父と義父
前々回の記事で、私の中に微かに残る父への思いを吐き出したことで、微妙に心の中が変わりつつあります。
ブログって、いろんな使い方があるんですね。(しみじみ)
rainbowworld.hatenablog.com記事を書いてから、何かこう悶々としたものがずっと頭の中にあり、「何かが違う気がする」と思っていました。
そしてつい先日のこと。母と電話で話していると、父が「生命保険無加入」というのが発覚しました。私はてっきり、父にもしものことがあったらその保険金で実家を解体出来るかなと勝手にあてにしていたものですから、これを聞いてまぁ大分がっかりしました。(あえて無加入でいく人もいるのでしょうから、そのことについて言及しているわけではありません。あくまでも、我が家の父の話です)
というのも、その朝父は「胃カメラを飲むから朝食は要らない」と言い家を出たというではないですか。父は昔からストレスを胃に溜め込む人で、以前は潰瘍が3箇所同時に見つかったこともあったほどです。聞けば前回の健康診断で何かが発見されたというではないですか。これはもしかするともしかするかもと思い、万が一のことを考え母に保険のことをたずねたら、母が非常にがっかりしながら呆れた様子で話し始めました。
「自動引き落としを3ヶ月出来なかったから、停められた。」
「この間はうっかり電気を停められそうになって、危なかった。ちょうど私が家にいたから、1ヶ月分だけ払って繋いでもらった。」
、、、、、。 え?
そんなにダメなの?
母が「保険には入っておいた方が良い」と声をかけても、「そんな金はない」の一点張りで怒って話にならないとのこと。そして母には「俺は病気かも。もうすぐ死ぬかも。」とあれこれと心配しながらぶちぶち言ってくるらしいのです。
だったらなおさら保険に入れよ、父。
そして、父は母に一銭も生活費を渡してないのです。
フルで厚生年金ももらっており、普通の年金と足すとある程度の金額はもらっているはずの父ですが、何しろ管理が出来ないため、支給月になると朝から晩までオートレースに行ってしまい帰ってこないという日が続きます。
行くなら勝てよ。
行くなら元取って帰ってこいよ。
ていうか、行くなよ、父。
他に収入が無いのに、よくもまぁ、ギャンブルにそのなけなしのお金を使って怖くないのかと驚きます。
てゆーか、驚いてる場合ではないのです。
現実問題として、母がこれから離婚をして籍を抜き、姉は以前の父との大喧嘩で既に決別しているわけですから、つまるところ父が死んだら父名義のあの実家を片付け解体し更地にして処分するという工程の全てを私がやらなければならないということがハッキリしているわけです。
そこに保険も入っていない、病気でも自然死でも孤独死でも家の中で死んで誰にも見つけられないかもしれない、発見されるのが数ヶ月後でもう虫とかいろんなものがスゴイことになってしまって家中スゴイことになってしまっているかも知れない、それらの全てを私が一人で実費で対応しなければならないの???
ヒデブ。
とりあえず、一度に現金払いなんて無理だから、どうにか手を打たなければと考えたところ、「あ。父の保険料、私が出せば良いんじゃないかい?」と思いつき。
「病気になっても入院なんかさせない」とキッパリ言いはる母に、私が保険料を払うからどうにか安い生命保険に入らせて欲しい、と伝えました。
母に「すいませんねぇ」と言われるも、何かすっきりせずここでも悶々とする私。
その後、姉にこの件に関して大体の流れをメールすると、「クズの金なんかあてにしてんじゃねぇ。ヤツはクズだ。死んでも捨て置け。」と容赦ない積年の恨みと怒りのこもったメールが連続で返ってきました。怖や、姉。よもや般若か修羅か。
そしてとどめに、「クズはアルコール中毒でニコチン中毒でギャンブル中毒です。絶対治らない。捨て置け。」と。
それ、私が姉と母に教えたことやないかーい。
確かに、中毒です。中毒なんです。
そして中毒は病気なんです。治りません。
私は姉に捨て置けとは言いませんでしたが、母には再三言って聞かせました。
「それは病気で、絶対に治らないんだよ。本人がそれを治す意思があって、専門家の助けを借りないと、そして借りてもとても治すのが大変な病気なんだよ。言って治せるものじゃないんだよ。」と。
家族のことが大事だからとか、誰かのことを考えるからとか、そんなこととはまったく別のところで本人の中に巣食う、病気なのです。
子供時代からの愛情飢餓が、大人になっても続き、今や65歳の初老の愛情飢餓人です。
そして年を取りさらに好き勝手にし始めた父は、もうこれからもっと酷くなる一方でしょう。
そうだった。
これは中毒という病気だった。
もう治らない病気なんだった。
わかっていたけど忘れていたそのことを、般若のメールでほろっと思い出しました。
そして悶々としていたことがハッキリと心の中に言葉として浮かんできました。
どうして私がこの愚かな家族の尻拭いをしなければならないのだ?
どうして私がこの「既に人間ではなくなってしまっている中毒親父」に資金援助しなければいけないのだ?
今世で父を旦那に選んだのは私ではなく母なのに、その母はまったく他人事で、冷酷にも病気でもなんでも入院もさせず救急車も呼ばないと言っているのに、どうして私がその母の旦那の生活費やギャンブルのお金や電気や携帯の料金の心配をしないといけないのか?
そもそもどうして私が「自分で酒飲んでタバコ吸ってギャンブルして生きたい」と心底その姿勢を貫いている人間を正さねばいけないのだ?
答えはやはり、シンプルなのでした。
「捨て置け」
私が心を痛めなくても良いことなのです。
父から心と手を引くならば、母からも姉からも私は手を引けば良いのです。
彼らには彼らの何か「意味」があるから同じ家に住んでいるのでしょう。
私には私の何か「道」があったから、きっと家とそして国を出たのです。
そうだ、私は自分なりの距離をとろう。 深呼吸、深呼吸。
ここであまりにも対照的で面白いので、義父のことを少々書きたいと思います。
義父は山形から上野に集団就職をしてきた団塊の世代で、母の一つ上の世代です。
(ついでに母と義母は同じ寅年生まれで、縛られるのが苦手な外に出たい・自由でありたいという根本のタイプが似ています。
しかし私の父は巳年、義父は丑年。結婚する相手によってこんなにもその後が違うだなんてと、何度思わされたことでしょう)
義父の実家は貧しい農家で、食い扶持を減らすために田舎を出ざるを得なかった「長男ではない息子の一人」です。
片や、父はとても貧しい兼業農家の次男に生まれました。こちらも食べるものに困りながら育ちました。
義父は昔から「勿体無い」の人で、お金をかけることを極力嫌います。タダで直す、タダで食べる、タダでもらう、タダで、、、とにかくタダでが好きな非常に財布の紐がかたい人です。絶対にものを捨てない、手放さない。
そんな義父は、真面目に勤続し、某大手の下請け会社の工場長になって定年しました。
義父の受け取った退職金は、とても大きな金額だったと聞いています。
が、定年後10年経った今も、そしてこれからも一銭も使うことなく死んでいくと決めています。
死んだ後に家族・親戚に残すためです。
家族は義母と、旦那の姉と弟、親戚とは、義母の姉妹のことです。
旦那は諸事情により、遺産はもらわないことになっています。
お葬式などのために生命保険も入り、義母ではなくちゃんと旦那の姉が受取人になるように、その手続きの一切を既に説明してあり、そして義母には遺族年金が入るので、「家族も親戚もこれでなんとかやっていけるから、俺が死んでもあいつらは大丈夫だ。」と仏のような顔で言っています。本気で。
義母は気前が良く宵越しの金は持たないというか持てないタイプの人で、入ったお金はすべて家族や人のために使ってしまう人です。そんな奥さんのために、全部用意をしているお義父さん。
片や、いやもう出すのも嫌だけど、片や、群馬の我が父は、小さい会社ながらもエンジニアの上の人になったのに(役職忘れた)、退職金は母に一切金額を教えることなく速攻で使い切り、年金になってからはさらにギャンブル三昧で、「借金は残さないようにしようと思ってる」と言ってはいたがもの凄くそこはダウトで非常に怪しく、嫁には生活費を一切入れず、機嫌が悪ければ大声で「出てけー!」とバカみたいに叫びちらし、こたつの相向かいという至近距離からテレビのリモコンを母に思いっきり投げつけ、玄関から土間へ母を押し飛ばし、躾と訓練のされてない犬を二階で飼い、、、、。
あぁ、もう書くのはやめよう。
そうだ、「捨て置け、私」
何が言いたかったかというと。
同じ寅(虎)の性質の二人なんです。母も義母も。
だけど結婚した相手がこの蛇か牛かで、大きく自分たちの道が変わりました。
母は元気はつらつ社交的な人で友達がたくさん居ますが、家では首を絞められ檻に入れられた哀しい虎のようです。
片や義母は好き放題喋り放題で、3歳児がそのまま白髪になって歩いているような人です。
うちの父はそれを怒鳴り続け、義父はそれを「誰にでもいいところは必ずある」と言いながら一緒に生きたのです。(実話)
結婚をするときは、マジ相手を慎重に選びましょう。
そして「これやばい」と思ったら、勇気を出してとっとと別れましょう。
「これやばい」と思う相手の問題は、それが暴力であってもなくても、完全に相手の問題であって、あなたには何もできない場合が多いのです。
またそういう人に寄る人も寄せられる人も問題がある場合が多いわけですが、「私は変わるんだ」と強く思うなら、「自分」は変えられるのですから。
寄り添って一緒に助け合って生きていきたい人なら素敵ですが、そうじゃなくて「これやばい」と思うなら、「あなたらしいあなた」に戻って人生やり直しましょうよ。
私は捨て置きながら、適度な距離で様子を見ようと思います。(見るんかい)
読んでくれて、ありがとうございます。
日記
私は18年前のあの日から、ずっと日記をつけている。
今回、母が実家を出て行くにあたり、そしていつかあのことを一冊の本にしたいと思うようになり、実家に置いたままの当時からの日記の数々を、母が居る間に回収しようと思いたった。
私がどうしても手元に取り戻したいと思ったのは、特にあの当時の、彼の死から直後の3ヶ月間につけていた彼用と私用の2冊の日記だった。
青いミッフィーの表紙のB5サイズのノートをビニール製のカバーに入れて、他のものとは分けて仕舞っていた。はずだった。
そのノートには当時の私の感情や、実際の詳細な日々の動き(いつ彼の両親に初めて会いに行き、お通夜がいつで葬儀がいつ、初七日や四十九日にああしてこうして、いつ高槻警察署に証人として事情聴取に呼ばれたか、などの記録)が書かれているはずで、それらをもう一度読み返してみようと思った。
置いてきたのは実家の2階の、元私の部屋のクローゼットのはずだった。2階にあるもう一つの部屋を父が荒々しく使っているので、母はここ数年は全く2階に足を踏み入れていなかった。事情を説明し、ラインのビデオ通話をオンにした状態で、父の留守を確認して、母に2階に行ってもらう。ついでに私が置いてきた不要なものの最終処分をしてしまおうというのが、母の目論見でもあった。
母は、私にとって彼や彼の死や、彼の家族との思い出や、そして彼の母の死がどんな大きなものかを知っている。なので一生懸命、私の指示を聞きながら部屋のクローゼットや押し入れを探してくれた。
が、出てこない。
念のため2回ずつ、クローゼットと押し入れを入念に探してみても、あるはずのところにミッフィーのノートがない。
日記は出てきたのだけど。肝心な最初の3ヶ月の、最も記憶と感情がフレッシュな時の記録が出てこない。
マジかー。(遠い目)
なんでだー。(撃沈)
ウソだろー。(ぐるぐる目)
でも出てこない。
あれ。もしかして。私の保険・年金情報や印鑑と一緒に、重要書類一式として母に預けた袋の中に入ってるんじゃないか?
そう伝えると母は悲鳴をあげた。母にはその覚えがなく、これで見つからないと自分の責任では?と思い始めたからである。
一階におりて、今度は母がいつも書類を仕舞う押し入れを調べてもらう。でもやはり、そこにもミッフィーは見つからない。
この時点で母は泣きそうである。
いや、多分私のせいなんだけどね、見当たらないのは。
私は当時このミッフィーノートを、彼と私が一緒に存在した時間の証だと思い、とても大事にしていた。どこに行くにも持ち歩き、寝る時も枕の横に置いて寝た。
絶対自分で捨てるはずなどない、とてもとても大切にしていたものだった。
あれ、、、。もしかして、、、私、自分でこっちに持ってきて捨てたかも、、、。
こっちというのは、カナダである。
あれー、、。もしかしたら、、。
うーん、やっぱりそうかもなぁ、、、。
いつだったか、もう実家に暮らすために帰ることはないと思って、いつかの帰省の時に、自分の部屋の荷物の最終処分をしたような、、、。
その時に、大事にしていた思い出の服なども一斉に処分して、いつまでも昔の面影を引きずってはいけないと思って、でもこのミッフィーノートだけはカナダで新しく保管し直そうかとか考えて、持って帰って来たような、、、、、、、、、。
急いで母とのビデオ通話を終了し、カナダの自宅のクローゼットをひっくり返してみるが、見つからない。
持って来てるとするならここでしょ、という場所を念入りに探すけど、まさかのまさかで出てこない。
。。。。。
あ、、。何となく、捨てた気がする、、、。
人の断捨離精神というのは恐ろしいもので、必要なものから断ち切ろうとしがちである。(断捨離あるある)
もしかしたら、万が一、この先この家の中のどこかからひょっこりミッフィーが顔を出すかもしれないが、「もうないかもね。ハハハ。」と思っている。
その時は、その時だ。
日付や時間の細かい記録がないだけで、今私が覚えている感覚とそれ以外の目一杯の情報や感情や思い出が、少しどこかに消えただけだ。 (涙)
なぜ私が「昔の記録」を集めようと思ったかというと、旦那が次の作品を執筆し始めたからだ。夏前から始めていたが、その姿を横目に私は某憂チューブで好きなアニメを観漁っていた。旦那があまりにも真剣にノートをとりながら書いている姿を見て、「あ、私も作品に使えるノートがあるぞ?」と思ったのだ。
まぁ、結果的には紛失してますが。その時はそう思って、「ナイス、私。今のうちに確保じゃ」と思ったわけで。
私の作品は、果たして出来上がるのかどうかはわかりませんが、現在は旦那の作品が最終段階に入ったので、私はその文章のいろんなことの確認作業でお手伝い。
私はどちらかと言うと、自分で作るより、確認の方が向いてるよな、、。
少なくとも私の心には合っている、と思う。
そんなこんなで、衣替えの秋。家中ひっくり返して、また断捨離しましょうかね。
注:大事なものは、捨てない方が良いですよ。
と、ある日の猫。捨てませんけど、、、?
夫婦と家族
もう10月も1週目が終わろうとしていますね。今年は本当に早い。
日常のいろいろなことに、「これを記事に書くならあぁやって、こうして、、、」などと構想を練っているのですが、なかなか実際書くとなると躊躇する。そしてそのまま、また月日が流れるというのを繰り返している気がします。
書きたいことは山盛り心と頭の中にあるのですが。
とにかく、今日は書きたいと思います。
いろいろ悶々と頭の中を廻っている事柄はありますが、今日は『夫婦』と『家族』について。
我が家の実家問題もいよいよ佳境に入ってきました。
以前、義兄との離婚騒動でアパートを出てきた姉が、現在は新築戸建の完成待ちです。
姉がずっと言っていた「やっぱり子供とは一緒に住みたい」という気持ちと、それをするには姉の状況だと「女手一つでは経済的に無理」という現実を受け入れてからの、「でも家が欲しい」という気持ち、そしてその後の「義兄の謝罪を条件付きで受け入れる」からの「新築戸建の完成待ち」の現在に至ります。
まぁ何ですか、ね。「子供と一緒に住む夢のマイホーム」には「ローンを組んで返済してくれる人が必要」という方程式が、悲しくも美しく希望を持ってはじき出されたわけです。
姉には「あんたのような嫁に、それでもなお戻ってきてくれよ!と言ってくれる、頭のおかしい旦那がいることに感謝だな!奇跡だな!」と。
姉夫婦の感覚はまったく理解出来ませんが、私は姉が大好きなので、姉が幸せになれる環境が一番だなと思います。
もちろん、この件で最も巻き添いを受けたのは子供達ですが、昔は自分も子供だった立場の叔母さんから言わせてもらうと、
「大なり小なり生まれてきた家族の巻き添えに合うんだぞ」
という、ね。
数年前から口をきかなくなっている姉と義兄ですが、そしてよりを戻すことが決まって数ヶ月経つ今現在もさほど口をきいているとは思えない2人ですが、
「これが2人の学びの最善の形。なんでしょ」
という感じで私は見守っています。
私が心配し、この先もその時が来たらサポートしたいと思うのは姉の経済面であり、今回姉が義兄に条件として出した「姉が実家から母を連れて行くこと・新しい家に母も住むこと」がこの先安泰で守られるように、私はこちらで準備をするということです。
今はまだ、姉と母は実家にいます。以前、父が姉に手をあげてから、未だにずっと父と姉は口をきかず、顔も合わせていないそうな。
母と父もまともに口をきかず、口を開いても父が大声をあげて会話にならず、父と姉も顔を合わさず。
一緒に住んでいるのに、バラバラな3人。
そして母も、結婚生活40数年の自分の人生や居場所にいろいろと足や後ろ髪を引かれながらも、ゆっくりでも少しずつ家を出て行く気持ちを固めてきていることろで、現在は荷造り中。
そしてこの一連の流れを、父はまったく知らないという奇跡。
姉の作戦は「よもや夜逃げでしょ。ドロンパ大作戦。」であり、予定している当日の母の置き手紙以外は一切、父には事前に知らせないという強行姿勢であり。
私は複雑な思いですが、実際これはこれで、母の安全を思うと致し方なしか、という悲しい現実な気がしており。
あぁ、誰か怒り狂う暴れる父の魂を鎮めてください。(祈)
仕方ないんだなぁ。きっとこれしか、安全な道がないんだなぁ。(涙)
そして私は思うのです。
『家族って、何?』と。
何も出来なく世間を知らない箱入り娘だった母が、学はないが度胸の座った田舎の(当時)男前の父と出会い恋愛をし楽しく結婚したら、一人目の子を出産したあたりからどうもその男が豹変し、大声出すはテーブルひっくり返すはの大騒ぎをし始めて、時代にも両親にも離婚を受け入れてもらえず、当時の母は女手一つで子供二人を養えるわけもなく、他の道も考えられず、そんなこんなで40数年。
私たち子供にしてみれば、生まれたらそこは父が荒れ狂う家で、父と母が会話を始めれば父が怒鳴るか物が飛ぶかのどちらかで、それでもなお怒れる父に最悪の対応で反抗する母に「あの人は絶対いつか殺される。てか殺されたいんだろ。」と思い続けて育つ娘二人。
夫婦とは?てかなぜあの家に産み落とされたのか?
あたたかい家庭って、どんな感じなんでしょうね。(遠い目)
今回の「母、実家から脱出する作戦」で私が最も気にしている点は二つ。
「脱出時の母と姉の無事」と、「その後の父」であり後者の方を思うと、なんとも言えない寂しさや虚しさやいい加減にしてくれよ的な感情が渦巻くのですよね。
父は父なりに、田舎の、学はないけど職人職で叩き上げてきた人で、家族のためにと社会の荒波になにくそと頑張ってきた男で、仕事もするけど、腕は立つけど、ギャンブルに情熱を燃やすお金の管理と計算の出来ない人で、この俺様はもっと遊んで良いだろがっと張り切っちゃうが収入と生活費が見合わないために「貧乏はお前(母)のやりくりが下手だからだろうがー!グァーッ!」と暴れるおバカで、支配欲はあるけどその実力がない男気あふれる男で、子供愛はあるけど、死んだ人のお墓参りはかかさないけど、女には大声あげて物投げてたまに手もあげる、というクズなだけなんです。
その父も、家族のためにと一念発起して、今から数十年前に一国一城の主にと家を建てたわけです。
決して愛情の感じられない、怖くて寂しい思い出しかない実家ですが、それでもそんな男が一生懸命働いて、社会の泥を舐めながらも必死に耐えてローンを返済した、「ザ・俺の城」なマイホームだったわけです。
可哀想だな、親父。
もうすぐそこに独りぼっちになってしまうんだよ。
私は、母と姉が家を出た後の、父の生き方が心配です。
でも、あの怒れる魂が唯一鎮まるかもしれない薬があるとしたら、それは父の魂が最も悲鳴をあげて恐れている、「孤独」なのかも知れない。
私としては、父が独りになった後で、こちらの意見を聞く耳をもってくれたらなと願います。
静かに話を聞いてくれないと、何も引き出せないし、何もしてあげられない。
せめてこちらの助けを受け入れてくれるだけの静かな耳をもって欲しい、ですが、これは何気に最後のチャンスだなと感じます。
本当に、最後のチャンス。
ここで改心されなければ、今生の別れになるだろう。そう思います。
母と姉が家を出たら二度と戻ることはないでしょうが、そして私ももう二度とあの家に立ち寄るために帰るということはないですが、それでも私は父を助けたい。
母は父を恨んでいるから、一緒に居てはダメなんです。父も母を恨んでいるから、一緒にいたって仕方がない。父はあの時姉に唯一残っていた「子」としての父への愛情を撥ね退けたから、もう二度と振り向いてもらうことはない。姉は父の葬式にも出ないという約束になっています。
唯一この三者紛争に直接的に関わっていないのが、私なのです。
父が意地を張り通し、寂しく死んでいくというなら私はその自由意志を見守らなければならなくなりますが、どうか父が私に助けを求められますように。
夫婦と子供と家族、本当に意味がわかりません。
子供がいるから幸せな家、不幸せな夫婦。
子供がいるから離婚出来ない、して良かった夫婦。
子供がいなくても、幸せ、不幸せな夫婦。
子供を持つ前に、「この人と万が一に別れても、子供を連れて暮らせる、養える」と少しでも考えたほうが良いんじゃないか?と思うのは私だけなのか、、。
我が実家の問題は、田舎だからなのか?
私は子供の時からずっと、周囲の大人とその子供が嫌いでした。
大人も子供もセットで嫌いでした。
嫌いな子の親も、なんだか嫌な感じで、「嫌なチームだな、、」と心底感じていました。でもそこから逃げることも立ち向かうことも出来ない非力な子供の自分を呪っては、その集団や社会から抜けられない現実を寂しく思っていました。
なので、子供が嫌いなのではなく、大人もその子も嫌いです。
自分の血なのか、それとも経験からなのか、「子供が超欲しい」と思ったのはとにもかくにも昔彼氏が死んでしまった直後だけでした。「せめて子供がお腹にいたら、、神様どうか私に置き形見を、、」という執着ですが。
この実家の離婚&出家騒動においても、心から私が良かったなと思えることは、母が私たち姉妹を男の子ではなく女の子として産んだことだなということです。
子供の性別も、運命論の大きな采配だと思うからです。
私や姉が男の子だったとしたら、「嫁にいく」ではなく「嫁をもらう」になっていたわけで、すると父方の名字が後世に続いてしまう。父方の親戚はみな男の子ばかりで、彼らもその親もみな、ギャンブルに狂っています。もちろん私の父も。
なので想像するだけでも恐ろしい。もしも自分が男だったら。(チーン)(合掌)
神様は母に女の子を授け、少しでも現実的に計算する脳みそを与えてくれました。おかげで父方親戚ギャンブル集団の地獄から抜けられているわけです。というか、そう信じています。
今回、姉が母を連れて出て行くにあたり、最も強く母に頼んでいるのが「必ず離婚届を提出し、旧姓に戻ってから新居に入ること」です。
姓名診断とまったく同じ要領で、姉も私も父方の姓を名乗っていた時の良い思い出がまったくありません。
そして今回、姉が自分の離婚騒動にあった際に最も悩んでいたのが、旧姓である父方の姓にだけは絶対に戻りたくない、ということでした。
なので母には、この機会に確実に母の旧姓に戻ってもらい、将来的にもしものことがあっても、自分も子供も母方の姓を名乗れるようにという目論見も入っているようです。でも一番は、結局その姓側の思い出と印象なのだろうな、と思います。
私も姉も小さい時はよく母方の祖父母にお世話になりました。そしてその記憶だけが唯一、安全で安心できた快適な時間を過ごした思い出になっており、「家族」や「家」というのはあの祖父母宅で過ごした時間だと認識しているからなのだろうと思います。
とにかく、私は母の安全を祈り、姉の幸せを願い、父の魂の静まりをご先祖様にお願いするのでした。
今日、何食べる?
アダムとイブが食べたのは、本当は何だったのだろうか?
ナナソラです。
さらっと誕生日が過ぎました。また一つ、無事に年を重ねられました。
去年の誕生日前は、『30日間スクワットチャレンジ』なるものをやりましたが、今年はもう少し本格的に、『21日間ベーガンダイエット』をやってみました。
この『ベーガンダイエット』はその前から始めた『グリーンジュース』と同じ人が主催しているプログラムで、今年こそはと参加しました。
結果、たくさんの新しい発見や気づきがあり、食事を変えただけなのに(いやでもそれが最も大事な変化なのだけど)ものすごく大きな人生観の変化があったように思います。
中でも私が最も驚き呆れた発見は、何と私は「心配性ではない」というものでした。
何のこっちゃという話ですが。
人生このかた40と1年、気づけば幼い頃から親にも知人にもいろんな場面で「心配しすぎだよ」と言われ続け、「お前は本当に心配性なんだから」とも言われ続け、事実、小さなことからあり得そうもない大きなことまでとことん心配し続けてきた私は「あぁ、私はなんて心配性なんだ」とこの【性格】とときに闘い、ときに涙とともにこの性質を引きずりながら歩いてきたわけですが。なんやねん、この心配性、【性格】と違うやないかい。
この心配性、実は砂糖の副作用でした。
今回私が試したベーガンダイエットは、結構本格的なものだったようで、牛乳、卵、肉、魚、小麦粉(グルテン)、白米、砂糖、カフェインを摂取しないというメニューで構成されているプログラムでした。
主催者側には医者や栄養士、シェフなどがおり、栄養バランスを十分に考え抜き、かつどんな料理の素人でも簡単に作れるというレシピが、21日間ほぼ毎食分、参加者に提供されるというもの。私たちはただ作る。ただひたすらにほぼ毎日、料理をし、それだけを食べるというもの。
ほぼ毎日というのは、多忙でかつ料理の素人が参加者の大半数を占めているということで、「息抜きフライデー」というのが設定されているため、正確には「金曜の夜を除く毎日毎食」ということになります。でも息を抜いても、食べるものはプログラムの中の料理です。金曜日のために前もって多めに作るように指定されているメニューを、金曜日に温めてお食べというシステムです。
ちなみにこのプログラムは、全世界の多忙なママやビジネスオーナー、高血圧や糖尿病などをはじめ日々病に苦しむ人や、はたまた包丁をもったことがないような素人までを対象にした生活改善菜食ダイエットプログラムです。
このプログラムだけで記事が3つは書ける。そのくらい書きたいことがある。私にしては珍しく書きたいことがありすぎて内容が絞れない、という状態のまま書き始めてしまったのですが、とにかく書きたい。このダイエットについて、とにかくお伝えしたい。興味のある人は、ぜひお付き合いください。
このダイエットを始める1ヶ月ほど前に、旦那とオタワ旅行に行きました。
海外での日本食は本当に貴重なご褒美アイテムですので、オタワでの美味しい食事の中身はもちろん3日で2回のラーメン、とかになっちゃいますよね。美味しいお寿司食べたりね。往路の朝食から復路の夕食まで、3泊4日の食事が全部外食になるわけですよね。
そしてそのままいつも通り、休みの日は日頃の疲れを癒すべく、外食になっちゃいますよね。旦那も私もサービス業なので、忙しい週末とかもご飯を作る元気が残っていない。なのでまた、夜中にバーガーとか食べちゃいますよね。
という日常を繰り返すと、まぁ、お腹が出ます。出ますよ、えぇ。
なのでこのプログラムを始める頃にはまるで妊娠初期のようなお腹でした。
去年のスクワットチャレンジで一旦凹ましたお腹も、年の重なりには勝てません。
そしてついたら落としづらい。なるほどこれが40ってやつね、としみじみ痛感しておりました。
健康のために「腸内クレンズ」とか「デトックス」とかしたいなー。でもどこの会社の何の製品なら体に優しいのかなー。スクワットとか走りこみとかしないで、優しくお肉減らせないかなー。(遠い目)
そんな私の全ての夢と希望が、このベーガンダイエットには用意されてました。
結果的には、体の両腕、チェスト、ウェスト、両腿、ヒップ周りの全てがサイズダウンし、合計で40センチ減りました。
体重は激減しないように作られているコースなので、1週間に1キロ弱などの減量ですが、体に良いものしか食べないので調子がものスゴく良くなります。(減量したい人は長く続ければ続けるほど、健康的に体重が減ります)
そして食物繊維ばかりを摂るわけですから、とにかく出る。ここ数年まったく経験しなくなっていた整腸効果で、とにかく驚く。
何より、腸内が清掃されるので、肌が内側から変わります。腸だけではなく、肌の老化の元となり、体の炎症の原因で様々な病気の火付け役でもある砂糖を摂らなくなることで、肌が若返ります。(美容従事者として言わせていただきますと、肌の三大老化要因は、砂糖、日差し、熱と言われています。熱は特に白人さんの肌にはです。)
とにかくこのダイエットは、体の炎症を抑えることに特化しています。
それもそのはず。このプログラムの主催者であるKris Carrというアメリカ人の元ダンサー・女優の女性は、現在も複数のガンを抱えて健康的に生きられている方で、約10年前にガンが見つかった時、同時に医者に「治療法がないよ。移植ならやってみれるよ。」と言われました。元来気丈な彼女は、そこからライフスタイルを一変し、たくさん勉強をし、体を炎症させるケーキやドーナツ、コーヒーそして喫煙をやめ、グリーンジュースを飲むようになり、いわゆるマクロビオティックと呼ばれる食事療法に進みました。初めて食べたマクロビオティックの食事は玄米、味噌汁、海藻だったと言い、それまでスタバでラテとマフィンの朝食だった日常から一気に地獄のような(味噌汁はそこまでまずくないだろー、クリスー。)食事に切り替わったことを思い出として話しています。
ちなみに。他の博士の調査では、痴呆やアルツハイマーも砂糖とグルテンによるものだということ。原因がわかれば、予防ができますね。
Kris Carrは、当初「10年後はないかもしれないよ」と言われていたのですが、先日の10年目のガン検診で「君がどんなことをやっているのか知らないけど、肝臓のガンが劇的に小さくなっているよ!」と言われ、「グリーンジュースを飲んでるの」と答えたと言っています。
砂糖などで体が酸化することにより、小さな炎症がたくさん起こり、それが様々な病気の火種となると言われます。それをアルカリ性に直すため、生野菜でジュースを飲むという方法ですが、日本では元来、味噌や梅干し・海藻などで体内のアルカリ濃度を調整してきたわけですから、早い話が伝統的で健康的な日本食を食べれば健康になるということになりますよね。結局たどり着くのは日本食か、ということになります。
日本ではまだ北米ほど食材の化学薬品等の汚染は進んでいないと思いますが、それでもやはり雨や水で地球の汚染は循環してしまいますから、出来れば自分で庭や畑で無農薬の野菜を育てて、出処と調理過程がわかる自宅のキッチンで余分な化学調味料を入れないクリーンな料理を食べるのが、やはり言われてはいるけど本当に安全なのだなと今回のプログラムを通して身にしみてわかりました。
ちなみにプログラムの規定でレシピは掲載できませんが、参考までにある日の献立はこんな感じでした。
朝:日替わりグリーンジュース【(例)ほうれん草・セロリ・ケール・青りんご・ヘンプシード・チアシード・シナモン・ノンデリミルク(ソイミルク、アーモンドミルク等】
昼:サラダ/前日の夕食をランチ用に詰めたもの
夕:タイ風炒めとブラウンライス【紫キャベツ・玉ねぎ・人参中2本・黒豆・スナップエンドウ・にんにく・ピーナツバター】
朝:アボカドトースト/アーモンドバターバナナトースト(グルテンフリーブレッド)
昼:サラダ/前日の夕食をランチ用に詰めたもの
夜:ケールとマッシュルームのクリームパスタ【玉ねぎ・ケール1束丸ごと・マッシュルーム1パッケージ丸ごと・カシューナッツ・にんにく・ブラウンライスパスタ】
という感じです。私は勤務の日は朝食は食べないのでグリーンジュースだけで済ませましたが、どれも本当に簡単にレシピが作られていて、驚き感動しました。
ある日の夕飯などは、パスタを茹でる以外は全てジュースを作るブレンダーで事足りるというもので、しかもそれがレストランのような味でした。旦那と恐る恐る一口食べて、冗談みたいに顔を見合わせて「ウマッ!!」と目を見開くという場面がデジャブのように何度もありました。まるでコントのようでした。でも本当に美味しかった。
食材によってはちょっと食べられないなというものもあり、そういうものは代用品が提示されているので、1度目は失敗しても2度目はなんとかクリアというものもありました。このプログラムを始める前のオリエンテーションの時点で、「完璧を求めずに、経過を大事にするように」と何度も何度も言われていたので、全レシピを作らなくてもOK、誕生日や特別な日にはケーキ食べてもOK、目指すのは最終的にはカフェイン摂取量を限りなくゼロに近くまたはゼロに減らすことであったり、アルコールもしかり、肉を食べずに菜食だけで暮らせるように、自分をいたわることで自己愛に包まれることであったり、料理を楽しめるようになったり、などとにかく【ボディ・マインド・スピリット】の総合プログラムということでした。そして本当にそうでした。
21日間というのは人が習慣や癖を変えるのに要する期間ということで、『食べるもので体が出来、考えることでマインドが構成され、鍛錬することで霊性が成長する』と唱っているだけのことはあり、たくさんの瞑想法やエクササイズのビデオなどもプログラムの中に入っています。プログラム1週目など最も昔の癖に戻りたくなる(甘いものが食べたい、お酒が飲みたい、コーヒーが飲みたい、等)の時には瞑想や30分間のウォーキングを推奨しており、実際にそれらをすることで「出来心食い」などの脱線を防げるというもの。全体を通して、良く考えられているプログラムだなと感心しました。
結果として、今もベーガン料理を作りつつ、少しずつ日常のものも食べ始めています。
誕生日祝いにはお寿司屋に行って白米の寿司をちみちみ美味しく頂き、久しぶりに魚を食べては自分の味覚の変化に驚き、グルテンフリーではない普通のパンをかじっては体調が悪くなるというような嬉しく素晴らしい副作用を経て、自分の体調や味覚が変わったことを実感して感動している今日この頃です。
最後に、今回本当に驚いたのは、砂糖とグルテンとカフェインを抜くと、頭と心が静かに穏やかになるということです。ご飯を主食として食べず、砂糖と同じ作用のあるグルテンを抜き、菜食にしたことで、雑念を起こしていたのは私の思考ではなく、食べていたものだったということが本当にショックでした。でも良かった、不治の心配性ではなくて。私のように「心がワサワサする、心配で仕方ない、周囲の雰囲気や空気で自分の感情が痛む・揺らぐ」などが思い当たる人は、試す価値のある方法だと思います。
日本のアマゾンで、Kris Carr のレシピ本を見つけたので貼っておきます。
ジュースのレシピ本だけが日本語版のようですが。
癒しとグリーンジュース
去年の11月にブログを書いてから、いろんなことを試している。
どういうことか職場でよくエネルギーを失う。
同僚の会話や人混みなどが主な原因なのだが、私の仕事は人と関わる仕事なのでなおのこと自分のエネルギーの調子を上げてというか調えておきたい。でも下がる。どうしても価値観の合わない人たちの中にいると息苦しくなり、さらには無気力感というか、自己否定に陥るパターンを繰り返しているので、どうにか救いの手を求めて色々勉強しながら試している。
元来Dr. ブライアン・Lワイス博士が好きなので、その人の関連でヘイハウス(Hay House) という団体のニュースレターを購読している。スピリチュアルな団体なので、ありとあらゆる癒しのオンラインコースや、成功のコースなどの情報が入ってくる。
そこで知った最近始めたものの中で、「エンパスとエナジーバンパイヤ」というコースと「タッピング療法」というコースが、何度も私を泣かせてくれる秀逸なものだった。
昨年参加したワイス博士の1デーセミナーは、「ようやく見つけた安らぎの場所」的な安心感で、セミナー中ずっとしくしく泣いていたが、今回の新しい2つのコースはそれとは違う「発見」「やはり」「核心に触れる」的なハッとする涙や、「ずっと心に留めていた気持ち、感情に触れる。それと向き合うツールに初めて会った」というドバッという劇的な涙だった。
特にタッピング療法に関しては、これまで色々な本を読んだり、自分なりにいろんなコースを試してきたけれど、ここまで自分の気持ちを的確に代弁している「人」にも「師」にも「友」にも会ったことがない!というくらい衝撃的だし、目からウロコだし、何より効いた。そもそもほんの軽い気持ちで試してみようと思ったきっかけは、そのコースの宣伝文句に「これは科学的に証明されている」と書かれていたので、それで効かなければよもや私には何も効かないのでは?と思ったからだった。踊る方のタップだったらどうしようという不安が薄っすら脳裏によぎったが、それもまた良しとタッピングが全く何かを知らないまま中を覗いてみたら、まービックリした。
コースの主催側の人が流す動画を観ながら、それに沿って自分も真似するだけという非常にわかりやすく簡単なものであるにも関わらず、もの凄い発見や気づきが起こるという、もはや奇跡のコース。パソコンの前でパタパタと自分の顔や頭を叩きながら号泣している嫁の姿を、旦那はなんと思っていたのだろうか?本心はわからないがとても穏やかな顔でこちらを見てくれていた気がする。
ヘイハウスの設立者であるルイーズヘイのことを知ってから、彼女のことも好きになり、いくつか彼女のメインのコースを調べてやってみてはじんわり泣き、そして彼女の代表作の本を読み始めたりした。「You can heal your life」がとても有名だが、私は彼女が最も初期に出した「Heal your body」という青い小冊子がどうしても手にとってみたかった。その小冊子にはあらゆる病気や症状の原因となる「思考やパターン」が書かれていて、さらにそれを癒し克服する「受け入れの思考」が書かれている。
医学や科学や色々な側面から異議を唱えたい人はたくさんいるかもしれないが、私が知りたいのは傷つき、怒り、閉じてそのままになっている私たちの感情や気や記憶などが実際どういう症状に行き着いているのかということだった。
医者は症状を発見すると「どこの何がどう悪い」とは伝えてくれるかもしれないが、私たちが知りたいのは「何が原因でどこを正せばどう治り得るのか」ということだ。
「正せば」という言葉を使ったが、何かが「正しくなかった」わけじゃない。ただ私たちは傷つき、そしてひたすらに傷ついたのだ。
だからそんな自分を許したり、愛する努力をし始めると多くの症状が癒されるという話し。自分の愛が、一番の理解者であり最良の薬であり治療法なのだというケースがたくさんあるよという話し。本当にたくさん。
そんなこんなで、ワイス博士のセミナー以降、なんだかんだでほぼ毎月のように何かしらオンラインコースを取っている。どれも癒しやエネルギーワークのことばかりなので、とても面白い。
昔から、見えないものを知りたい。そこにあるものを知りたい。真実を知りたい。
真実といっても「唯一絶対」ということが知りたいとか確認したいということではない。流行りや思惑に流されない、ただそこにあるもの。名前は違うのにあらゆる宗教でなぜか同じように伝えられ続けている教えや、仕組みや、すべてのものや事象に流れているようなもの。そういうことが知りたいし、知って確認したい。
「だから良い。それで良い。生きてて良い。」ということを。
そんなこんなで、一番最近始めたものは「グリーンジュース7デーチャレンジ」というやつ。同じ主催者の21日バージョンの本格ダイエットコースを去年見つけて、ちょっと高くて悩んで、もしあるなら今年取ろうと決めていたのだけど、そのコースの前に足慣らしとしてグリーンジュースのトライアルが出たのでチャンス!と思いやってみている。
なのでダイソンの次に買ったのはブレンダー。今年に入ってから買ったこの2つの「必要じゃないけど、さらなる良いことのための投資(物質編)」は実際今までの人生の中でみても最も良い買い物になっている。ダイソンは掃除機に何万円も出さなくてもというこれまでの葛藤と、ブレンダーはジュースが口に合わなかったら我が家では二度と使わないだろうという危惧だけど、そのどちらも覆すような感動を覚えた。
グリーンジュース、とても美味しい。そして旦那も喜び同じ感動を共有してくれているので、ひとまず大成功。そして大満足。
ちなみにタッピングはEFTです。英語のリンクを貼っておきます。
こちらヘイハウスも英語の方を貼っておきます。
どちらも私の様に「日本語だと裏の意味を感じてしまい集中できない」「英語の方が余計なことを考えなくて良い」「英語はそれなりに好きで、好きなことのためなら英語で挑戦しても良い」という人にはオススメです。
猫とダイソン
ついに、ようやく、我が家にダイソンが来た。
ダイソンが、来た!
必要にかられたわけですが、理由が何であっても買い物は楽しい〜。
子猫たちもすっかりボーイズは大きくなり、女の子はゆっくり成長してくれて、大人ニャンズは怒ったり遊んだりしながら少しずつ慣れてきてくれた今日この頃。
以前は大人ニャンズ2匹が早朝に走りまわっていただけだったので絨毯は敷かずに木の床のまま過ごしていたのですが。子猫たちが来てからは起きてる間中ずっと遊び廻っていてその音がすごいので、猫部屋と居間に絨毯を敷くことになりました。
が、毛が気になる。
ニャンズの毛が非常に気になる。持っている掃除機を使っても、綺麗になったように見えるけどまったく毛が取れていない気がする。
気になる。どうしても毛が気になる。
人間、気になるとダイソンが欲しくなるものですよね。(ね。)
ということで念願の夢のパワフル掃除機を購入しました。
コード付きか無しかで心が揺れましたが、見た目に惹かれてコード無しを選択。
結果、あまりの違いに愕然とするのでした。
あまりに凄すぎて写真はお見せできませんが、もうビックリで。
「これを掃除機というのなら、今まで使っていたものは一体なんだったんだろう?」という、妙な悔しさまで湧き上がってくるほどの吸引力。
タンクに吸い込まれた猫の毛とほこりの量に、今までこの中で生活していたのかと思うとこれまた驚愕。怖い〜。
ということで、掃除が楽しくなりました。やっぱり猫の居る生活は、ハッピーです。
ノーペイン でも ゲイン
家族が増えました。
私は以前からカナダ人の同僚に「子供は?」と聞かれると、「旦那が産む」や「今年のクリスマスにサンタが届けるはず」と答えてきました。遠い昔に見たキャンディキャンディのように「クリスマスの朝に、ドアの前に籠に入って置かれているはず」と本気で想像してワクワクしていました。
が、起こらないので、こちらに導かれました。
夏に姪っ子達が帰った直後の、くつろぐ大人猫2匹。
寝具を片付けようとしたら、ものスゴくくつろいでいるので片付けるのが大分遅れたのですが。この時の彼らは、ようやく訪れた日常の静けさに、ゆったりと魂を落ち着かせているかのようでした。
が、まさかその2ヶ月後には、チビッコ3匹の襲来により自分たちの静けさが世界のどこかへ飛ばされてしまうことになるとは、まさに夢にも思わなかったでしょう。
誰が5匹も同時に飼うことを想像したでしょうか?
いいえ、誰も。
10月頭に、近隣のとある町に呼ばれた気がして、旦那と二人で出かけた時のこと。
私はてっきりいつものように「私がずっと欲しかったもの」がどこかのお店にあるという直感で呼ばれているのだと思っており、「靴か?カバンか?それとも財布か?」とウキウキ。かなり確信を持って、ウキウキしておりました。
年に一度の頻度でさえも出向かないその町で、何かが待っている。もうこれは間違いないでしょう。
向かったショッピングモールで、目当てのものを何も見つけられなかった私は、「おかしいな」と思いながら歩き疲れて旦那とお茶していた時のこと。
建物内のホールで車が展示されており、旦那が乗りたいと言っていたミニクーパーが隅の方に展示してあるのを見つけました。
それを見つけた旦那が、一瞬「あ、やばい」と。
「クーパーの向こうに、猫アダプションセンターがあるのを発見してしまった、、」と。
以前から「もう1匹猫が欲しい、3匹でうちは完成だ!」と旦那は希望していて、どこかで野良猫と運命的な出会いをするのを待ち望んでいました。ニアミスはあれど、なかなか出会わない。そして目の前の【猫センター。】
あぶない匂いがプンプンしてますね。
してました。
してましたよ。
すっかり得意技の「乙女モード」になり、「どうする?ねぇ、どうする?見ちゃう?え、行っちゃう?えー、でもなぁー。ねぇ、どうする??あぶないなー。」という旦那の横で、私はある程度覚悟はしていました。今日がその日になるであろうと。
「クーパーを諦めれば、猫1匹増えても何の問題もないんじゃないの?」と呟く私に一言、「うん、俺、クーパー要らない!」と、完璧な受け答えをする旦那。そうでしょう、そうでしょうとも。
でもなーんか嫌な予感がする。嫌な予感がしたんだよなぁ、、、。
いざ、恐る恐る猫センターへ入ると、そこに居る猫のほとんどは子猫で。
かわいそうな悲壮感溢れる雰囲気だったらいてもたってもいられなくなる、と思うと足も気も重くなったのですが、いろんな事情でそこにやってきた大きな猫達もいたけれど、丸まって寝ている子猫の数の方が多く、目を引いていました。
とてもかわいい柄の子猫2匹が「本日のおすすめ」として目立つところに居ましたが、コマーシャルに出てきそうなほどの可愛い柄で、彼らの未来は明るいことが感じられたのでそこはスルー。彼らは次から次へと訪れる人たちに、とても人気で愛されているようでした。
旦那が指を出すと、すぐに遊びにやってきたのが今回新しい家族に加わった黒猫ボーイズでした。ケージの中でもおもちゃでよく遊び、なんだか元気な感じでした。
3匹とも同じ生後10週間で、これはどうも兄弟なのではないか?と思い、よく柄を見ると川の字の真ん中で寝ているメスがタビーでオスが黒と黒タビー。
(うー。黒タビーなんて、今まで見たことない。成長したらどんな色になるんだろうー。気になるー。)
黒の子は、両前足に白い短めの靴下を履き、両後ろ足に白いハイソックスを履いている。(くぅー。夢の黒猫でしょコレ。何だよー。)
メスのタビーは眠そうな顔をしていてちょっと活気がないように感じられたけれど、柄がはっきりとしていてとても綺麗でした。
そして3匹ともとても仲が良い。
ひとしきり怪しいアジア人カップルがじーっと子猫を地味に見つめたり遊んだりした後で、人目が気になった私は旦那と外に出て、緊急家族会議。
会議のネタは、「飼うか飼わないか」ではなく、「マジか。3匹か? マジか。」ということ。でも私も旦那もとても似た感覚の持ち主なので、そうなることは彼らを見た瞬間からわかっていました。
「1匹なんて、選べない。」
私のポイントは、「兄弟を離したくない。」でした。自分が子供の頃から、どこかの家で子犬が5匹産まれたと聞いては1匹もらったり、ダンボールで捨てられていた数匹の猫を父が拾ってきてしまい結局他の人にバラバラに引き取ってもらったり、ということはあったものの、いざこの年に自分が成長し、あらためて「動物でも家族は家族」と思ってしまったら、引き離すのはどうにも可哀想で胸が痛い。
そしてもちろん、家族会議のもう一つのネタは「5匹も飼って、うちの家計は大丈夫なのか?」ということになるわけですが。
飼い始めて約一ヶ月が経ち、今言えることは「頑張ります」ということでしょうか。
何があってもこの子逹を養っていくのだな、というのはこういう感覚なのだということを私も旦那も知りました。人間一人よりも二人、二人よりもプラス猫1匹、そしてそこにさらにもう1匹。そうやって増えてきた家族で、そこにさらに天使子猫3匹が加わり、増える度に楽しくなってきたことを考えれば、非常に良い決断だったのではないかと思います。
当初家が狭いのではと心配しましたが、子猫も大人猫も結局私や旦那がいる場所に集まるので、いつもどこかの一室にみんな集合している感じで、子猫が大きくなってきていても、全然圧迫感を感じることもなく。引越しさえ考えましたが、今はこの家で良いのではないかと思っています。
家族会議の際、実はもう一つの私たちのポイントは「この先人間の子供をもつかもたないか」ということでもありました。年齢的にも、人生の状況的にも、考えるのに最善な時は来ていました。
そんなことを話し合っている私たちの目の前で、いかにも可愛らしい白人の3歳くらいの女の子がとっても可愛らしく母親にごねていました。その様子は本当にとても可愛らしかったのですが、私にはその時答えが出た気がしました。
猫保護に、生きていくよ。
人間一人の子供をもつことを思えば、子猫が3匹増えたってきっとやっていけるはずだと思いました。世間のみんなが、乳飲めなかったり、夜泣きが止まなかったり、拗ねたりゴネたり非行に走ったり、時には引きこもったり暴力沙汰になったり、親に反抗したり、鬱になったり、そんな大変な思いと経験をして子供一人や二人や三人を一生かけて育てていくことを思えば、私たちの人生の一幕に5匹居る瞬間があったとしてもきっとやっていけるはずだしやっていくんだと、思いました。
家族の構成も、家族員の授けられ方も人それぞれですが、我が家はこうなりました。
子猫逹が来てからというもの、膝に乗る度に「グルグルグルグルグルル」と合唱してくれる猫たちに囲まれて、まるで猫風呂に入っているかのような癒しです。
旦那は仲良く遊び回る子猫たちを見ては「これで良かったんだ。一緒に引き取って、これが良かったんだ」と言っています。
二人と5匹で、全員揃ったなという感じです。猫万歳。