ」とちょっとニマニマしながら嬉しくなったりした。

何が私の心を嬉しくするかって、それはそんな「思い出してちょっと嬉しくなるような人逹」と出会って過ごした時間が自分の人生の中にあったと再確認したことだった。

得てして「忘れたい思い出」の方が強く自分の心と脳に刻まれているもので、そんな人達の存在や好意を頭の片隅にすっかり押しやっていたのだ。それが最近の自分の感覚や思考の変化によって、それらを仕舞っていた戸棚の扉がすーっと開いて出てきたみたいで。

良かったね、私。「好きだな」と思った人達が、人生のところどころで登場していてくれて。

 

そしてもう一つ。

これはいつか触れようと思っているけれど、「家族」について。

今回フト湧き上がってきたのは、人生全般のではなくてえらくピンポイントの、母親への感謝だった。

家を買って1年目の夏に、義父母と私の母親が一緒にこちらへ遊びに来た時のこと。購入にあたり援助もしてもらい、母親もとても楽しみにしていたこともあり、到着するなり二人の母親は文字通り「ワー!キャー!」と言いながら家中を褒め称えて喜んで回った。それをつい先日、マイナス15度の寒さの中帰宅した時に、24度のヌクヌクのキッチンに立っていてフト思い出したのだ。

私と旦那はこの家をつくづく「良い家だなぁ」と思い、感謝する。それは冬に暖かいから。二人とも日本の実家がひどく寒いので、心底家が暖かいことに感謝する。そしてカナダの住宅はセントラルヒーティングシステムを採用しているので、家中どこに居ても同じ温度で暖かい。私の実家とは本当に大違いなのだ。家が寒いと心が淋しくなる、というか淋しい家で育ったから、余計に寒さが沁みたのだろうか。いずれにせよ、トラウマ的な寒さ体験だったことは間違いない。

なので家が暖かいことは天国のようで毎回感謝するのだが、それはそういう超絶寒い家で育ち、ヌクヌク暖かい家に引っ越さないとわからない類の幸せの一つだと思っていた。

そんなことを考えて、帰宅後のキッチンで暖かさをかみしめていたらフト、あの1年目の母親の喜んだ姿を思い出した。

私と旦那以外で、この家のことをあんなにも喜んで好きで褒めてくれた人がいるということ、そしてそうやって全身全霊で喜んでくれた母親の気持ちに、初めて感謝した。

「これを伝えないで母に死なれては悔いが残るな」と思い、メールで感謝を伝える。

私は今となってはあまり母親と話さないが、この時ばかりは伝えなければと思った。

 

そして今日、こちらカナダはまだ22日の夜。昼間には旦那の実家から大量の愛情便が届いて、貴重な日本からの食料を確保。ありがたや、ありがたや。

カナダではクリスマスの25日と翌26日に閉まる店が多い。こちらの人にとっては文化的にとても大切な日であり、誰も働きたくない日であり、祝日なので人件費も倍の日だからか?理由はよく知らないが、とにかくいろんな店が閉まる。毎年そんな日に限って食材がなくなったりして不便な思いをするので、今年は多めに食材を買い込む。

猫のご飯も買って、好きなワインも家にあって、冷蔵庫の中も好きなものでいっぱいになって、コストコで美味しいクリスマスチョコを買いだめして、日本からのチョコも食材も届いて、家は暖かくて猫が居て旦那が笑っていてくれて、仕事があって家にやってきてくれるお客もいて。

なんて豊かなんだろう、と今ある恵みに感謝する。

億万長者でなくても、「足りている」幸せ。

この幸せが続きますようにと、今ある幸せに感謝する。

そしてこれからも「今」出来ること、大事にやっていくだけ。

ありがたい、ありがとう、と思った年末です。

 

さあ明日からは年内最後のかきいれ時、年越し天ぷらそばディナーを目指してはりきります!

f:id:rainbowworld:20161022014313j:plain

f:id:rainbowworld:20161022014517j:plain