自分の居場所【続・仕事編】

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お腹が空いたので、煎餅食べながら。(ボリボリ)

先日のこと。旦那が働いているホテルで、一人の日本人女性が体調不良で倒れてしまって。

丁度その日はオンタリオの消防隊員たちがこぞってそのホテルで会議をしている最中で。その方は、その日丁度そこに居合わせた消防隊員たちに素早い処置を受け、ご無事に日本に帰られました。(お大事に)

そしてその数日後、ご丁寧にその方のお姉様よりとても高級な手作りお煎餅と思われるものが3箱も届けられました。日本の人って、本当に礼儀正しくて丁寧ですね。感動。

 

ということで、【自分の居場所 仕事編】の続き。

 

rainbowworld.hatenablog.comカナダのジャパレスで働くということが、どうしてもきつかった日々に思い始めたこと。「いつか絶対にカナダ社会に出てやる」

これ、もともと持ってろよって感じですが。みんながみんな「英語話せる・外人とやりあえる・だから私は外国に住む」という状態で海外に行ってるわけでもないのですよね。いろいろな論は置いておいて、私の場合はゼロからのスタートだったわけです。旅行でも、カナダに来るとは夢にも思ってなかった。

 

でもそんなものですよね。数年前の自分が、今の自分を事細かく想像できていたなんてこと、あるかしら。ないなー。

ちなみに、腰を痛めて前職の施設を辞めた後、私は実家に帰り約2年間の療養をさせてもらうのですが。いろんな意味でこれも地獄でしたが、その時は「二度と就職できないだろう。まっとうな仕事には就けないだろう。結婚も子供も無理だろう。親(生活に必要な食料と物と居場所を提供してくれる人)が死んだら、私もその時に死ぬしかないだろう」と本気で思ってました。あのまま自分が癒えなかったら、そうなっていたでしょう。

でも人は癒えるし、癒えるために人生をもって生まれてきたと思うのです。

 

場面をカナダに戻します。

とにかく、ジャパレスでも勤務がいよいよもってきつくなった時、転機も訪れます。

当時通っていたカレッジの1年コースの終わりに、「やらなきゃダメよ!やるぜ、無理やり就職活動!」という課題が出ます。そもそもこのプログラムは『英語が話せないから社会に出るのを怖がっている移民者の背中を押す』というプログラムだったので、私を含めた多くの移民者の悩みである【恐れ】を取り除くためにあらゆることを勉強させ、やらせるという画期的な内容でした。(ちなみに学費は無料です。移民者を応援するために、カナダ政府が援助してくれています。受講前に簡単な面接試験あり)

 

その時に、「いつか夢見ていたジャパン完全脱却」の予行練習をすることになるのですが。結局、私にとってはそれが「一発ぶっつけ本番!就職大作戦」になりました。ハウスキーピングを選んだのも、体力勝負でしょ?なんとかなるでしょと思い。どうせ夢なんだから、と家から車で20分ほどの距離にある小さくて可愛い町の有名な高級ホテル(夢は大きく見た方が良い)に絶対落ちるという確信をもってレジュメを送りました。

(このホテルを選んだ理由には、いつか書きたいと思っている「カナダで起こったシンクロニシティ」の一つになるある知人の一言がきっかけにあるのですが、それはまたいつか機会がある時に)

「絶対叶うわけがない」と思い切れる方が、実は叶うとわかっていることだったりしますよね。

 

レジュメを送って数日後、ものすごい速さで連絡をもらい面接に呼ばれ、2次面接に行き、入社が決定。その時の人事担当は中国出身の移民歴30年以上の方でした。「日本人で雇うのはあんたが初めてだ。日本人は綺麗好きだから、良い仕事してくれるでしょう。頼むわよ。でもあんたの体じゃ通常のハウスキーピングは無理だね!ロビーアテンダントってのがあるから、そっちに配属ね!ガッハッハ!」と、採用されました。このパワフルなオバチャマのおかげで、今の私があるわけです。この人が私の新しい人生の「引き上げ役」を演じてくれたのですね。もう定年されましたが。感謝。

 

さて、そこで初めて知ることになる「ロビーアテンダント」という職種。何それ?大丈夫?私出来る?英語使わないよね?????

どうにも受けた説明の限りでは、ロビー(公共のエリア)をうろうろして客と接すると言われた感じがするのだが。英語苦手だからハウスキーピングを希望したんだが。

が、この思いもしなかった配属のおかげで、人生がちょっと楽しくなる。

 

ロビーという仕事は、基本的にホテルの中のあらゆる「公」の場所を掃除する仕事で、ダイニングから会議室、披露宴をするボールルームにトイレにプールに玄関にその他もろもろ。このホテルは非常に綺麗なビクトリアンスタイルのホテルだったので、どこの会議室もおとぎ話のような美しさ。トイレは一体100万円を超えるという特殊な焼き物の可愛い便座やシンク。玄関エリアも歴史を感じる重厚な感じ。まぁ何を見ても美しい。

仕事内容はきついけど、決して難しいわけではないので、あとは自分の気持ち次第。お給料も悪くはないし、何よりここは外国だから、何をしたって特別な感じがして、楽しい。滅多にない経験、と感じられる。

 

そしてこの町、実は「お金持ちが住む町」だということを後で知る。なので町が上品。そしてそのホテルで働く人たちもその町出身だったりするので、従業員のみんながとても良い人達だった。

英語のつたない私が、髪抜けるんじゃないだろうかというほど緊張して出勤すると、勤続30年近いソムリエに一言「おい、お前のメガネ良いな。お前どこの国出身だ。日本か?じゃぁそのメガネは日本製か?クール」と声をかけられてから、あっという間に気に入ってもらうことになる。するとそのソムリエが次々と同僚を紹介してくれ、たちまちここでもウェルカムしてもらう。

(この感覚、どこかであったような、、。あ、以前居た町だ。)

以前の町とこの町は、人口も規模も経済レベルもとてもよく似ていることを後で知りました。どうりでウェルカムしてくれる良い人たちばかりだ。

そしてロビーという仕事はホテルのどこにでも顔を出す仕事ということで、本来ならハウスキーピングの人としか関わらない仕事のはずだったのが、フロントデスクからキッチン、バンケットやメンテナンスやレストランまでほぼ全ての従業員とやりとりをしながら知り合いになることに。

会う人会う人、とても笑顔で私を迎えてくれます。いつもあたたかく、声を掛け合う。私のする仕事は感謝され、私もいつも笑顔で過ごすことが出来ます。 (ここ、私の居場所みたい。仕事に行くのが、毎日嬉しい。)

人事のオバチャマは、本当に神の仕事をしてくれました。

この仕事じゃなかったら、こんなに多くの人にウェルカムされなかった。部屋を掃除しているだけじゃ、こんなに多くのカナダ人と会わなかった。件のジャパレスでは私はクソババァで、私もとっても居心地が悪くて、本当に嫌な毎日だったのに、『私』は同じ『私』なのに、ここにいるととても自然で、気持ちが良い。

あぁ、日本にまつわる全ての環境に、合わなかったんだな、私。

でも、だから国を出てるのでしょう。

とにかく今まで感じたことのない、愛されてる感。そして少しずつ、自分も自分が好きになる。準備ができてくる。

 

その後、日本人が数人この会社で働くようになったと聞かされます。この時点ではその日本人達に会うのがとても嫌で、恐ろしい。またあの悲劇がと思うと、とても会いたくない。

が、そんなある日、いつも通りにあらゆるところで仕事をしていたら、ついに一人の日本人に会います。その人が、後に私を彼女の部署に引き入れてくれるきっかけとなる次のキーパーソン。あんなにも避けてたのに、いざ会うととても好い人で。なんていうか、とても常識的な好い人。こういう人と話がしたかった。(涙)同じ巳年ということで?すぐに意気投合。そんなものですね。まさに、合う場所で、会うべきタイミングで、会うべき人に出会う。いつも最善のことが起こっています。ジャパの悲劇は、あれがあの時の最善だっただけのこと。おかげでビザ取れましたから。それが最高で最善のことでしたから。

 

 さて、そのキーパーソン。私の働きぶりと噂をいろんな人から耳にしていたとのことで、とても善意にしてくれます。私の仕事は彼女の仕事を助けることでもあったので、なおさら善意にしてくれます。そして私が美容系プログラムを出ていることを知り、とても熱く彼女の部署へ誘ってくれることに。

もちろんここでも私は臆病なので、何度も誘われては何度も断ります。

「無理無理。絶対無理。出来っこない。英語で接客、サービス、施術、対応、、、。怖くて吐きます。」

そのために学校行ったけど。自宅でお客さん取り始めたけど。仕事内容とても好きだけど。ホテルで働くには、もっと高い「技術、能力、知識、責任感、英語力、人間力」が求められると思うから。 私には出来ない。出来っこない。

 

来ましたここでも人生の壁。正念場です。闘うか、闘わないか。

またしても、ブルーハーツです。

 

 

後に始めて気づくことですが、私が勝手に想像して作り上げていた【もっと高い技術、能力、知識、責任感、英語力、人間力が求められると思う】というもの、これは完全なる日本社会からの呪縛でした。ずっとそう求められてきたから。そんな気がし続けてきたから。

だけどここはカナダでした。【ザ・イージーゴーイング】な国民性を持つ、素晴らしき国Ohカナダ。

そして私は、ありがたいことに、キングオブクォリティ、日本産なのです。

日本人は素晴らしいと思います。精巧に教育されているし、訓練されている。

私たち日本人が思う「責任感、詳細、能力、知識、技術」そういったもの全ては、日本の外では【ロボット基準】です。ただ、英語が話せないというだけ。日本語以外は話さない、という国で生まれただけです。

私たちが日本で受けた教育等の訓練は、世界基準で「高」もしくは「出来過ぎ」レベルだと本当に思う。私たちの責任感、それは「一国を背負う所存です」という宣誓のようなものです。 だから生き苦しいんです。いろんなもの背負わされ過ぎて。

美しい武士道です。でも私たちは侍じゃない。なんでいつも「切腹覚悟」みたいな心境で、仕事に行ったり学校に行ったりするのでしょう。

 

だから、そんなに気負う必要はなかったんですね。

 時は満ち、準備が整ったと自分で思う気になったので、思い切って今居る部署の門を叩きました。私は無宗教ですが、いつもこの言葉、本当に真実だと思う。

求めよさらば与えられん 叩けよさらば開かれん

 

ちなみに私が無宗教なのは、神の名を知らないからです。

いろんな国のいろんな宗派が、自分の国の(宗派の)神だけが唯一無二だと信じているから、私は今後も無宗教です。

私は神を信じますが、まだ会ったことがありません。自己紹介もしたことない。

だから相手の名前も知りません。知ってるのは一般名称の「神様」ということだけ。でもそれで十分かな、と。だってそこに存在されているのはわかります。

 

とにかく。今一緒に働いている人たちは自分の意思をはっきりともつ気持ちの良い人たちで、一緒に仕事していて楽しいです。不器用なところもあるけど、みんな一生懸命に生きている。ありのままで。

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会社は変わらずに部署移動しただけなので、今でも以前の職場の仲間とは時々会えるし話せます。ここが終着ではないけれど、今居る場所が一番幸せ。

人生の節目節目でいつも思う。【今が一番幸せ】

そう感じられる生き方をしているなら、大丈夫、私は私らしく生きている。

ずいぶん遠くまで来てしまったけれど。辛いところで立ち止まらなければ、きっとたどり着くと信じたい。

人生で一番暗い闇と思う時、その底を思い切り触ったら、ターニングポイントです。現状維持か、上がるかしかない。現状維持でも下がらない。そこから上がる光が必ず見つかると信じて。

今を精一杯生きるしかない。ね。

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 補足:いい大人なので人目を気にして補足させてもらいますと。海外に移民している日本人には大きく2パターンあり、「現地の人と結婚している嫁入り組」と私たちのように「自らの意思で日本を出た組」があるらしい。嫁入り組の大和撫子隊のみなさまは、いたって善良な日本人(が多い)と感じます。きっと気持ちが悪いのは私たちも所属する「自らの意思組」なのかと思われます。出ようとしてる時点で、変わり者だよね。ということで、現地に住む日本人がみな気持ちが悪いわけではなく(ここ重要)、あの時のジャパレスだけが私のカオス前線地だったと思われます。そこのところよろしく。

 

続く⭐︎