自分の居場所 【職場・仕事編】

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Q. あなたは『居場所』ありますか?

 

A. ①ある ②ない ③探してる ④ずっと探してる ⑤どこかにあると信じたい ⑥信じる気も失せた

 

私は限りなく⑥でした。

私はこれまでの人生でどこに居ても「自分の居場所がある」と思ったことがありません。これは自分の中にある核の問題で。だからスピリチュアルな本や精神世界の本を読むのですが。

小中学生の頃ジャイ子達にいじめられていた頃は「私が子供だからこんなことに合うんだ。高校に行ったら、きっと新しい仲間が待っていて、もっと素敵な人達がいるはずだ」と信じていました。

ジャイ女子高校に行き、それは叶わないと知り、「きっと田舎だからだ。もっと広い世界に出れば、きっと大人になれば、もっともっと素敵な仲間たちと分かり合える日が来る」と信じていました。

そして縁があり関東を出て、京都の大学に行きます。そこで出会う「西側」の人たちの明るさがとても心地よいと感じます。喋りも快活で、オチをつけるというのがわかりやすい。これってコミュニケーションのポイント押さえてるな、と。そこで初めて外の世界を知り「自分が生まれた場所」との違いが少しずつ認識されるわけですね。

大学は比較的快適。なぜなら「個人」であって良いから。みんなバラバラ、みんな好きなことしてそこで自分を確立させるわけです、4年間もしくはそれ以上を使って。私はまったく華のある大学生活は送りませんでしたが、それなりに子供と大人の境目の時間を「生まれた場所」から離れて過ごして快適です。でもそれは「大勢の中の一人」として埋もれられるから。誰も自分を気にしないし、それも気が楽だったから。

 

卒業間近、就職難と言われる時代に突入していましたが、私はあまり気になりませんでした。そもそもみんなが目指しているような企業や職種に就こうと思ってないからです。最終的には福祉一本と決めており、その頃は「福祉は人助け」だと思っていた私は、「自分の人間性と経験値を高めるため」と一応、一般企業への就職活動もしました。まったく興味のない【就職活動】なのだからせめて【興味のある業界】を選ぼうと思い、福祉と同じく人間生活に必要なものということで『教育と娯楽』を選びました。ということで回るのは「教育関連会社とパチンコ会社」。友人には意味がわからん組み合わせと言われましたが、非常に自分らしい選択でした。そして教育関連はまったく面白くもなく、一次審査・面接で落ちるわけですが、面接官の態度と質問内容が「何様デスカ?」という印象で。なんで人を育てようというはずの教育会社が優秀なロボットを採用する気満々の姿勢で採用試験をやっているのか?がどうにも解せなかったので、腹を立てつつもどうせ落ちてるので結局終了。

パチンコ会社は、逆に人事の人たちが素晴らしかったです。数社受けましたが、どこも最初の段階で合う人事の人たちは丁寧に接してくれました。業界が業界だけに、大卒を採用したいというのもあるのかもしれませんが、いずれにせよこれから社員になろうかという私たちに対して、会社側からは「どうせうち(パチンコ業界)には来てくれないんでしょ」という若干の寂しさみたいなものまで滲み出ていたものの、比較的どの会社もこちらへの対応は人間的で丁寧でした。

そして。内定をいただく旨のお電話をいただき、丁寧にお断りさせていただいたあるパチンコ会社の人事の方は、本当に感じが良くて。結局そういう人を見て、「あの人となら仕事がしてみたい」とか「あの人と同じ場所で働きたい」と思わせるような社員のいる会社に入るべきだと思うわけです。ちなみにその会社の入社試験で出会った他の大学生達も、やっぱり面白い人たちばかりでした。「気取ってなくて一生懸命」結局私はこういう人たちが好きだなと思うにいたるというか。そしてそう感じた同期受験組は、やっぱり最終選考まで一緒に残るわけです。合ってたんですね、会社とも、あの人達とも。

私は他にも「児童施設」「老人施設」そして「障害者施設」の全てを受けました。どれもとても面白そうで、子供かお婆ちゃんか障害かが選べなかったから。(結果的に就職へと導かれた場所はそれら全てが統合されている場所でしたが)なんせ私の頭には「福祉は人助け」しかなかったので、「なぜ助ける対象を選ぶのか?」が自分の中で腑に落ちないというか。みんな好きというか。やってみなければわからないというか。(この時点で普通じゃないな私、と気づくべきでした、、、。)

そして前述の障害者施設へ就職。

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職種が職種なだけに、ここでの同僚はとても素晴らしい人たちが多かったです。特にその施設の職員の半数を占めていた長年勤続している先輩方の人間味といったら本当に素晴らしくて、人に対する思いと愛情とが本当に深い人達でした。出会えて良かったと心から思える人たちに、出会えたわけです。

 

が。仕事内容と、勤務体制がきつい。そして業務方針にも疑問を抱いてしまう。

「これは本当に人助けなんだろうか?本当にこの人たちを助けているのだろうか?この人たちはこれを望んでいるのだろうか?」

などの感情もいろいろあって、ストレスになりました。そして退職。ここでも自分の居場所は見つからなかったけれど、素晴らしい人達に出会えて感謝。

 

 そしてまたいろいろあってカナダへ。

1年目の幼稚園ボランティアは、カナダ人の優しさに感動しました。あの人達は人を排除しよう」とか思ってない。それがすごい。まったく英語も話せなく、コミュニケーションも私が頷く以外はまったくとれないというのに、【超ウェルカム】してくれて、大事なお子さん達の面倒をみさせてくれたことに感謝。

「英語が話せない」ということ以外は、「自分である」ということを卑下しなくて良い。こんなにも不格好(見た目が全然ちがう)で現地の言葉も話せない私をそんなことまったく気にせずにウェルカム。 こんなこと、日本であったかな。

町のみなさんが、とても良い人達でした。日本と中国の違いも、その国がどこにあるのか何なのかさえも知らない町の住人さん達でしたが、それでもこちらをウェルカム。 どんな自分でも「居て良い場所」を初めて知った気がした場所でした。

 

ただ言葉を喋れないので自分がとても居心地が悪い。そして不安。

この居心地の悪さを解消すべく、匍匐前進で生活環境を改善していくことになります。

 

さらに縁あって今居る街へと引っ越します。

ここで数年間働くことになるジャパレスで、これまでの人生で最悪の職場体験をすることになり、のちに勇気を出して「カナダ社会へ出よう」と思うに至るのですが。

もしもあの場所で『居心地良い』と思えてしまっていたら、今居る本当の意味での快適な場所には辿り着いていないわけで。

ちなみに。ワーホリ等では、ジャパレスは最高だと思いますし、オススメの環境です。

(誤解のないようにと思って付け足しましたが、逆に誤解を生むかな、、)

ただ、もちろん会社や店によると思いますが、どうしたってジャパレスで働く日本人はカナダ人扱いされないわけです。(いや、当たり前なんだけど。そうじゃなくて)

どこの他国籍料理屋でも同じようなことが問題になるわけですが、外国人労働者である私達にはカナダ社会にいながらもカナダ人と同等の人権が与えられない風潮があるわけです。(まぁ治外法権でしょうか)労働時間や労働体制や給料形態や、その他もろもろ。そういったことを何も知らずに働かせてもらったわけですが。知らなくてよかった!(叫叫叫)

知ってたら、ビザ取得を諦めていたかも知れませんから。

 

1年間限定と割り切って外国に滞在する方達には、ジャパレスはとても良い情報交換の場所だと思います。カナダ人に関わる機会も、英語でオーダーを取ったり仕事のやりとりしたりする機会もあったりします。期間限定の出会いや同じような境遇の日本人とのふれあいもあります。

 

ただ私はその全てがアウトでした。ホントは書きたくないけど。でも自分の黒歴史を「終わり」にするために、書くっきゃない。

そこで出会った日本人はみんな気持ちが悪かった。そして他の日本食屋の日本人も、みんな気持ちが悪かった。結構な人数に出会いました。ほとんど全員気持ち悪かった。

なぜでしょう?理由はいろいろありますが。そしてもちろん、あちらから見ても私は典型的な「カナダで会うクソばばぁ」だったことは間違いないのですが。

あの場所で過ごした時間は本当に「刑務所ってこんな感じかな」というくらいきつかった。そもそも「ビザ」という問題があるので、自分の精神状態も生活状況も本当に落ち着かないので、そのせいかとは思いますが。なんか「戦場のテロリスト」状態。戦地なのに、どこをテロるのかはわかりませんが。どこもかしこも爆弾だらけじゃん。

自分がこの地で生きてく自信(ここでは「期間限定のビザ」しか持ってないという意味)がない頃だからか、出会う人もみな自信がなかったのでしょうか。「自信がないのにあるふりをして、その隙間を他者を笑って埋めようとする」みたいな人達と出会う。

そしてこの時の環境はビザ取得のため、「自分は決して頑張らないけど他人を引きずり降ろそう」という詐欺師みたいな人達が周りにいたりしました。そんな人達、私は今まで見てきたことがない。

ジャイ子時代からもそうですが、私は『人を笑う人』が嫌いです。笑う人は大抵、自分が頑張ってない。ひがむなら良いけど、笑うのはクソだと思います。

 

人は弱く、みんな弱い。だから辛い。苦しい。でもそれさえも受け入れようとしない奴に笑われる筋合いはない。私は『必死に生きてる必死なババァ』に見えたかもしれないけど、何を成し遂げたわけでもないのに他人を笑う奴らよりはましじゃ。

上部だけ繕って「私、上です」みたいな振る舞いしてる気持ちの悪い人をたくさん見てきました。あぁ、気持ち悪かった。日本では決して見たことのない種類の人達でした。ここだから、日本の外だから見る、異様な光景の一つだったのでしょう。

「外国にいるから、そこで出会う日本人はみな良い仲間」?クソですか。逆に気色悪いわ。

日本を出てわかったことは、「日本人だから」「同じだから」が友達や仲間や「快適な関係」になる理由ではないということ。当たり前だけど、これって案外気づかない。日本に居たら、気づけなかった巧妙な罠の一種だったと私は思う。とにかく、そういうことに「合えない」私たちだからこそ、外に出ているのだと思う。そしてわかってしまったこと。一度出たら、もう二度と帰れない。自分がその中にそぐわないと気づいたので。

そりゃぁ生きづらいはずです。だって生まれた場所が自分に合わないなんて。「合う場所」を探すまでは、決して快適な道ではありません。

 

長くなりすぎたので、一旦終了。

続く⭐︎