あの日のこと    前編

f:id:rainbowworld:20161022013012j:plain

あの日のこと。

 

私が「目に見えないもの」をはっきりと信じるようになったのは、やはり、近くで死を経験したあの頃からだった。

 

彼の命日は、11月26日。当時私は大学の卒論を書いていた。それを気遣った彼が、クリスマスまでは会うのを控えようと考えて、その前に私の部屋に遊びにきたのが25日の夜だった。

辻調理師専門学校に通っていた彼は、その日学校が終わってから急いで実家に帰宅し、当時大きな悩み事を抱えて食事が摂れなかった私を心配し、特製スープを作ってくれた。作り終えるとすぐに、学校の友人に誘われていたパチンコに付き合い、本当は家まで送る約束をしていたその友人に律儀にもタクシー代を渡し、「ごめんけど、これで!」と言ってまた急いで実家に帰宅し、その日私のところに持ってこようと本人が企てていた大量のプレゼントと手作りスープを持って、私のバイトが終わる頃に合わせてうちにやってきた。

両手に抱えきれないほどの荷物だったので、私に車まで荷物を取りに来てくれと電話してきた。私が車に向かうと、彼はもう途中まで歩いてきていた。大量の荷物を抱えて。

そしてうっかり、鍵を中にさしたままドアをロックしてしまった。

それに気づいたのは朝の6時過ぎだったろうか。ちょうど会員証が切れてしまっていたロードサービスを有料で頼むのは馬鹿らしいということで、一旦実家にスペアキーを取りに戻ることに決めた彼は、ちょっと怖い彼の父親が出勤した時間を狙って実家に電話をかけた。母親の通勤時の乗り換え駅で、スペアキーをもらい受けるためだった。母親に事情を説明し、くれぐれも父親に言わないように念を押し、そしてもちろん父親の耳に入る。そして父親から電話をもらい、怒られる。仕方ない。

結果的にこうして彼は、亡くなる前に両親と話すことが出来、母親は最期に彼と駅で会うことになる。優しくて綺麗な彼の母親は、この時「息子を止めなければ」というどうしようもない気持ちになったという。「気をつけてね」といつも言っている言葉が、どうしても出てこない。言わなければいけないのに、どうしても言えない。

それはその前日の夜に、私が彼に思ったことにとても似ていた。

「どこに行くの?」こんなに近くにいるのに、とても遠いところに行ってしまうようだった。まだ始まったばかりなのに、まだ若いはずなのに、もう終わりを迎えていくかのようだった。そしてそれは、本当だった。

 

私のところを出たのは、昼前だったろうか。私の部屋に遊びにきた当時仲が良かった大学の友人に会って軽く話をした後で、うちを出た。しばらくしてからふと、彼が出てからどのくらい経つだろう?と何かが引っかかった。その友人に彼が出たのは何時頃だっただろうかと尋ねた。「もう1時間位は経ったんちゃう?」と友人は答えた。二人とも確かではなかった。窓を開け外を見るととてもいい天気だった。近くの山では紅葉が始まっていた。それがその日、私が彼の死を知る前に見た、「あの日の、22の私」の最後の景色だった。

 

彼はいつもは実家に着くや否や必ず電話をかけてくる人だった。その日は待てども待てども連絡がない。電話をかけてもつながらない。初めは寝ているだけだと思っていた。何度かけても出ない。寝ているだけだと信じようとした。でも絶対におかしい。何もないわけがない。そう思うと怖くて怖くて不安で仕方がなかった。

当時かけもちでやっていたバイトは一つは居酒屋、一つは家庭教師だった。その日は家庭教師の日で、彼のことを心配しながらもバイトに向かった。仕事中は携帯を触らないようにしていたが、どうしても気になる。生徒に謝り、抜けだしてまた電話をする。つながらない。恐怖で心臓が張り裂けそうだった。

 

バイトを終え、泣きそうな気持ちで家に着く。

必死だったことしか覚えていないが、帰宅後たまたま電話をかけてきた昼間とは違う大学の友人が私の様子を見にちょうど部屋に来てくれたところだった。

夜の10時前だったろうか。ようやく、彼の携帯がつながる。

 

電話に出たのは、か細い声の女性だった。私はほんのわずかに、「やはり寝ていただけだったんだ」と期待しようとした。でも無理だった。そのか細い声の女性は今にも泣きそうで、消え入りそうで、何事もなかったようにはとても思えない何かが伝わってきた。   

「あの、、、直哉は、、、亡くなりました、、、。」

 もの凄い衝撃と共に、頭のどこかで「やっぱり」とうなだれる自分があった。

 

そのか細い声の女性は、彼の母親だった。

「それは、、今日の何時頃だったんでしょうか。」と聞くと、「午後1時29分でした」と答えた。 あのとても綺麗な空の下、窓を開け私が山を見たあの時間は、一体何時頃だったのだろう。虫の知らせなんて、もっと鋭い感覚のものじゃないのか?あの時私はとても優しい空気に包まれていた。優しくて続いていくような何かの感覚さえ感じた。今振り返れば、それは彼の優しさか。でも当時は、彼が亡くなった瞬間さえも感じられなかった自分を責めた。

 

私が年上だったこともあり、そしてまだ19歳だった彼の、近頃の夜遊びを怒っていた父親のことを直前の彼との電話で知ったこともあり、私はとても責任を感じていた。

失ってしまった命のためにできるような罪滅ぼしなど、私にはとうてい思いつかなかったが、とにかく何かしなければと思った。同時にどうすればいいのだろうかと絶望感でいっぱいだった。

ご両親と直接接触するのはその電話が初めてだったが、意外なことを頼まれた。

「息子の友達で誰か連絡先を知っている人がいたら、このことを伝えて欲しいんですが、、、」

まさか、まさか自分が彼の死を、あの日彼に出会うきっかけになった教習所の共通の友人に電話することになろうとは。一体誰がそんな瞬間が来ることをあの日に想像できただろうか。

「⚪️⚪️君と、、△△君なら電話番号も知っていますが、、。」と伝えると、彼らはなかでも特に親しい友人だということで、連絡することを非常にありがたがられた。

悲しみと衝撃の中でも、変な縁を感じた。

⚪️⚪️君に電話をすると、なんの警戒もなくとても普通に電話に出る。

「おー、久しぶりー。何ー、どしたん?」

「うーん。。。ごめん。ごめんな。。。あのな、直哉君、亡くなってん。。」

「何おま、何ふざけてんの?何?え、何?え?マジで?え、何?意味わからん。マジ冗談やろ?」

「。。。ごめん。ホンマ。。」

「え、てか何?お前らまだつるんでたん?え、何でお前知ってんの?え、意味わからん。」

「うーん、、。うちからのな、、帰り道やってん、、事故でな、、。」

いたって普通の反応だと思う。19歳の子の、そして年齢を考えれば素晴らしいほど冷静でいようとしている反応だと思う。でも私はその「お前らまだつるんでたんか」という驚きで少し強めになった口調に、心がえぐられるようだった。本当にごめんなさい。大事な親友を、19歳という若さで死なせてしまった。それを責められているようだった。

 

とんでもないことになってしまった。そしてその当事者である私は、何をするべきなんだろう。どうにもならない考えや心を、どうにも出来ずにいた翌日、⚪️⚪️君から電話がかかってきた。

「直哉君の両親がな、お前に会いたいねんて。どうする?」

「行く。会いに行きたい。どうしたら良いん?」

会ったら、なんて言われるだろう。どうやって謝ればいいだろう。どれだけ罵倒されるだろうか。それでも私は、会いに行かなければいけない。どれだけ責められようとも、私は私の責任を果たさなければいけない。

その電話の翌々日、私は⚪️⚪️君と待ち合わせをして、彼と最後に会った大学の友人と一緒に、彼の実家に行った。砂を撒かれるのを覚悟で臨んだが、ご両親はとても優しく弱々しく、笑顔で私を迎えてくれた。

彼の父親が「5日間ご遺体を家でお世話します」と決めたので、この日私はまだそこで安らかに眠っている彼に会うことができた。(後で彼の父親と、この時どうして彼の写真を撮らなかったのかと、二人で笑って悔しがった。あったらあったで心が痛むだろう。でも「愛しい人は遺体さえも愛しい」という気持ちを二人で後に話したのだった。)

 

ご実家では最期の日のことや、「近頃毎日のように京都に行ってたんは、お宅さんとこでしたか。」など、最近の彼の様子を、怖いはずの彼の父親は私に優しくたずねてくれた。何か他に知っていることはないか、一緒に写っている写真などはないかと聞かれ、ずっと気になっていた「以前撮った写真」のことを思い出し、それを伝えた。「以前、彼がなぜか赤いキティーちゃんのカメラを持っていて、部屋で二人で写真を撮りました。彼はそのカメラをいつも車のダッシュボードの中に入れていると言っていたのですが、、ご存知でしょうか、、」私が尋ねるやいなや、「おーそれな、今現像屋に出してるとこやで。もうすぐ出来るんちゃう?」とのこと。彼が乗っていた車は日産のフェアレディZという車で車高が低かったため、ダンプカーと正面衝突した事故の衝撃で車の前半分が潰れていたとのことだった。もちろんダッシュボードが潰れていても何もおかしくはない状況だったのに、ドリンクホルダーに入れておいた彼の携帯電話とともに、奇跡的に後部座席に飛ばされていてそのいずれも無事だった。彼の携帯が潰れていたら、私も、友人も、事故のことを知るのは後のことだっただろう。

 

いろんな話をした。私の知っている彼のこと、彼が話してくれた両親への気持ちなど、彼が置き土産かのように私に託したメッセージをすべて伝えた。私たちは一緒に泣いた。そして彼の父親も母親も、泣きながらも決して私を責めなかった。それがとても苦しかった。

そして二人は口を揃えて言った。「あなたがあの日あの車に一緒に乗ってなくて、本当に良かった。それを考えるともう本当にいてもたってもいられない」と。

 

あの日あの車に。どれだけ一緒に乗っていればと思ったことだろう。

彼の代わりに、私が死ねば良かったのに。

こんな私が取り残されて、こんなに惜しまれている彼が死んでしまった。

なんでこんなことが起こってしまったんだろう。

 

 

それから数日でお通夜があり、お葬式があった。若い子のお葬式はさながら成人式の前撮りのようで、若くて生命力溢れる子達がみな驚きと悲しみを交互に見せながらとにかく参列していた。私はその中で、ただ泣くしかなかった。斎場の最前列で参列者の方を向きながら立っているご家族を見て、なぜ私はこちら側で、何も出来なくただ泣いているだけなんだろうと思った。なぜ私はこんなにも悲しいのに、あちら側にいられないのだろう。何も出来ない。ただそんなことを思った。

斎場の中を見上げると、上から彼が悲しそうにこちらを見ている気がした。いたたまれなくなった。

お焼香をする順番が回ってきた。私はよろよろと棺に近づき、花を添え、彼のご遺体のおでこにキスをした。ドライアイスでむせかえりそうになり、とても冷たいそのおでこが愛おしく、そして悲しかった。

 出棺直前に、彼の母親がキョロキョロと周りを見渡していた。この日も一緒に参列してくれていたあの日最後に会った大学の友人が、「お母さん、あんたのこと探してると思うよ」と私の背を押した。前に出て棺に近ずくと、彼の母親は泣きながら必死に私に「写真、棺にちゃんと入れたから。ちゃんと、入れさせてもらったからね」と言った。

あの日、実家で話したキティーちゃんのカメラに入っていた私と彼との一生に一度のツーショット写真。撮った時の彼の手の角度は明らかに見当違いの方向を向いていて、絶対に私の顔は写っていないはずだったあのツーショット。大破したZの車体から奇跡的に出てきたそのカメラに残されていたその一枚の写真は、まるで合成処理をしたかのように完璧に二人の姿を中央に据え、3Dのような彼の笑顔とともにしっかりと恋人らしく写っていた。その写真を撮った時は、まだ付き合う数ヶ月前だったのに。この日にこうなるのがわかっていたかのような、完璧な一枚になっていた。

 

本当はあの日、実家でこのカメラのことを伝えたあの日に、彼の父親が約束してくれたことがあった。急いで現像されてきた写真を確認していると、友人たちと撮った他のピンボケした写真の中から一枚だけ、唯一ピントの完全にあったこの写真が出てきた。そこに映る今までと違う少し大人びた笑顔でいる彼の姿を見て、彼の父親が私にこう言った。「これ、お葬式で使う遺影にさせてもらいますわ。ほんま、ええ顔してる。ほんまに、ええ顔やわ。これが良いわ。約束しますわ。遺影に使わせてもらいますわ。」

私はその写真を、そしてそこに映る実家で見るのとは違う彼の表情を大切に思ってもらえただけでもう十分すぎるほど嬉しかった。そしてありがたかった。夜遊びしていると思っていた息子が、良い笑顔で写真に写っているということが、「短い人生だったけど、若い者らしく楽しめたんやなぁ」と言って泣きながら喜んでくれる素敵な家族がいて本当に良かったと思った。それだけで私はとても嬉しかった。

結局、彼のご祖父母達があまりにも見慣れない彼の写真では困るということで、ご家族の写真の中から遺影を選ぶことになった。私はそれを聞いて安心していたのだが、彼の父親からは「口約束みたいになってしまって、ほんま申し訳ない」と謝られてしまった。

そして出棺直前に、泣きながら彼の母親がその写真を入れてくれた姿を見て、彼のご家族の愛情をさらに感じて私はまた泣いた。

 

 

続く

f:id:rainbowworld:20161021060012j:plain