父という生き物

久しぶりに書く。

そしてついに、家族について書く日がきてしまった。

 

1月の後半にまた本落ちしてしまった。あまりにも私が「殺せー。コーローセー」と呟くので、2月の頭に旦那が急遽「よし!日本帰ろう!ちょっと息抜きして、おいしいもの食べてこよう!」と提案した。

ということで、4月の3週間日本に帰っていた。

 

結果は、「さらなる地獄」を見た気分。

帰ることがわかってほんの一瞬「やったぁ、帰れる!」と思った日があった。確かにあった。けれども実際、帰国することが現実的になってくるにつれ、よりリアルで想像しうる家族問題が私の不安を煽る。

 

そんな私が帰国するタイミングを待っていたかのように、姉が離婚すると言い出した。私が帰ったら、すぐさまアパートを探すという。もちろん、その段取りや各種手続きを私にやらせるのが目的で。

「私がいれば、相談に乗ってあげられる」という今までどうりの筋書きと、何やらややこしそうな匂いがプンプンするその問題にどっぷり浸かることになるという懸念。

だがしかし、この時点では、姉はまだかわいいもんだと思っていた。

 

我が家の本当の問題は、暴れくるう父であり、隙あらば私に依存してくる母である。

以前、私が結婚する直前のこと、よく当たると言われる占い師のところにいったことがある。旦那の名字になる私の名前と旧姓バージョンの名前との両方を観てもらったところ、「実家から、より離れるほど運気は上がる」と言われた。そしてその時、その言葉はストンと私の腑に落ちた。当時はまだ、それがなぜかはわからなかったけれど妙に腑に落ちたのだ。

 

とにかく、帰国した。帰る前から父が暴れている。くだらないことでだ。誰が私を迎えに行くのか、とかいう、よもやなぜ暴れるのかわからないことで電話の向こうで大声をあげている。この男の大声が、この家族のそしてこの家のすべての生気を奪っている。

旦那は毎回帰国の度に私の実家に数泊し、両親に挨拶をしてくれる。母親は毎年カナダに遊びにきてくれているのだが、父とはこの時だけが悪夢のご対面となる。

仕事をしている時ならば、会社の飲み会や何かで夜に父が家をあけることも期待できたが、ついに定年してしまった今年はその束の間の平和すらも望みが薄いと思っていた。すると、私たちの帰国後二日目に、なんと父方の祖父が他界した。享年94歳、大往生だ。

その約1年前に祖母も他界しており、父にとっては唯一の肉親である祖父の他界がとてもこたえた様子だった。そして、私たちにとっては奇跡の3日間が与えられた。父が実家である祖父宅に泊まり込み線香の番をするという。奇跡だ。奇跡でしかありえない。

まさかの父の留守。お祖父ちゃん、ありがとう。

 

それからお通夜やお葬式を終え、約1週間の滞在の後に旦那は自分の実家に帰っていった。まったく予期していなかったが、この帰国で礼服を買った。まぁ今までなくて平気だったことの方が不思議なのだから、こんなものなのだろう。

 

この一連の葬儀騒動で、田舎というかなんというか、もはや何と括ったらいいかもわからないこの父という生き物の「思い込み」や「常識」や「体裁」や「見栄」というものにぶち当たることになる。

父というのは本当に、理解されない孤独な生き物である。

私の前にいるその「父という生き物」は、学がなく思い込みの激しい田舎者の暴れ者で、女子供の前で怒号を響かせ、私や姉の子供時代にはほぼ毎晩食卓の上のものが台所から居間をめがけて飛び交うという惨事で、姉は知らんぷりで自室へ篭り、私は泣きながらその飛び散った茶碗のかけらやご飯粒を拾うという儀式を続けてきた。

40年来連れ添う愚かな女には二言目には「出て行け(怒)」「ぶん殴るぞ(怒)」「誰のおかげで飯が食えてると思ってんだ(怒)」とわめき散らし続けてきた。40年間も。よもや両者間違いなく馬鹿者であることはさておき、よくも自分の行いに虚しくならないなと思う。叫んでも叫んでも誰も助けてくれず、何も救われない。報われない。私があんただったら、自責の念とともに、虚しくてとっくの昔に首括ってるよ。

 

今回、亡くなる直前の祖父に会いに、病院へお見舞いに行った時のこと。私も旦那も、「あ、私の父が眠っている。」と思った。私の父の最期の姿がそこにあるという感覚だった。なので二人とも、よもや祖父にではなく「最期の父」の姿に合掌しお礼を言った。「もうイイよ。行ってらっしゃい。」と。そしてその数時間後、祖父は旅立った。

父に言わせると私が12人中最後に面会にきた孫だったらしく、私を待っていたと言う。いや、そうだと思うけど、やめてくれ。いや、そうなんだけど。もう94歳で、呼吸器をつけて苦しそうに息をしている老体に「親父、良くなって家に帰ろうな。もうすぐ(ナナソラ)が会いに来るから頑張れよ」と励まし続けたらしい。やめてくれ、父よ。てゆうか、虐待の域じゃい。行かせてやれよ。

 

父は葬儀の後の親族の食事会で、2回スピーチをした。驚くことに、1回目のスピーチで、彼は泣いた。いや、泣くとは思っていたが、そう思っていたのは私だけだったと思う。私は父の人柄がわかっていたので泣くだろうなと思っていただけで、愛情のまったくない母などは「泣いたな。馬鹿見たいな。」と私に言ってきた。

とにかく父は泣いた。何が驚いたかというと、本気で94歳の父親を回復させて退院させてやりたかったらしいことが、私を驚かせた。男性というのはそういうものなのか?それともみんなそう思うのか?

今回の一件で、父の合計6人兄弟のうち3人の女性陣は案外冷たかったと父は言う。祖父が倒れた時もさらっと諦めようとした、と。でもそうだろう。実際、介護しているのは私の母(つまり『嫁組』)含む実の娘たちの女性陣であり、ちょっとチラッと顔だけ見に立ち寄るあんたとはわけが違うのだ。まして高齢で、3月の彼岸からいつ逝ってもおかしくないと医者に言われていたとのこと。本気で家に連れて帰ろうとしていたその執念の方が、私は怖い。

怖い、が。それよりも『残念』だ、親父よ。

他の親戚が言うには、父はマメにいろんな方のお墓詣りに行っているという。若くして亡くなってしまった義理の弟や、私の姉の義母のお墓にも必ず行っているらしい。それは素晴らしいことだと思うが、本当に残念だ。

なぜ今は生きている、そしてずっと一緒に生きてきた目の前の女を大事に出来ないのか?もちろん、私の母のことである。

 

今回も葬儀までの1週間の間に、1度だけ母を怒鳴った。私はその時姉と諸用で出かけていて家におらず、そのことで父が怒り狂ったのだが、かわいそうなことに旦那を家に置いていってしまったので、旦那がその暴君を目の当たりにするはめに。旦那には申し訳ない気持ちでいっぱいなのと、マッチョな旦那のラリアットで父を殺さなくて本当に良かったと思う。あと1回、いや2回、もしも父が旦那の前で怒鳴っていたら、父はきっともうこの世にはおらず、私と旦那はカナダに帰って来られなかっただろう。

父が生まれたその家系で、我が家族にとって本当に良かったのはきっと男の子が生まれなかったことであり、ただ同時に、子供の成長の過程であったかもしれない「父への決闘&父の敗北」的な父の挫折がなかったことは、悲劇なのかもしれない。まーダブル父みたいな男どもが家庭にいるよりはよしとするべきか。

 

私はこの亡くなった祖父とそれほど親しかったわけではないが、それでも何かしら不思議な教訓を得る機会が与えられる。私はもともと母方の祖父母の家で見てもらう時間が幼少期から多かったので、そちらの祖母が大好きである。母方の祖父も父方の祖父と時を同じくして入院し、現在も入院中だが、96歳の今もはっきりとした思考で、最後の時間を過ごしている。とにかく、私はどちらかというと、母方の祖父母に多大な恩がある。

父方の祖父母とその親戚といえば、当時22歳の私が彼を亡くした後のお正月に親戚総出の集まりがあった。確か祖父母の結婚50年の祝いだったのではないか。彼のお葬式で「身内とその他」の関係性について思うところがあった後での「身内」側でのお祝いで、その時も父がスピーチをしていた。「(父からみた)父と母から始まって、今や孫やひ孫を入れると総勢50人の大家族です。」というようなことを言っていた。私はその時、「命のつながり」というものを強く感じ、この「生」のお祝いの儀式にもしも私があの時彼の車に乗っていて一緒に死んでいたら、父はこうスピーチを出来ず、この「命のつながり」から私は消えていて、この平和な「生」溢れる場は無かったのだなと感慨深くなった。そして彼が私を置いていったことや、その大きな理由のようなものを感じた気がして泣いた。

 

生きる列車と、死ぬ列車があるのだと思う。みんな必ず死ぬ列車に乗る。だけど、「その時」が来なければ決して乗らないし、乗れないのだ。そして「その時」が来れば、必ず乗るようになっているのだろう。

 

そして今回、父方の祖父が逝き、その最期に会い、そしてご遺体に会い、遺影に会い、お骨に会い、お位牌に会う。私がただただ祈ったのは「父を助けてください。もしくは連れて行ってください。」ということだけだった。今回の帰省で、実家のお仏壇に昨年亡くなった父方の祖母のお位牌と写真が入っていた。なので私はそこでも毎日毎日アホみたいに線香を焚き、手を合わせ、そして祈る。「父を救い、女に怒鳴るのをやめさせてください。それが出来ないなら、どうか連れて行ってください」と。

薄情だろうか。私は、薄情なのだろうか。

 

今回、父以外の女3人(母、姉、私)は何度父の死を願っただろう。

父が本当に可哀想でならない。だが本当に、死ねばいいのにと願った。

何度も何度も願った。願わざるを得ない状況がやってくるのだから、どうにもならなかった。母も姉も私も、わずかな望みだった孫でさえも、もはや父を救えない。

今回の祖父の他界で、何かが変わってくるのかもしれない。

父は祖父の土地の一角に、自分名義で譲り受けた土地を持っている。これは決して裕福な話ではなく、ただ、貧しい兼業農家だった祖父の土地の一角の荒地が、父に譲られているということなのだが、よもや女3人組は父がその地に帰ってくれることを心待ちにしている。それがみんなの平和であり、幸せなのだ。

でも悲しい。今回の帰省で、はっきりとわかったことは、「父は我が家の核なのに、ガンなのだ。」ということだった。あの人はあの家のガンなのだ。あの人が帰ってくると空気が変わり、酔っ払って帰ってくると昭和初期の白黒映画さながら空気が凍りつくのだ。本人はご機嫌でただ足元が乱れ、声がデカく、ちょっとろれつが回らないだけなのだが、それでも、もういるだけで悪なのだ。母は挙動不審になり、念仏を唱えるかのようにクロスワードに没頭するふりをする。その姿をみて、私がいない間の母の生活の悲惨さを想い、心が苦しくなる。

40年一緒に生きてもこうなのだ。何も変わらず、お互い救われず報われず。苦行のような結婚生活を送っているのだ。

 

なんなんだろう、このカルマ。そしてもちろん、パターンは微妙に違えど、姉も確実にこのカルマを生きている。

今回の帰省中に、是が非でも姉の引越し準備を手伝うもしくは手伝わされることになるのだが、姉が化け物になっていた。怖い。もうとても怖い。どのくらい怖いかというと、父に命令するほどに怖い。そして姉が怖すぎて、とりあえず父が瞬時にその命令に従うという不思議な光景を目にすることになる。私と母が気を遣い、父が怒鳴ることを想定して静かにかつ緻密に計画を立てて動いているというのに、姉はそんなのお構いなしにぶっちぎっていく。あれは誰だ。もはや私の知っている姉ではない。15年の結婚生活で、よっぽど我慢してきたのだろう姉の鬱憤が、ことごとく実家中をひっくり返してゴミを捨てるという傍若無人な行いによって、荒らされていく。

でもきっと、それでいいのだ。あの家は、鬱積し続けたものを解き放つ導火線とその先の爆発物的な何かが必要なのだ。

姉の出戻り計画は祖父の葬儀とともに着々と進んでいたのだが、私は父がいつ暴れるだろうかと心配していた。すると姉は一言、「父のヤローが祖父ロスで撃沈しててラッキー」と。姉、強し。やはり姉は強いのだ。私は弱く、優しすぎるのだ。

 今回、姉は子供と旦那を置いて出戻ってくる。こんな母がいても良いではないか。子供は可哀想だが、そこにはそこのドラマがあり、一概に姉だけを責められない実情があるので、私は姉を想い泣いた。泣きまくった。子供が天使で、母は聖母だなんて幻想は、見る側が罪なのだ。生身の母が生身の父と生身の子供を育てながら働きながら生きているのだ。みんなが順風満帆になどいられるはずがないのだ。

だがしかし、私達の父はまったくその内情を知らない。孫ラブの父が、暴れ狂うことしか想像できなかった私は「父がまたちゃぶ台ヒックリ返すな」と姉に言うと、「今度は私がヒックリ返してやらぁ、おんどりゃぁ!!!」と偉く気合が入っていた。

良いね、姉。その鬱積を晴らすのは、ユーだ。ユーっきゃいない。カッコイイぜ、姉。

 

まぁそんなこんなで、実家の断捨離(母の生活圏内のみ。父の生活圏内である2階は地獄絵図と化しているため、侵入を拒否されたので掃除不可。父が死ぬまで待つ)をせっせかと行い、燃えるゴミだけでも合計25袋を片付けた。息が詰まりそうだった寝室が、空気が軽くなったのは気のせいではなかった。母は肩こりが取れたという。(ちなみに私が出したのは18袋で、もう全部やりきったと一息ついてからの姉の乱入に、さらに7袋と燃えないゴミと粗大ゴミが大量に追加で出た。父はその間さっさと姉に命令されて片付けるべきものを片付けると、2階もてこ入れされる危険を感じ外に逃げていった。そして姉は言う。「ヤローが一番のゴミだがな」と。

 

この後あの家がどんな展開になるのかは、まったくわからないのでした。【終】

 

 

追記: この間ずぅっと、変な感じでいろんなことが起きてました。

帰国を決め、チケットを買ったら、いつもは30ドルで済むオイルチェンジでまさかの修理箇所が見つかり、総額1700ドルもの出費があったり。さらに確定申告でまさかの1000ドルの出費、撃沈しながらの帰国に祖父の他界、姉の離婚騒動アンド引越し手伝いに、帰国日のバスの遅延(中央交通さん、マジで心配しました。運転手さんにお休みをあげてください!)、直通便がまさかのバンクーバー緊急着陸。カナダ帰国後すぐに仕事復帰したら、その4日目に職場の駐車場で馬車が突っ込んできて私の車に穴が開いていた。などなど。物事は穏やかに修復に向かっていますが、こんな時期にあんなデカイ鉄の塊で空を飛んで、無事に帰ってこられたことに感謝。みなさまも、ご自愛くださいな。

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